今日こんなことが

山根一郎の極私的近況・雑感です。職場と実家以外はたいていソロ活です。

『人は放射線になぜ弱いか』:書評

2011年08月11日 | 作品・作家評

『人は放射線になぜ弱いか』第3版 1998年(最新刷は2011年4月)
近藤宗平 講談社(ブルーバックス) 980円+税
この本の副題は、「少しの放射線は心配無用」

放射線関係の本で、書店で平積みされているのは”放射線の恐怖”を強調したものばかり。
ただ、それらの著者は原発の専門家かもしれないが、放射線と健康(放射線医学)の専門家ではない。つまりその分野の素人に等しい。
それに対してこの本の著者(大阪大学医学部放射線基礎医学元教授)は、福島第一原発事故発生直後の2011年3月に記された最新刷のはしがきにおいて、「今回の被ばくは生命に危険を与えることは全くありません。本書はその科学的根本をしたためています」と明言している。
そういう立場の数少ない本。

原発問題は単に災害の問題だけでなく、政治問題でもあるので(経済問題・軍事問題を含意している)、私自身このブログではタッチせず、あくまで放射線の数値の評価に徹していた。
数値によって評価が変わるからだ。
こんなのは医学では常識なのだが(毒か安全かは量で決まる)、素人の世界では、放射線は0でなく存在しただけで恐怖の的となっていた。書店に並ぶ本もそれを積極的に後押ししているものばかり。
その”恐怖”の根拠は、「直線しきい値なし仮説」(放射線はどんな微量でも毒があり、安全値は存在しない)というもので、放射線防御の指針として国際的に採用されているのだが、実証的根拠に基づくものではないことは専門家なら知っている(防御の指針として有効なのは確かだが、世間はこの仮説を”事実”だと思い込んでいる)。
この仮説を遺伝学・医学の視点で批判的に扱うこの書は、書店の”福島原発”コーナーには置かれていない(通常のブルーバックスの棚にある)。

実は著者自身、この本の初版時に「(放射能泉である)ラジウム温泉は害ではないのか」と質問され、その場では「害である」と答えたそうだ(直線仮説によればそう答えるのが当然)。
ところがそのような実証データはなく、数百年前から多くの人がその種の温泉に平然と親しんでいる(むしろガンが治ったなどという噂があるのはラジウム温泉だけ)。
それ以来、著者は、低線量放射線の健康についての研究データ収集にいそしみ、その結果、本書を書き改めたそうだ
(私がむかし読んだのはこの本の初版だったと思う。その時はたいした印象に残らなかった)。

この本は、なにせブルーバックスの一冊なので、好き勝手に書き放題の他の新書よりは、きちんと科学的な態度に貫かれている。
放射線の人体への影響や発がんメカニズムがわかりやすい図入りで解説されているので、けっこう理解しやすい(内容はそれなりに専門的だが)。
新たに加えられた最終章(私が読んだ版にはなかった)には、ホルミシス効果に関心がある人ならご存知かもしれない、長崎の被爆者群の方がそうでない群よりも60歳以上の死亡率が低いデータも示されている。
あと放射性セシウムについて、「『これに汚染された野菜や肉を食べると、体内が三〇年間も放射能で汚染される』。これは素人と脅かすのによく使われるつくり話である」として、チェルノブイリ事故の際、一年後には体内のセシウムが漸減に転向したハンガリーのデータを示している。
もっとも著者は、放射線が人体の細胞に傷をつけるのはまちがいないとし、細胞レベルでは「直線しきい値なし仮説」を認めている。だが、細胞レベルで作動する修復メカニズム(これが発見されたのは最近)により、じっさいに障害を起こすことはなく、結果的には低線量でのしきい値(これより以下は無害)の存在を主張している。

このように主張が一貫しているだけに、かえって中立公平な立場とはいいがたい印象を読者に与えるだろう
(いいかえれば、昔の直線仮説を信じて最近のデータを無視する”放射線怖い”だけの書も中立公平でない)。
その点では私の一番の推薦書『放射線と健康』(舘野之男。岩波書店)のスタンスの方が受入れやすい。
また、このブログで最近紹介した『放射線および環境化学物質による発がん』(佐渡・福島・甲斐編著。医療科学社)では、異なる立場間での議論もされ、その中で近藤氏が主張の論拠としているデータの信頼性に疑問が呈されている。

なので、本書は、”放射能”を無条件に怖がる(非科学的)立場を相対化するための最初の書としては説得力があるが、
さらに冷静中立な立場に達するには、他の2書の方へも手をのばしてほしい。

とりわけ「少しの放射線は心配無用」というが、その「少し」って具体的にどの程度の値なのかについて明言がないのも、読後の不満に残るかもしれない。
もっとも、一般に「低線量」は100mSv以下をいうから、少し=100mSv以下とみなしてよいのだが、個人差(特に年齢差)があるはずの現象において、特定の数値が独り歩きするのを避けたかったのだろう。

ちなみに、その”低線量”放射線と健康の問題に特化した書には、専門向きだが『低線量放射線と健康影響』(独立行政法人放射線医学総合研究所編 医療科学社 2007年)がある(このブログで紹介するのは初めて)。この書も、複数の視点から論じられている。

みなさんも、複数の立場からの(新しいデータによる)論拠をそれぞれ理解して、最後は自分の頭と数値で判断できるようになってほしい。