Willow's Island

since 2005

人生記録4(30歳から35歳まで)

2012年03月02日 23時12分47秒 | その他

11.文化ホール(30~32歳)
 年度途中での突然の異動だった。たまたま休みをとって東京に来ており、新宿歌舞伎町を歩いている時に課長から電話があって異動を告げられたときは、本当にびっくりした。
 岐阜市にある文化ホールで、貸し館や自主企画事業をやることが担当となった。また私は一人暮らしに戻ったのである。仕事は比較的ストレスが少なく、なかなか面白かった。文化振興に関わることはもちろん初めてなので、刺激を受けることも多かった。寄席を主催して、その時に桂歌丸師匠や三遊亭楽太郎(現・円楽)師匠らと直に会い、一緒に写真を撮ったことは、今でも貴重な思い出となっている。この他にも演劇、能・狂言、映画祭、等を主催して、そのたびに勉強になった。
 この職場での最大の収穫は、文化の大切さを知った、ということだ。このために、私は私生活でも文化的なことには金を惜しまないようになった。映画やコンサートなどに躊躇せず行くようになったのは、この頃からである。
 独り身の気楽な生活ゆえ、旅行にもよく行った。海外だと、この2年半だけで韓国へ2回、オーストラリア、香港へは1回ずつ行った。ネットで知り合った韓国人とソウルで会ったりすることが、特に楽しかった。
 この時は、アパートに帰るとネットばかりやっていた。今はなき中央日報の翻訳掲示板やEnjoy Koreaなどで韓国人とよく議論したものである。この当時流行っていたWinMXやwinnyで、いろんなファイルをダウンロードしたりすることも楽しかった。そして32歳の時には、ついに自分自身のブログを持つに至ったのである。このWillow's Islandを立ち上げたのは、まさにこの時期であった。以降7年以上、私は自分の考えること、感じること、他の人に知ってもらいこと、をネット上に発信し続けている。

12.福祉事務所(33~35歳)
 まったく予想外の福祉事務所へ異動となった2005年は、いろんな意味で私にとって転機となる年であった。この当時はただ大変だとしか感じなかった福祉関係の仕事を、なぜか現在に至っても続けているのは、やはり何か運命的なものがあったのかもしれない。しかしそれよりも運命的だったのは、現在の妻と出会ったことである。おかげで私は結婚し、子どもが生まれ、自分の家まで持つに至った。このことが私の人生に与えた影響は果てしなく大きい。職場が中濃地区ということで美濃加茂に引っ越したのだが、そういうことがなければ、妻とも出会ってなかったわけで、これは運命としか言いようがない。
 しかし仕事は、私にとって少々荷が重かった。この当時の福祉事務所の仕事といえば、現在私が福祉課で担当している業務量の3倍以上はあったと思う。1年目は、午前1時過ぎまで残業することが珍しくなかった。比較的早く帰れるようになっても、必ず夜10時過ぎだった。1人欠員が出たせいで生活保護をやることになり、対外的に受けるストレスも急激に高まった。この当時は裏金問題の発覚もあり、県の所属はどこも非常に緊張し、ピリピリしていた。そのような中で神経質になった上司との関係もまったくうまく行かなかった。私は仕事そのものに非常な嫌悪感を持つようになり、過度のストレスによって血圧が一気に高くなってしまった(高血圧は現在になっても治っていない)。
 もしこの時に妻がいなければ、メンヘルになるか、仕事をやめていたかもしれない。そういう意味でも、結婚できて本当に良かった。この時期を乗り越えることができたからこそ、現在の私があるのだ。
 もちろん、ただ仕事で大変というだけではなかった。新婚生活は楽しく、思い出深いことが多かった。この時の主な出来事は、当ブログでも年に1回「10大ニュース」としてまとめたところである。
2005年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/4eb1575e46c609f34e0d3bc2712d1c51
2006年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/7d2b7117ce7096fb9086a0a9d68f4943
2007年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/fef57515ee82ae4bf5544bc0dd52ccbe

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