Willow's Island

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ロヒンギャ問題とスーチー

2017年09月30日 07時09分56秒 | 時事

 今、ミャンマーではロヒンギャが迫害され難民化していることが、国際的な大問題になっている。ロヒンギャは不法移民集団でテロ行為を行っているからだ、という指摘も聞くが、だからといって、子どもまで含めた貧しい人々を虐待、殺害して良い理由にはならないだろう。ミャンマーへの非難には十分な理由があると思う。
 そこでよく聞かれるのが、ミャンマーの最高権力者アウンサン・スーチーへの批判だ。民主化のリーダーであったはずなのに、なぜロヒンギャ問題を見て見ぬふりをするのか、というものである。ノーベル平和賞を剥奪すべき、という声も聞かれる。確かに、彼女にはロヒンギャの人権をどうにかしようという意思は全く感じられない。
 しかし思うのだが、スーチーが特に変わったというわけではなく、今までアメリカ主導の国際世論が彼女のことを勝手に誤解していただけではないか? アウンサン・スーチーとは元々そういう人間であった、ということではないか。
 民主主義の主導者というよりも、「民衆を味方につける人」という解釈が正しかったように思える。要するに、軍部との権力争いだ。軍部の道具が武器であれば、スーチーは民衆(ついでに国際世論)を道具にすることにより対抗することができた、という解釈ができる。何といっても、ミャンマーの英雄アウンサン将軍の娘だ。そのおかげで軍部の力とも互角に戦うことができ、つい最近になってようやく勝利を収めたのである。そんな彼女に、ミャンマーの民衆が憎んでいるロヒンギャを擁護する、などという選択肢があるはずがない。
 スーチー(及び大多数のミャンマー人)にとって、民主主義とは「民衆を味方につけた者が勝ち」という制度にしかすぎなかったのかもしれない。であれば、正式に選挙という手続きを経ていないにもかかわらず「私は大統領以上の権力」などと発言したことも納得できる。欧米人とは明らかに「民主主義」の解釈が違うのである。

首相 国連で北朝鮮への圧力強化呼びかけへ

2017年09月18日 06時05分05秒 | 時事

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170918/k10011144781000.html
 上の記事によると、安倍首相は国連の一般討論演説などで、北朝鮮に核やミサイル開発を放棄させるには圧力の強化が必要だとして、国際社会の結束した対応を呼びかける、とのことだ。北朝鮮にはさらなる圧力の強化で臨むしかない、というわけである。
 しかし、いくら圧力をかけたところで、北朝鮮が核開発(もうほとんど完成しているかもしれない)を止めるわけがないだろう、と思う。国民の生活など完全に無視しながら、数十年もかけてひたすら実験や開発を続けてきたのだ。核が無ければ非常に脆弱な状況にある北朝鮮が、今さら手放すわけがない。
 もちろん、対話路線に持っていったところで、同じことだ。対話したところで、圧力の場合と全く同じ理由で、核開発を止める力にはなりえない。何しろ、核ミサイルこそが、金正恩体制を維持する最後の命綱だからだ。忘れてはならないのが、北朝鮮は金王朝を守ることだけが唯一至上命題の国である、ということだ。
 それにしても北朝鮮は、やけにミサイル実験ばかり繰り返している。最近は立て続けだ。思うに、アメリカが金正恩の斬首作戦を計画している、という話が聞こえるようになってきたからではないか。おそらくあの電話頭は、そのことで非常にビクビクしているのだと思われる。ちょっとでも寝首をかかれそうな疑いがあれば、実の兄でさえ白昼堂々と暗殺するような男だ。「斬首作戦」を断念させるためであれば、どんな無茶でもやるであろう。
 では、日本はどうすればいいか。わざわざ口に出して認めないまでも、北朝鮮は「核ミサイルを持つ国」として認識していくしかないであろう。だが、もし万が一、北朝鮮が核を背後に日本を恫喝するようなことがあれば(そのようなことは中国でさえやっていない)、その時こそが、日本も核兵器を配備することを真剣に検討すべき時期だ、と言える。核攻撃にさらされているのだから、それは十分な理由になる。少なくとも、アメリカに核シェアリングを要求するぐらいのことは、当然やるべき、ということになる。

ホイットニー・ヒューストン When You Believe 日本語訳

2017年09月10日 06時30分20秒 | 音楽

Many nights we prayed
祈りを捧げた多くの夜
With no proof anyone could hear
誰にも聞こえることはなかったけど
In our hearts a hope for a song
心の中で 一つの歌を聴きたいという願いは
We barely understood
どうにか理解できたわ

Now we are not afraid
もう怖れることはない
Although we know there's much to fear
恐ろしいものはたくさんあるけれど
We were moving mountains
私たちは山さえも動かしてきた
Long before we knew we could, whoa, yes
自分たちでも知らないうちから ずっと

There can be miracles
奇跡は起きる
When you believe
信じていれば
Though hope is frail
望みは儚いものだけど
Its hard to kill
簡単には潰せない

Who knows what miracles
誰にも決して分からない
You can achieve
あなたの起こす奇跡
When you believe somehow you will
あなたが信じれば いつかきっと
You will when you believe
きっと 信じていれば

Mmmyeah
In this time of fear
この恐怖の時代
When prayer so often proves in vain
祈りは無駄なものになることも多い

Hope seems like the summer bird
希望は夏の鳥のよう
Too swiftly flown away
あまりに速く 飛んでいってしまう
Yet now I'm standing here
それでも私は ここに立っている
My hearts so full, I can't explain
語りつくせないほどの思いを いっぱいに込めて

Seeking faith and speakin' words
信念を求め 自分が言うとは思わなかった
I never thought I'd say
言葉を語りだせば
There can be miracles
奇跡は起きる
When you believe (When you believe)
あなたが信じれば(信じていれば)

Though hope is frail
望みは儚いものだけど
Its hard to kill (Mmm)
簡単には潰せない
Who knows what miracles
誰にも決して分からない
You can achieve (You can achieve)
あなたの起こす奇跡(あなたが起こすの)

When you believe somehow you will
あなたが信じれば いつかきっと
You will when you believe
きっと 信じていれば
(Hey)
(Ooh)

They don't always happen when you ask
望めばいつでも起きるとはかぎらないし
And its easy to give in to your fears
恐怖に負けてしまうことも多い
But when you're blinded by your pain
でも 苦しみで真っ暗闇の中にいるとき
Can't see the way, get through the rain
前が見えなくなっているときは 何とか切り抜けて

A small but still, resilient voice
小さいけど静かな 粘り強い声が伝える
Says hope is very near, oh (Oh)
希望はすぐ近くにあると
There can be miracles (Miracles)
奇跡は起きる(奇跡は)
When you believe (Boy, when you believe, yeah) (Though hope is frail)
信じていれば(そうよ、信じていれば)(望みは儚いけれど)

Though hope is frail (Its hard)
望みは儚いけれど(そう簡単には)
Its hard to kill (Hard to kill, oh, yeah)
簡単には潰せない(潰せないものよ)
Who knows what miracles
誰にも決して分からない
You can achieve (You can achieve, oh)
あなたが起こす軌跡(あなたが起こすの)

When you believe somehow you will (Somehow, somehow, somehow)
信じれば いつかきっと(いつか、いつか、いつか)
Somehow you will (I know, I know, know)
いつかきっと(信じてる、信じてる)
You will when you believe (When you)
きっと 信じていれば(きっと・・・)
(Oh oh)

警視庁いきもの係

2017年09月03日 07時20分44秒 | テレビ

http://news.livedoor.com/article/detail/13498826/
 少し前の話になるが、デイリー新潮でデイブ・スペクターが日本のテレビドラマについて痛烈な批判をしていた(上記リンクをクリック)。デイブ曰く、

 最近は日本でもCSやBS、HuluやNetflixで日常的に海外ドラマを観ることができます。海外ドラマを観慣れてくると、日本との差は一目瞭然。下手な役者に薄っぺらい脚本、ベタな演出、安っぽい映像技術と、日本のドラマには負の要素が詰まってる。しかも、予算は削られる一方でしょ。知らぬが仏を決め込んでいるのはテレビ局関係者だけです。
<略>
 原因は、日本のドラマがキャスティング先行で進められるから。テレビ局がドラマ制作で大事にしているのは、視聴者ではなく芸能プロダクションとの関係です。テレビ局の幹部がプロダクションに接待されて、「うちの子、頼みますよ」と言われたら断れない。加計学園と同じで忖度なんですよ。それで「大抜擢」されるのは、演技力どころか一般常識もないカワイイだけのタレント。スターバックスのバイト面接でも落ちるような、ね。結局、テレビ局がプロダクションの意向を汲んで「大抜擢させた」だけのこと。バラエティ番組と変わらない仕組み。


 ・・・とのこと。「その通りだよなあ」と私も思った。日本には大人の鑑賞に耐えうるドラマが無いのだそうだ。さすがに全てのドラマがそうだとは言い切れないが、デイブがそう言いたくなるもの理解はできる。
 しかし、大人のドラマは駄目だとしても、では子ども向けのドラマはどうか。少なくともフジテレビで放送中の「警視庁いきもの係」は、十分すぎるほどに「子どもの鑑賞に耐える」ドラマだと思う。
 わが家の長女と次女は、この番組を毎週録画して必ず見るだけでなく、その録画したものを月曜日から土曜日までの間で毎日1回ずつ以上は再生して見ているのだ。つまり、同じエピソードを必ず7回以上は見ている、ということになる。すごいハマりようだ。特に次女などは、録画なので何回も見られるにもかかわらず、テレビで「いきもの係」が流れていないと泣き出すほどである。3歳なのに、登場人物の名前はすべて覚えてしまった。わが家においては、まさに今年を代表するメガヒットドラマなのである。
 この「警視庁いきもの係」もデイブに言わせれば、橋本環奈主演ということ先行で作られたくだらないドラマの一つに過ぎないのかもしれない。しかし、アメリカやイギリスのテレビ局は、うちの子をこれほど夢中にさせるドラマを作っているのだろうか? 一度デイブに聞いてみたいものである。

<追記>
 9月3日放送の第9回は、大人の私が見ても非常に面白かった。注目は、「歌のお兄さん」として有名な横山だいすけが演じる四十万巡査だ。普段はダジャレ好きな軽い役回りでまだ「お兄さん」という感じが強かったのだが、今回のエピソード終盤でいきなり、下の写真のような強面を見せたのである。当然だがこんな顔、「おかあさんといっしょ」では絶対に見ることはなかった。これはなかなかすごい展開だ。おそらく、交番勤務の巡査というのは仮の姿で、本当は宗教団体をマークしていた公安だった、というところではないか。次週の最終回がすごく気になる。