Willow's Island

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韓国の兄妹アーティスト 楽童ミュージシャン(AKMU) について Part 2

2017年11月25日 07時16分11秒 | 音楽
↓要クリック! 楽童ミュージシャン AKMU 「今更どうして」 日本語字幕

 先回の続きで、楽童ミュージシャンの経歴を日本語に訳して、以下に掲載する。日本では知ってる人がほとんどいないだろうが、この2人の才能は、もっと知られるべきだと思う。ずいぶん若いが、まさに本物のアーティストである。兄のチャンヒョクが軍に入隊してしまったことが、本当に惜しい。


2015:カナダ ガッチ
2015年10月9日、楽童ミュージシャンはYGエンターテインメントとウリカードがコラボレーションで企画、製作されたハングルの日を記念したキャンペーン スペシャル ビデオ"カナダ ガッチ"に出演した。

2016:《思春期 上》
2016年4月4日、YGエンターテインメント側で楽童ミュージシャンが2年の空白期間を破り、5月4日にカムバックを確定したと明らかにした。 それとともに、メンバー イ・チャンヒョクは今回のアルバム「思春期」上下を最後に、来年軍に入隊する計画だと明らかにした。

4月24日、楽童ミュージシャンのセカンドアルバム《思春期》でのカムバックを確定した。 5月4日00時00分、セカンドアルバムである《思春期 上》のデジタル音源を発売して、5月9日CDを発売した。 イ・チャンヒョクはファースト フルアルバム《PLAY》と同じようにすべての曲を作詞、作曲した。 と<人々が動くこと>の2曲がタイトル曲に決まった。 その他の収録曲は<今さらなぜ>、<緑の窓>、<ささいなことで>、<周辺人>などがある。 やはり続々とチャート・インし、音楽放送、芸能、ラジオなどにおいても活発に活動した。 当時出演した放送では<週刊アイドル>、<ユ・ヒヨルのスケッチブック>などがある。 11月12日楽童ミュージシャンは台北で初めての海外単独ショーケースAKMU STUDIOを開催した。 台北を皮切りに12月9日シンガポールでショーケースを開催し、12月22日には中国、上海でショーケースを開催した。

2016年10月11日にはドラマ<麗 〜花萌ゆる8人の皇子たち〜>のOST <BE WITH YOU>を発売した。

2016年12月5日、楽童ミュージシャンは《思春期 上》を発売してから約7ヶ月目に2017年1月3日《思春期 下》を発売するというティーザーイメージを公開、カムバックを予告した。

2017:《思春期 下》
2017年1月3日、楽童ミュージシャンは《思春期 下》を発売した。《思春期 上》がミニアルバムだったのに対して《思春期 下》はフルアルバムで発売された。 同じようにイ・チャンヒョクがすべての曲を作詞、作曲し、すべての主なチャートで列を成すことに成功した。 タイトル曲は<リアリティー>と<長い日 長い夜>に選ばれ、その他にも、人生の一切れも忘れたくないという内容の<生放送>、実は楽童ミュージシャンは不細工なのでなく不細工なようにしている、という内容の<不細工のように>、チョコレートのように甘く甘く愛したいという内容の<CHOCOLADY>、<YOU KNOW ME>、<家に帰る道>、小学生時代の友人らとその時の夢を思い出して作った曲<その時 その子たちは>がある。 以後、音楽放送で6週間活動し、<マイ リトル テレビ>、<冷蔵庫をお願い>、<1泊2日>、<ある日突然100万ウォン>、<ラジオスター>、<兄さんの考え>など数多くの放送に出演した。 特に<ラジオスター>に出演した時には共演した歌手ヤン・ヒウンと共にシングル<木>を公開したりもした。

2017年中盤には、3月23日ソウル<楽ミュー日記>を始め、7月22日<楽ミュー日記in高揚>まで、楽童ミュージシャンのセカンド全国ツアー単独コンサート<日記帳>を進めた。 また、過去の放送を通じて何度も第2の夢がビューティーYouTuberだと明らかにしていたイ・スヒョンが、ビューティー映像の製作を始めた。このチャンネルは初めての映像アップロード以後、一週間も経たないうちに購読者数 10万人を達成した。その他にも、色々な大学祭に登場するなど行事活動を活発に行った。

同じ年7月20日、楽童ミュージシャンは午後6時に新しいシングル アルバム《SUMMER EPISODE》を公開して<DINOSAUR>と<MY DARLING>の2曲をリリースした。 非常にぞっとした雰囲気のティーザーのため、'納涼 コンセプト'に対する推測も出てきたが、発売以後、清涼感のある夏の歌として位置づけられた。

以後、イ・チャンヒョクは先立って放送を通じて言及した通り、2017年9月18日海兵隊に志願して入隊した。退役予定日は2019年6月19日だ。 イ・チャンヒョクは自身が活動できない時期にイ・スヒョンが一人で残ることになることを憂慮して、入隊前にイ・スヒョンのソロ曲の作業をしたことがわかった。

韓国の兄妹アーティスト 楽童ミュージシャン(AKMU) について Part 1

2017年11月23日 10時23分24秒 | 音楽
↓要クリック! 【日本語字幕】Be with you(月の恋人ost) - 楽童ミュージシャン (movie ver.)

 2年前にもこのブログで紹介した楽童ミュージシャンだが、去年あたりから現在まで(チャンヒョクは兵役に入ってしまったが)の活動があまりに素晴らしすぎるので、改めて詳細に紹介しようと思う。以下は、彼らの経歴について述べた韓国語版ウィキペディアの記事を、私が日本語訳したものである。かなり長くなるので、2回に分けて掲載することにした。まずはPart 1 である。


2012-2013:Kポップ スター2優勝
イ・チャンヒョク(1996年生)とイ・スヒョン(1999年生)は大韓民国で生まれた。 彼らの父イ・ソングン、母チュ・セヒは京畿道(キョンギド)一山(イルサン)光臨教会と「橋をかける人々」所属の宣教師で2008年からモンゴル、ウランバートルで礼拝布教に従事している。兄妹が初めてモンゴルに行ったのは2008年、イ・チャンヒョクが小学校6学年、イ・スヒョンが小学校3学年時だった。初めは現地のウランバートル宣教師子女(MK)のための学校を共に通ったが、後援支援金が減って財政的限界に直面し、ホームスクーリングをすることになって、5年余りの間モンゴルで生活した。

2012年8月、彼らは蚕室(チャムシル)室内体育館で開かれたSBS 《Kポップ スター2》の本戦1ラウンド タレント オーディションに参加した。兄妹はMiss Aの"Breathe"と自作曲の"脚を組むな"を予選オーディションで歌い、審査委員から最高の賛辞を受け合格した。 特にパク・チニョンは“これこそ正にシンガーソングライターであり、デュエットだ”と言って賞賛を惜しまなかった。また、“普通は才能が一方に偏るものだが、この兄妹は二人とも才能がある”と絶賛した。 BoAとヤン・ヒョンソクもまた、作曲の実力をほめて“歌詞にライムがある、本当にすごい”、“Kポップスターシーズンを通じてこのような参加者はないだろう”と話した。兄妹は本戦3ラウンド キャスティング オーディションでも印象的な舞台を披露し、続いて審査委員から肯定的な評価を受けた。だが、本戦3ラウンド キャスティング オーディション ファイナルステージにおいては、自作曲"醜いから"を披露したものの、以前の舞台とは違い多少緊張した姿を見せ、審査委員から“負担が大きかったようだ”“今日の舞台は多少惜しい”という酷評を受けた。それにもかかわらず、彼らは激しいサバイバル競演を経たあげく、最終的に優勝した。オーディションが開催される間、楽童ミュージシャンの音源配給はローエン・エンターテイメントから発売された。12月12日に音源が発売された"魅力があって"は、発売と同時にガオン・チャートで1位を占めた。オーディションが終わった後、エンターテイメント会社と契約をしなかったにもかかわらず、彼らは様々なCMと、テレビドラマ《私の恋愛の全て》 OST "I Love You"等の色々な曲に参加した。

2013年5月24日、優勝者が直接3大企画会社のうち1ヶ所を選択できる特権により、楽童ミュージシャンはYGエンターテインメントを最終選択し、契約を締結した。

2014:デビューとPLAY
楽童ミュージシャンは2014年4月7日、デビューアルバムでありファースト フルアルバム《PLAY》をデジタル音源発売し、4月9日にはCDを発売した。イ・チャンヒョクはこのCDのすべての曲を作詞、作曲、プロデュースした。ファンたちの投票によって支持を受けた3曲がタイトル曲に決まり、それぞれ別のミュージックビデオが製作された。 初めての曲"200%"はヤン・ヒョンソク代表が推薦して、2番目の曲"氷"は楽童ミュージシャン"が推薦した。このCDはビルボード ワールド アルバム チャートにおいて2位でデビューした。楽童ミュージシャンは2014年4月6日、SBS 《Kポップ スター3》で正式デビューのステージを飾った。 "200 %"のミュージックビデオはデジタル音源の発売日である4月7日に公開された。 発売と同時に、"200 %"は各種音源チャートで頂点に上った。 特にアルバム全曲の11曲がチャートに列を成す形で音源チャートをしばらくの間独占し、「音源強者」とされた。 "氷"のミュージックビデオは4月14日に公開された。 最後のタイトル曲"Give Love"は"200%"と"氷"に続き、3位を占めた。 このミュージックビデオは5月2日公開された。

2014年6月16日、楽童ミュージシャンはYGファミリーのカバープロジェクトの一環で、ビッグバンのテヤンの話題曲"目、鼻、口"をカバーした。 2014年11月には楽童ミュージシャン初めてのライブ コンサート ツアーAKMU Campを開催した。

10月10日、楽童ミュージシャンはイ・チャンヒョクが作詞、作曲したデジタル シングル<時間と落葉>をハングルの日に発売し、英語歌詞のない純粋で感性を刺激する'秋の歌'でもう一度音源チャート1位に永く存在し、多くの人々に思い出に浸らせる名曲を見せてくれた。当初、この曲はファースト フルアルバム《PLAY》に収録される予定だったが、秋にぴったりだという判断で10月に発売された。この歌は各種音源チャートで"独占"を達成して頂点に上った。また、ガオン デジタル チャートで週間1位を記録した。

2014年11月5日、イ・スヒョンはYGファミリーのソロ女性歌手イ・ハイとともにユニットを結成した。彼女らのデビューデジタル シングル<私は違う>は11月11日発売された。

溝口敦「食肉の帝王」

2017年11月14日 23時39分24秒 | 

 平成16年に発行された溝口敦のノンフィクション「食肉の帝王」を今更読んでみた。この本のアマゾン(リンク先)による内容紹介をコピペすると、以下のとおり。

講談社ノンフィクション賞受賞
金丸信から星野仙一まで政・官・財・暴を操る!
食肉店の奉公人から身を起こし、と暴力の威光で日本を“裏支配”した食肉業界のドンがこの1冊を機に逮捕!!
“最後のフィクサー”浅田満――自民党のドンから山口組5代目、さらには宝塚スター、元横綱・北勝海に元阪神監督・星野仙一まで……その“威光”は、広く日本社会に浸透している。と暴力を背景に、途方もなく肥え太った男の半生を赤裸々に綴った衝撃作!!政・官・財・暴を手玉に取った「食肉業界のドン」が、狂牛病騒動に乗じてわれわれ国民の“血税”を貪(むさぼ)り喰らう様を暴く!


 10年以上前の本とはいえ、これは今年読んだ本の中でも最も衝撃的なドキュメンタリーの一つである。利権という言葉は知っていたが、これほどまですごいものとは思わなかった。この本によると、大阪国税局は解放同盟等を経由する税の申告についてはフリーパスで認める、という確認書さえ存在した、というのである。さすがに今はもうないと信じたいが、前世紀においてはこうした類の利権が特定の地区に集中しており、税金が大量に投入されていたらしい。おそろしいことである。
 日本には、なかなか語られることのないタブーがまだ存在することを知った。このようなルポを世に出した溝口敦氏の勇気は本当にすごい。彼の著作をもっと読んでいこうと思う。
 あと、鈴木宗男はやっぱりク○であることも、これを読んでよく分かった。

杉原千畝のリスト、世界記憶遺産に落選

2017年11月04日 07時01分22秒 | 時事

 八百津町や岐阜県が申請をしていた杉原千畝の資料は、ユネスコの世界記憶遺産には登録されなかった。町や県は垂れ幕まで作ってすごく期待していただけに、失望は大きい。
 しかし考えてみれば、落選したのも分かる気がする。今でこそ杉原は人権、人道の精神を実現した者として国内で賞賛されているが、彼が現役の外交官だった時代はどうだったか。ナチス・ドイツは敗戦するまで日本の同盟国であり、日本の外務省は彼の行動を全否定していたのである。日本国民も戦後しばらくは杉原の存在など知らず、無関心だった。
 それが平成の世になって「日本のシンドラーと呼ばれる人がいたらしい」と噂になり、急に世間では彼が賞賛されるようになった。今になって地方政府(local government)が杉原の功績を世界遺産に、と言ったところで、確かに虫のいい話ともいえる。
 なお、一部の市民団体が申請していた慰安婦に関する記録も落選したようだ。代わりに世界記憶遺産に登録されたのは、高崎にある石碑群と、朝鮮通信使に関する記録なのだそうだ。慰安婦問題など国際間で揉めそうな話は敬遠して、それよりも、どこからも文句が出そうにない朝鮮通信使の記憶を残すことによって、日韓はもっと仲良くしてね、というユネスコの計らいなのかもしれない。単に歴史資料として見れば朝鮮通信使にそれほど重要な意味があるとは思えず、私にはそういう計らいがあったようにしか見えない。
 ところで朝鮮通信使といえば、本国からろくな資金を持たされていなかったせいか食料などは日本で現地調達していたそうだ。それでやむなく日本人の家から鶏を盗もうとして、町民から棒で叩かれていた、という記録もあるらしい。こうした記録も含めて、ぜひ「世界の記憶」としていただきたい。(^^)