Willow's Island

since 2005

最後の日

2005年03月31日 22時40分22秒 | その他
 今日は、今の職場で最後の勤務日だった。思えば、ここには2年半いたことになる。
そう長い期間ではないが、あっという間に過ぎてしまったような気がする。私の職業は
転勤が多く、次で5つ目の職場ということになる。これで就職してからちょうど10年が
経つので、平均して1つの職場に2年半ずついたことになる。転勤のたびに別れや
出会いがあり、またそのたびに新しいことを覚えなければならない。正直言って疲れるが、
これはこれで人生にメリハリがついて良いかもしれない。今日も今の職場で最後の日を
過ごし、去っていくときは何かを卒業したような気分になった。(^^) 私が「お世話に
なりました」と挨拶すると、普段は仲が良いとはいえない同僚も、あたたかい言葉を
かけてくれる。新しい職場への不安もあるが、今はけっこう清清しい気分である。
 新しい職場は遠いので、明日は6時半には起きなければならない。早くシャワーを
浴びて寝るとしよう。

日本VSバーレーン

2005年03月30日 22時51分11秒 | その他
http://live.sports.yahoo.co.jp/sportsnavi/jpn_20050330.html
なかなか苦しそうな試合ではあったが、バーレーンのオウンゴールによって
何とか1:0で勝つことができた。これで日本はワールドカップに行ける可能性が
がぜん大きくなってきたわけである。北朝鮮はもう無理っぽいが。(^^)
終始日本が攻勢に回って、いい試合だったんじゃないかと思う。
しかしバーレーンも予想以上に強く、なかなか点をとらせてくれなかった。
サルミーン選手のオウンゴールがなければ、どうなっていたか分からない。
イランといい、バーレーンといい、中東勢もずいぶん強くなった。
日本は絶対に油断せず、ワールドカップ出場を決めてほしいものである。

ところで今日、ついに花粉症にかかってしまった。「もうそろそろ大丈夫だろう」と
油断してしまい、アロエヨーグルトを食べなくなったのが原因だろうか。
目は常に涙目で、くしゃみは出だすと止まらず、鼻もつまって変な声が出てしまう。
典型的な花粉症の症状である。もうすぐ4月だからといって油断するべきではなかった。
とにかく今日は鼻炎の薬を飲んで、はやく寝るしかない。

3年B組金八先生 パート1

2005年03月29日 23時46分29秒 | テレビ
 今日は夕方から余裕ができたので、レンタル屋で金八パート1(1979年度)の
ビデオを借りてきた。この金八パート?を見るのは、私が中学生の時にやっていた
再放送以来、約20年ぶりである。
 やっぱり25年前の世界を見てみると、かえって新鮮なものである。多くのことが
現在の金八とは異なっており、やはり時代背景が大きく変わってたんだな、と実感
した。金八も若く、顔は生気がみなぎっており、背もそれなりに高い。カンカンは
もっと若く、なかなか格好良い。国井先生に至っては、「はたして同一人物か?」
と思うほどスマートだ。(^^) 服部先生はあんまり変わってないが。
 私が見たエピソードでは、受験を控えて不安な生徒たちが、真夜中に金八へ
電話をかける、というシーンがあった。今でこそ携帯やメールというコミュニケーション
ツールがあるが、この頃は当然、ダイヤル式の黒電話であった。いまの中学生ぐらい
だと、ダイヤル式電話の使い方なんて知らないんじゃなかろうか。それから、女生徒
たちの話し方も違う。「・・・ですもの」とか「・・・だわ」なんて言ってる。この頃はまだ、
いわゆる女言葉が生きていたのか。あと、この頃の金八は下宿をしており、その家の
おかみさんがまた、見事な江戸っ子言葉なのである。なんか一流の落語を聞いている
ような感じがして、聞きほれてしまった。25年前というのは、やっぱり言葉からして
今とは違うな、と思った。
 金八自身も、若々しさはあるのだが、今と違って慎重さに欠けるな、と感じた。現在と
比べれば言葉遣いも乱暴で、勢いに任せてる感はある。冗談半分にしろ、生徒に向かって
「ぶっ飛ばす」なんて言ってるし。(^^) 生徒側もそれが問題だという意識は全然ない。
それから、今でこそ金八は生徒を下の名前やあだ名で呼んでいるが、この頃はみんな
苗字で呼んでいた。まあそれが普通だったのだろう。
 たのきんトリオも、この頃はさわやかな少年たちであった。思えば、「金八の生徒役には
ジャニーズ枠が3人」というのは、この頃から決まっていたのだ。当時は初々しさの残って
いた彼らなのだが、トシちゃんは若禿げになり、マッチは芸能活動そっちのけでF1にのめり
込み、ヨッちゃんは長髪と無精ひげのデブになる、などと誰が予想したであろうか?(^^)

年度末三大業務

2005年03月28日 23時39分02秒 | その他
 今日は午前中に美濃加茂にある新しい職場へ行って、引継ぎを受けてきた。
引継ぎがあるのは9時半からだったので、家は7時半に出たが、思ったほど
道は混んでおらず、8時45分ごろに着くことができた。ということは、7時ぐらいに
出れば8時半には間に合うということか。
 仕事そのものは、それほど厳しいものではなさそうな感じがした。これから
同僚になる人も、感じのいい人ばかりである。仕事をする上では、それが何よりも
重要だろう。まだ仕事のことははっきり分からないが、少し安心した。
 引き受けが終わってからは、すぐに岐阜市に戻り、現在の職場へ新しく来る人
を待った。私の後任になるのは30歳の女性だが、わざわざ東京から引継ぎを
受けに来たようである。なんとお土産に東京ばな奈までいただいた。そんな
気を使ってくれなくてもいいのに・・・。実はこの人、電話で話した感じでは一方的で
自己中心的な印象が強かったのだが、それなりに気を使うこともできるようだ。
仕事の飲み込みもなかなかはやく、少し安心した。
 夜からは、送別会に出た。この職場の送別会は少し変わっていて、立食パーティ
形式である。酒を少々飲んだが、無理に勧められることもないし、食いたいだけ
食えばさっさと退出できるので、非常に助かる。(^^)
 今日一日で、引き受け・引継ぎ・送別会、という年度末の三大業務を全部こなして
しまった。明日は休みである。ゆっくりしよう・・・と言いたいが、やることはたくさん
あるから、そうもいかんな。^^;

台湾の100万人デモ

2005年03月27日 23時19分19秒 | 中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050326-00000064-mai-int
 台北ですごいデモがあったようである。たしか台北市の人口は260万人ぐらいだが、
本当に100万人も集まったのだろうか。台湾全土から集まったとしても、すごい数である。
当然ではあるが、やはり中国の反国家分裂法には許しがたいものがあったようだ。
一国の総統自らが参加するデモというのも珍しい。台湾人にしてみれば、今すぐ独立
したいというよりも、戦争が起きるのは絶対嫌、ということだろう。中国に飲み込まれる
のは嫌だが、かといって戦争を起こしてまで独立したくない、というのが普通の台湾人の
本音だと思う。もし私が台湾人であっても、そう思うだろう。
 しかしいつも思うのだが、「台湾独立か、それとも統一か」という議論を聞いていると、何か
変な気分になる。中国がいくら「独立反対」とか「台湾は中国の領土」とか言ってみたところで、
すでに台湾は事実上独立してるんじゃないか? 台湾は独自の体制と政府を持っており、
台湾人は独自のパスポートを持っている。中国の法律は台湾の国民に適用されていない。
これってどう見ても、独立してるってことじゃないの? 台湾独自のパスポートを中国自身が
認めてる時点で、「台湾は中国だ」とか聞いても、「なんだかなー」としか思えない。 

通勤問題

2005年03月26日 23時57分39秒 | その他
 今日は美濃加茂にある新しい職場まで車で行ってみた。朝9時に出発し、
着いたのは10時ぐらいだった。土曜日の朝で1時間かかるということは、
平日の通勤ラッシュ時だと、1時間半以上はかかってしまうだろうか? 
けっこうな時間である。朝8時半までに出勤しようとすると、7時より前には
家を出なければいけない。今の生活だと、たいていまだ寝てる時間だ。
今の職場は奇跡的に私のアパートから近く、歩いて1・2分しかかからない。
だから私が毎日家を出るのは、朝8時25分ぐらいで十分なのだ。(^^)
起きるのも7時半ぐらいである。しかし、4月からは6時ぐらいに起きなければ
ならないだろう。けっこうきついもんがあるなあ・・・。
 そうなると、夜も早く寝なければならない。今は1時ぐらいに寝ているが、
それでは寝不足になるので、11時ぐらいに寝ると良さそうだ。しかし新しい
職場が残業の多いところだったりすると、それもきつくなるかもしれない。
うーむ・・・そうなると、「ブログを毎日更新」という私の目標があやうくなる。
残念ながら、4月からは今のように毎日更新、というわけにはいかなくなる
可能性が高い。特に4月は、新環境に適応するためにエネルギーを消費して
夜中にブログを書く気力はなくなってしまうかもしれない・・・。
 でもまあ、文章を短くすれば何とかなるかな。内容が薄くなるのは避けたい
と思うけど。

3年B組金八先生 最終回

2005年03月25日 23時59分17秒 | テレビ
 金八は私の予想どおり教師をやめずにすんだけど、しゅうは少年院送りとなってしまった。
もしかして保護監察かも、と思ったが、覚醒剤の怖ろしさを伝えることがテーマなら、これで
よかったのかもしれない。「第2、第3のしゅうを出さないように」という思いを伝えることが
できたのではないだろうか。願わくば、一人でも多くの青少年がこのドラマによって、ドラッグ
の使用を思いとどまってほしい、と強く感じた。
 今回の4時間スペシャルは感じたことが多すぎて何から書いていいのか分からないが、
とりあえず本当に涙が出たシーンが2つあった。一つは、金八が一人一人の名前を呼んで、
漢字一文字で贈り、生徒も金八も涙を流すシーンである。生徒役の子達も武田鉄也も
最も感極まったところではないかと思う。それにしても、漢字という文字はすごい。たった
一文字だけで、重大な意味を込めることができる。漢字という文字のある日本に生まれて
よかったな、と思えた。ほとんど全てに感動できたけど、最も感動したのは、舞子に贈られた
」も文字と、崇史に贈られた「」の文字、そして最後の最後にしゅうへ贈られた「
の文字だった。私も中学生のときに、あんな先生がいてほしかったな・・・。
 あと一つ泣けたところは、川原でのソーラン節である。単なる29人のソーラン節ではなく、
しゅうも心の中で参加することができ、しっかりと見事なバク宙がきまったシーンは、私の
感動のツボを刺激した。しかし、これからしゅうはどうなるであろうか。少年院から出た後は、
高校に行けるのだろうか。それだけが気がかりである。



宮廷女官 チャングムの誓い

2005年03月24日 23時53分24秒 | テレビ
今日もNHK・BSで「チャングムの誓い」を見た。
これは韓国で50%以上の視聴率を出した大人気ドラマだったそうだ。
確かにこれは、ストーリー展開が面白いし、日本人にとっては
朝鮮王朝時代の風俗について知ることもできて、興味深い。
いわゆる韓流スターに興味のない人でも、「チャングム」は面白い
と言う人が多いようだ。私もこれは良い時代劇だと思う。

今日はハンサングンがチェゴサングン(最高尚宮)に昇格し、
チャングムを出納係に任命して、宮中にはびこる公金横領の不正を
正そう、という話だった。公金横領というテーマは、現代韓国にも、
いや現代日本にも通じるテーマなだけに、今後どのような展開に
なっていくか、楽しみである。逆に追い詰められてしまうのだろうか?

しかし、イ・ヨンエは「酸素のような女性」と呼ばれるほど透明感のある
美しさで有名な女優なのだが、チャングムを演じているときはなぜか、
それほど美しいとは感じられない。すっぴんだからだろうか? 
映画に出ているときは「洗練された美人だなあ」と感じるのだが・・・。
「チャングム」では何か野暮ったさが目立つのはなぜだろう? 

転勤決定

2005年03月23日 23時53分13秒 | その他
今日は私の職場で、転勤の内示があった。
私には関係ないだろう、と思っていたら、上司に名前を呼ばれ、
4月から転勤になることを告げられた。青天の霹靂で、
思わず「マジ!?」と言ってしまい、みんなに笑われた。(^^;)

今度の職場は美濃加茂市にあるらしい。
引越する必要があるか?と思ったが、よく考えたら今住んでる岐阜市
からでも、関市を経由すれば通えなくはない。車で45分ぐらいか? 
しばらくは今のアパートから通って、もし不便だと感じれば、新しい
アパートを探して引越しすればよい。それまでは今の所に住み続けよう。

さて、これからが大変だ。引継ぎをしなければいけないし、4月からは
新しい仕事を覚えなければならない。今度の職場はそれほど厳しい所
でもなさそうだが、また一から覚えなければならないのは辛いことだ。
まだ何をやるのか具体的に分からないし、正直言って不安である。
とはいえ、新しい職場は土日休みなので、今のように平日休みばかり
ではないから、そういう点ではちょっと嬉しい。(^^)

殺人の追憶

2005年03月22日 23時20分40秒 | 映画
今日はWOWOWで録画しておいた韓国映画「殺人の追憶」を見た。
この作品は去年に映画館で見ており、台湾製のDVDも買って、すでに何度も見ている。
しかしそのDVDは台湾製だけに中国語か英語の字幕しかついておらず、日本語の字幕
が付いているものは、映画館で見て以来だった。結局この映画を見るのはこれで
4,5回目だが、良いものは何度見ても良いのである。私が2004年に見た映画の中で
最も心に残った作品の一つだ。

これは1986年から1991年にかけて、韓国の華城(ファソン)で実際に起きた連続婦女暴行
殺人事件をもとにして作られた映画だ。犯人は9人の女性を残虐な手口で殺害しながら、
いまだに捕まっていない。映画において、ソン・ガンホキム・サンギョンの演ずる刑事たちは
何とか犯人を捕まえようと苦闘する。しかし犯人を逮捕できるまでには至らず、ついに中学生
の犠牲者まで出してしまう。そして刑事をやめた主人公は、最初の事件から17年経った
2003年においても、犯人はまだ生きており、普通に生活していることを知ってしまう、というのが
大雑把なあらすじだ。

この実際の事件を扱った映画は、2003年の韓国で大ヒットした。ヒットの要因はいろいろあると
思うが、まず作品性そのものが非常に高い、ということが挙げられる。脚本、演出、演技の
すべてが一流だ。それから、韓国人にとっては自分たちの80年代を思い起こす、という意味も
あったのだと思う。この映画に出てくる刑事たちは、無能というか野蛮というか馬鹿というか、
とにかくこれでは犯人を捕まえられないだろう、と思わせる者ばかりだ。80年代の韓国は、まだ
発展途上国であったことを思い出させる。当時はまだ灯火管制などの制度も生きており、
そのことが結果的に犯人を助けることにもなった。当時の軍事政権を暗に批判しているとも
受け取れる。韓国人はこの映画によって、かつての自分たちを自嘲気味に見つめなおしていた
のだ、と誰か(韓国人)が言っていたが、おそらく本当にそうなのだろう。しかしあの頃は発展
途上国であった韓国が、このような映画を作れるまでに成熟したことは、感動的でさえある。

この映画は、音楽も実に良い。日本人の岩代太郎が手がけたそうだ。彼の手による哀しみに
満ちた音楽は、この作品の主題ともいえる「喪失感」を感じさせて余りある。

現実の華城連続殺人事件は、まだ解決していない。犯人はまだ生きており、もしかしてこの
映画を見ていたのかもしれない。最後のシーンで、ソン・ガンホは呆然とした表情でカメラ目線
となるが、それは映画を見ているかもしれない犯人へ向けての視線、とのことだ。そう考えると
絶望的な気分になるが、まだこの事件の時効は完全に成立したわけではない。最後の事件が
起こったのは1991年4月であり、韓国では殺人の時効は15年であるため、来年の4月に
最終的な時効が成立することになる。それまでに、何とかして犯人が捕まってほしい。

この記事を読んで「殺人の追憶」を見ていない人は、ぜひ見てほしい。既に見たという人は、
日本でノベライズされたこの本も最高にすばらしかったので、ぜひ読んでほしい。(^^)