Willow's Island

since 2005

JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010 月夜PARTY vol.2

2010年03月27日 22時24分33秒 | 音楽

 昨日の夜は、柴田淳のコンサート「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010 月夜PARTY vol.2」を聴きに、仕事を少し早引きして名古屋まで行った。愛知県勤労会館にはたくさんの人が詰めかけており、満席ではないが90%近く席が埋まっていたと思う。全体的には20代から30代前半までの人が多く、男性6割、女性4割ぐらいであった。意外と女性ファンも多いようだ。しかしやはり、中高年のおじさん達(私もか?)も散見された。そういう人たちは大抵ひとりで来ており、二階席だとオペラグラスまで用意していた。(^^) さすが用意周到である。
 私は二階席だったので、しばじゅんの顔がさっぱり見えなかったが、このコンサートには大満足であった。やはりライブは良い。音楽の伝わり方がCDとは違う。これは今回初めて知ったのだが、コンサートでは目をつぶって聴くことも十分に「あり」なのである。もちろん舞台装置や照明などの演出も重要なので、本来は目を開けて見るべきなのだが、何も見えないからこそ、音を鋭敏に感じることもあるのだ。実際に目を閉じて聴いてみると、「音のシャワー」を浴びているように、音楽を全身で感じることができた。これは、ライブでしか体験できないことである。
 今回のコンサートでは20曲近くが歌われたと思うが、私はすべてに感動することができた。中でも最もすごかったのが(私だけでなくあの場にいたみんなが感じたことだと思うが)、上にあげた「君へ」という曲である。この歌が終わった後、私の前の席にいた若いカップルなどは、二人ともハンカチで涙をぬぐっていた。私もそれぐらい感動できるようになりたい。
 実はしばじゅんは2年前、病院で頻繁に検査を受けていた時期があったらしい。医者から「命の危険性」まで告げられたこともあったそうだ(実際には何もなかったが)。そんな不安でたまらない時に、知人から「大丈夫だよ」という言葉をかけてもらえて、すごくうれしかったのだそうだ。しばじゅんは「言葉の力ってすごい」と改めて思い、そんな時の気持ちを歌にしたのが「君へ」なのである。
 しばじゅんにとって思い入れの深い曲だからこそ、聴衆の心にしっかりと届いたのだろう。歌というのは、やはり人の「思い」を伝えられるものだと思うし、それを確かに伝えられる人こそが、本物の歌手ではないだろうか。

しばじゅんのコンサートへ

2010年03月26日 00時43分26秒 | 音楽

 今日(3月26日)の夕方は、柴田淳のコンサート「JUN SHIBATA CONCERT TOUR 2010 月夜PARTY vol.2」を聴きに、愛知県勤労会館へ行く予定である。自分が好きな歌手のコンサートへ行くのは、実は今までの人生で初めてのことである。すごく楽しみだ。
 コンサート終了後は、また感想をここに書くとしよう。 

昼寝

2010年03月22日 23時41分13秒 | 子ども

 この3連休を利用して、仕事の引継書を書斎で書くつもりであったが、実家を訪ねたり子どもの面倒を見ることに忙しく、なかなか思うようにはかどらなかった。やはり子どもがいると、時間を有意義に使うことが難しい。せっかくの3連休だったのだが、土曜日に実家へ行ったことを除けば、子どもの世話をしたか昼寝をしたことぐらいしか思い出せない。
 昼寝といえば、この連休は3日とも連続して昼寝をしてしまった。私は休みの日になると、なぜか昼寝をしてしまう傾向がある。これは寝不足もあるのかもしれないが、もしかして、この方が私にとって自然なのかもしれない。スペインなど南欧の国では「シエスタ」という昼寝の習慣があるそうだし、中国でも「午睡」という習慣があったと聞く。現在の日本には乳幼児を除いて無い習慣ではあるが、実は人間にとって昼寝をした方が自然な形なのかもしれない。さすがに平日に昼寝は無理だが。
 ところで関係ないが、娘も最近は私のことを「おとう」と呼ぶようになった。「お父さん」まであとたった2文字を追加するのみだ。もうちょっとだけがんばれ、わが娘よ。(^^)

池上彰さん

2010年03月16日 22時29分18秒 | 

 私が尊敬する人間というのは本当に数少ないのだが、池上彰さんはその少ないうちの一人である。最近は「学べる!!ニュースショー!」などでテレビ番組への出演がますます増えてきた感があり、「信者」としては嬉しいことだ。池上さんの解説能力がすごいことはもちろんだが、私はその知識量に圧倒されている。彼の数多い著書を読めば分かるが、日本や世界各国で現在起きていること、そして過去に起こったことについて、おそろしく広い範囲で知っているだけでなく、それらがなぜ起きたのかについて、深い分析までできている。よく分からないが、ジャーナリストというのはみんなこれほど知識があるものなんだろうか? 彼の著書を読むたび、自分がいかに何も知らないか、思い知らされる。「解説が分かりやすい」と納得するだけでなく、書かれていることをしっかりと頭に入れなければ・・・。ああいう知識と思考力のある人に私もなりたい。
 池上さんの書いた本はすごく勉強になるものばかりなので、すべてがおすすめなのだが、私が今まで読んだ中で特に良いと思ったのが、「ニッポン、ほんとに格差社会? 」と「そうだったのか!現代史」 である。図書館にも置いてある可能性が高いので、ぜひ読んでいただきたい。

ONE PIECE ワンピース

2010年03月13日 23時03分36秒 | 

 3月4日発売のONE PIECE第57巻は初版300万部を発行し、初版としては日本出版史上の最高記録を樹立したそうだ。ベストセラーになった結果、300万部になったというわけではなく、売り出す最初から300万部が発行された、ということだ。ものすごいことである。それから、「このマンガがすごい! 2010」においても「すごいマンガ」の2位にランクインされていた。連載が始まってから12年以上経っているというのに、この持久力は普通ではない。
 連載当初から数年は私もよく読んでいたが、空島編あたりからあまり読まなくなったので、GEOの貸本コーナーでコミックスを借りて、最近はよく読んでいる。やっぱり、今読んでもすごく面白い。
 絵柄はうまくてお洒落だし、ストーリーは感動するし、何よりもキャラクターがこれほど生き生きしている漫画はない。「冒険活劇」という少年漫画の王道を行きながら、常に新しい感覚も持ち合わせている。「海賊王を目指す少年が旅に出て、仲間を得ながらどんどん強くなっていく」というテーマは、それだけを見ればあまりにも「王道」で陳腐な印象を与えるが、実際には全くそうなっていない。やはり作者である尾田栄一郎氏の想像力が半端ではないこと、そしてその想像力を存分に生かすための表現力を同時に持ち合わせていること、が要因だろう。昔知り合った韓国人も「とにかく想像力がすごい」と感心していた。
 私が特に感心するのは、12年以上も高いテンションを維持し、ダレるどころかますます人気を高めている、という点である。普通、少年漫画といえばそんなに長く続くものではない。他にも名作と言われる漫画は過去に多いが、こういう例はかつて見られなかったと思う。

住宅借入金等特別控除

2010年03月10日 22時25分43秒 | マイホーム

 今年も確定申告の季節がやってきた。給与生活者である私はいつもなら申告する必要はないのだが、今年は違う。平成21年にマイホームを取得し、ローンを組んだので、「住宅借入金等特別控除」というやつが受けられるのだ。早い話が、新築して住宅ローンのある人は、確定申告すれば税金が戻ってくるという訳である。
 私は国税庁のホームページを開き、家を建てるときの契約書、土地購入の契約書、家と土地の権利書、などを見ながら、申告書を作成していった。必要な事項の入力が終われば、確定申告書のPDFが作成されるので、それをプリントアウトするだけである。便利な世の中になったものだ。
 できあがった申告書を見ると、なんと私が昨年中に納めた所得税の88%が還付されることになるようだ。私の月給手取りの半分に近い。これは大きい。やっぱり、制度はちゃんと利用してみるものである。
 しかしちょっと気になったこともある。新居や土地の取得価額、面積、取得日、住み始めた日、などを証明するために、登記事項証明書や住民票が必要になるのである。住民票(300円)はまだいいとして、登記事項証明書は一通1000円もする。住民票1通と、登記事項証明書3通(建物1軒、土地2筆)で、3300円もかかってしまった。登記事項証明書は権利書のコピーでもいいんじゃないかと思うが、駄目なのかね?

トヨタ

2010年03月06日 22時46分43秒 | 時事

http://mainichi.jp/select/biz/news/20100303k0000e020019000c.html?link_id=RAH04
 トヨタ自動車の大規模リコール(回収・無償修理)による経営への影響が顕著になってきた。2日まとまった2月の米新車販売台数は前年同月比8.7%減と、ライバルが軒並み販売を伸ばす中で、「独り負け」状態に陥った。また、2日の上院公聴会では、出席したトヨタ幹部3人が改善策などを説明したが、議会側の疑念はぬぐい切れなかった。問題が長期化すれば、消費者の「トヨタ離れ」がさらに進む可能性もあり、トヨタが苦境から脱する道はまだ見えない。
(以下略)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 トヨタの販売台数が落ちることは予想通りだが、このフォードやGMの伸びっぷりはどうだろうか。これを見て、「なんか怪しい」と思った人は私だけじゃないと思う。アメリカにおけるトヨタに対する執拗なバッシング、議会での「被害者」による不自然きわまる証言、などを見ていて、どうも策略くさいものを感じないだろうか。他のメーカーの車に不具合やリコールがないわけではないだろうに、なぜこれほどトヨタの場合だけヒステリックにバッシングされ続けるのか。日本国内ではブレーキの不具合でリコールがあったようだが、本来ならリコールの基準に達するほどのものではないとのことだ。日本で出回っているトヨタ車の台数は世界最大と思われるが、重大な不具合によって事故が起きたという話は聞かない。なぜアメリカで、今のようなタイミングで「重大な不具合」が相次ぐことになったのか? なか不自然に思える。フォードやGMを少しでもましな状態にするための、アメリカ政府がからんだ策略があるのではないか、と私には思えるのだが、どうだろうか?
 そう考えている人は私以外にも多いかと思うが、日本の政府やマスコミは、アメリカ側の言い分を全く疑っていないように見える。一体、どこの国の政府やマスコミなだんろうか。日本の貿易黒字には、トヨタ一社が担っている部分がかなり多いと聞く。とすれば、トヨタの問題はそのまま日本の国益に直結する。日本人はもっと怒ってもいいと思うのだが。
 しかし私は15年以上もトヨタ車に乗っており、トヨタを信頼している。来年の今頃には世間の信頼を取り戻し、世界一の自動車会社に戻っているのでは、と期待している。

跳躍せよ大韓民国、キム・ヨナのように・・・って(笑)

2010年03月04日 00時00分26秒 | 韓国

 あの中央日報が、また笑える社説を書いていた。(^^)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=126692&servcode=100§code=110
 キム・ヨナの金メダルが、どうやらうれしくて仕方がないらしい。えらいはしゃぎようだ。キム・ヨナという個人が栄光を手にしたことによって、それだけで韓国という国自体が輝かしくなり、先進国にさえなれる、とのことだ。どうもこの辺りが、日本人にとってはなじみにくい文化だ。
 つまり、典型的な「英雄待望」文化である。英雄という個人が国全体を救う、という考え方だ。少し前なら潘基文国連事務総長、李明博大統領、就任当時の盧武鉉、などがいた。今はそれがキム・ヨナになったようだ(まあ長く続かないだろうが)。たった一人の英雄の出現によってすべてが解決されるかのように考える文化は、日本にはない。実際、日本の歴史においては「人気のある人物」は登場しても、「英雄」は一人もいない。韓国のような英雄待望型の文化は中国や欧米にも見られるので、日本が特殊なのかもしれないが。
 それはともかく、中央日報さんに言いたい。ほんの一握りのスポーツ・エリートがどれだけたくさんメダルをとっても、それは先進国になる条件とは関係がない。と。本当に先進国といえるのは、非エリートを含めた国民すべてがスポーツを楽しむことができる国である。韓国の一般国民で、実際にウィンター・スポーツをやったことのある人たちの割合はどれほどか? そのことをよーく考える方が、感情にまかせてはしゃぐよりよっぽど先進国らしいと思うが。
 あと、思いっきり上から目線のこのコラムも気になる。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=126816&servcode=100
 もし仮に浅田真央が金メダルをとったとして、日本の大手新聞(読売、朝日など)がコラムで「最も偉大な選手である浅田真央と戦ったんだから、キム・ヨナは泣くな」とか書くんだろうか。絶対に書かねーよな・・・。

ひなまつり

2010年03月01日 23時32分28秒 | 子ども

 土曜日は、互いの両親を呼んでひなまつりをやった。うちの子が生まれてから2度目のひなまつりだ。新居に移ったので、今回はひな人形を飾るスペース(床の間)も十分にとることができた。食事は寿司を用意し、一つの机に6人が座って食べたので少し狭かったが。
 私の娘も1歳7ヶ月となり、徐々に言葉を解するようになってきた。「ないない」「あった!」など以前から言える言葉に加え、最近では「しー(おしっこのこと)」「こっち」「いーや!」「みよ!(見よう、の意)」「ばいばい」「ぶーぶー(車)」「ねんね」「みんな」「いっぱい」など、語彙が増えてきた。自分が欲していることを大人に理解させる能力も、少しずつ身についてきたと思う。また、自分では発することはできないが、聞いて理解できる言葉はかなり多いと見られる。1年前の初節句では、寝転がって泣くことしかできなかったことを思い出せば、ずいぶんと成長したものである。あともう少しでしゃべれるようになるのでは、と期待している。