Willow's Island

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韓国映画 黒く濁る村

2010年11月28日 22時57分19秒 | 映画

 昨日は名古屋のシルバー劇場で、韓国のミステリー映画「黒く濁る村」を見た。2時間40分もある長い作品だが、少しも飽きることなく画面に引きつけられた。タイトルが示すとおり、良い意味で非常にダークな映画である。こういうおどろおどろしい世界が好きな人には、お薦めである。ただ、原作がウェブ漫画とかで、おそらく長い作品なのだろう。2時間40分では説明しきれていないことも多く、映画で初めて見る観客には「?」と思う点が多く見られたのが残念だった。しかし、ラストはかなりショッキングで、相当な見応えのある映画であることも確かだ。ちなみに、韓国で大ヒットしたという原作のウェブ漫画は以下のサイトにある。日本と違って、下へ下へとスクロールさせて読んでいくようだ。
http://cartoon.media.daum.net/series/view/ikki/2
 この映画はストーリーや演出が良かったが、それよりも最高だったのは、俳優の演技だ。韓国でも名だたる個性派の名優ばかりが出演していたのだそうだ。特に印象に残ったのが、村長の使い走りキム・ドクチョンを演じたユ・ヘジンという俳優である。妻に言わせれば「いかにも韓国」という風貌で、イケメンと呼ぶには程遠い。しかし、演技の実力はすごい。終盤に、キム・ドクチョンが自分の行ってきたことを主人公達に独白するシーンがあるが、これが本当に鬼気迫る熱演であった。後で調べたところ、やはりこのシーンは韓国でも話題になっており、このおかげでユ・ヘジンは2010年の最優秀助演男優賞をなんと二つも獲得したのだそうだ。すごいことである。
http://shioimo.blog.ocn.ne.jp/hiwt/cat6239790/index.html
 ユ・ヘジンは「アタック・ザ・ガスステーション」や「王の男」などで脇役として出演していたことは私も覚えていたが、こんなに大成していたとは知らなかった。彼の演技を見るだけでも、この映画を見る価値はある。

信じがたい北朝鮮の蛮行

2010年11月26日 05時11分57秒 | 韓国

http://sankei.jp.msn.com/world/korea/101126/kor1011260110003-n1.htm
 【ソウル=黒田勝弘】韓国・延坪(ヨンピョン)島砲撃で、北朝鮮の金正日・朝鮮労働党総書記と後継者の金正恩・党軍事委員会副委員長が関連部隊を事前に訪問し、攻撃を直接指揮したとする見方が出ている。韓国各紙が25日、国会国防委員会関係者が語った情報当局筋の話などとして伝えている。
<中略>
 金父子が今回の砲撃作戦を現地で直接指揮したのかどうかは分からないが、事件の規模や性格などから、最高権力者である金父子の承認、指導なしにはできないというのが、北朝鮮専門家の一致した見方だ。
 とくにこれまでの例から、地方視察に際し養魚場など経済施設だけを視察・指導するということはありえない。「先軍政治」をスローガンにした軍主導体制だけに同時に軍部隊視察は確実と見ていい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 金豚の三代目を誰が承継しようがどうでもよいが、そんなことのために韓国の民間人まで殺すとは・・・。奴らにとっては自分以外の人命など、まったく何の価値もないのだろう。想像を超えるクズどもだ。韓国だけでなく、東アジア全体にとって平和を脅かす存在となった。
 このような事態となったが、本音では韓国も北朝鮮も戦争などしたくはないだろうから、おそらくこのまま沈静化していくのだろう。韓国も報復したいところだろうが、戦争にまで発展させるわけにはいかない。北の挑発には動じず、軍事演習はさらに続けて、アメリカとの連携を強めていくしかない。
 朝鮮学校の授業料無償化について、以前に私は実施すべきと書いたが、当然考え直すべきだろう。ただし現在の高校無償化法では朝鮮学校も対象となるため、早急に法改正すべきだ。他の私塾やインターナショナルスクールには悪いが、各種学校を対象外とするしかないかもしれない。もし教育内容を問題にすれば、基準があいまいになり、全ての学校を審査しなければならなくなる。
 韓国も、金大中政権と盧武鉉政権と続けて8年間も「太陽政策」を行ったが、何の効果もないことが判明した。10年前の南北首脳会談も、何の意味もなかった。今の韓国の若い世代には親北派も多いと聞くが、これで少しは考えを改めるのではないだろうか。

日本の根本的な問題 その3 低い政治力

2010年11月21日 23時09分58秒 | 時事

 政治力の低さは最近に限ったことではないが、特に90年代以降がひどいような気がする。中曽根以前はそれなりに総理大臣もましだったが、竹下・宇野以降は小泉を除いて、ろくなものではない。民主党政権になってからは、評価する価値さえない。毎年のようにころころと総理大臣が変わり、外交に一貫性や戦略などなく、経済規模に見合う軍事力もないため、世界における地位も下降する一方だ。
 日本の政治力、外交力のなさは今までは大きな問題ではなかったかもしれないが、これから中国が覇権主義的な動きを露わにしてくるとなると、どうなのか。レアアースの輸出停止に見られるように、中国は経済よりも政治を重視する国である。いくら日中の経済的結びつきが強まったとはいえ、いや、結びつきを強めすぎたからこそ、中国は日本に対して簡単に圧力をかけられるようになった。しかも、ますます軍事力が強大になっている。これに対して、どう対応していくのか。日本全体の力が問われているのであり、昔のように経済が強いから大丈夫、などということはなくなった。そこで、政治の力、外交の力がなければ、この先は非常に不安ということとなる。
 なぜ政治家の劣化が進んだかといえば、日本がまだ平和で豊かだからではないか、と思う。本当に厳しい局面に立たされた国であれば、危機に強いリーダーが出てくるものではないだろうか。優れた政治家も、国民の切羽詰まった状況、時代の要請によって生まれるものだと思う。日本も終戦直後は現在よりはるかに状況が厳しかった。そのような時代だからこそ、吉田茂クラスの総理大臣が出てきたのだろう。今はまだ、そこまで切羽詰まっていない、ということかもしれない。
 とはいえ、当然このままで良いはずはない。日本政治の現在の惨状を、早急に何とかしなければ国益が流出する一方だ。民主主義国家である日本においては、政治家を選ぶのはもちろん国民の責任である。この1年間で民主党に政権担当能力がないことが明らかになったので、一日も早く民主党を下野させることが国民の責務だ。その上で、少しでもましな政治家を選出し、国民すべてが見識を高く持ち、監視していくしかない。

 ・・・と、今まで日本が抱える根本的な三つの問題を論じてきたが、それらを突き詰めれば全ての原因は「日本が豊かになったから」「すぐ隣に中国があるから」という二つにあることが判明した。
 うーん・・・つまりこれは・・・どうしようもない、ということですね。(^^;)

日本の根本的な問題 その2 低い経済成長

2010年11月20日 23時10分46秒 | 時事

 バブルが崩壊し、日本経済の成長が止まってから、20年が経つ。この間、失われた10年だとか20年だとか言われているが、この「失われた○○年」というフレーズは今後、意味がなくなると思う。この先いつまで待っても、「失われた」状態がなくなるとは思えないからだ。つまり、これから高度成長などはありえないだろう。経済が成長しなければ、雇用は悪化し、労働環境も悪化する。企業の元気がなくなれば、税収はまったく伸びず、財政赤字も解決の目途さえ立たない。日本が持つ富は、少しずつ減っていくことになる。社会全体が持つ資産が減っていけば、それにつれて様々な国内問題が発生していくことは明らかだ。
 ではなぜ、低成長しかしなくなったのか。これも、日本が豊かさの臨界点に来たことに根本的な原因があると思う。日本だけでなく、それなりの豊かさを手に入れた先進国は、どこも経済成長率が低い(一時期のアメリカを除く)。というのも、人間の欲望には限界があるからだ。ある点まで豊かになって物資が行き届けば、経済成長の原資ともいえる「人間の欲望」は、肥大化にストップがかかると思う。竹中平蔵あたりが考えるように、次々とほしい商品が現れ、人々はそれを得るために無限にがんばり続ける、というわけにはいかないのである。電化製品などは性能も耐久性も十分に良くなって、国民すべてが手に入れたい物など、社会の進化に伴って少なくなっていくだろう。日本は20年前に豊かさを実現し、「欲望の限界点」にまで到達してしまった、ということではないだろうか。
 それから、経済のグローバル化、という要素も大きい。企業など経済主体の活動が地球規模になれば、当然、日本も外国からの影響を強く受ける。「水は低きに流れる」という言葉があるように、付加価値のそれほど高くない仕事などは、自然に発展途上国へと流れていくことになる。特に日本は、中国が市場開放し、グローバル経済に参入したことの影響をもろに受けることになった。90年代以降の中国の工業化である。それに伴い、低いところへ水が流れるように、仕事が日本から中国へと移っていった。いつの間にか、世界中の工業製品の大部分を中国製が占めるようになり、それらの生産にかかるコストも著しく下がった。その結果、中国による大生産の影響をもろに受ける日本は、物価も下がり長期のデフレを経験することになった。日本海を隔てて隣同士の両国は、80年代以前の著しい物価の差を、経済のグローバル化によって少しずつ縮めていった、というわけである。これでは日本が大きな経済成長をすることなど、望むべくもない。
 問題は、日本の企業が持つ国際的な競争力である。頼みの技術力でさえ、現在は韓国に、将来的には中国にも追いつかれそうな雰囲気である。先進国である日本が対応していくには、やはり少しでも付加価値が高い商品やサービスを生み出していくしかないと思う。

日本の根本的な問題 その1 低い出生率

2010年11月19日 23時00分37秒 | 時事

 最近に限ったことではないが、日本が抱える問題は本当に多い。細かい点まで見ていけばきりがないが、将来のことも含めて大きく見れば、出生率、経済成長、政治力、の3つが低すぎることが、諸問題の根本だと思う。それ以外のことは、枝葉末節に過ぎない。
 これからこの3つの問題について私が考えるところを書いていくが、長くなりすぎたため、3回に分けて投稿していきたい。
1 低い出生率
 現在でも少子高齢化は大問題だが、将来的にはさらに深刻になる。人口が減ってもいいじゃないか、なんて言う人もいるようだが、馬鹿である。少子化による問題は、人口が減ることではない。子どもとは正反対に高齢者が増えてくることによって、全人口に占める「働くことのできる人間」の割合が減ることが、問題なのである。つまり、より少ない人間でより多くの人間を養わなければならなくなる、というわけであり、何十年か先には日本全体が苦しい状態に陥る可能性が高い。年金も、現在の金額をキープできないことは確実と見られる。もちろん問題は年金だけではない。日本の競争力そのものが大きく低下することになる。
 なぜ、日本人は子どもを産まなくなったのか。やはり日本が先進国になり、国民の生活が豊かになったことが原因だと思う。社会が豊かになれば、家族を形成しなくても十分に生活していくことは可能であり、必ず結婚して子供を作らなくてはならない、という理由もなくなる。理由がなくなれば、わざわざ苦労して子どもを育てよう、という気もなくなる。
 それから、経済構造の先進化によって、金をかけずに子どもを育てる、ということもできなくなった。国民の従事する職業の大部分が第三次産業となったため、昔のように子どもに家業を手伝わせればよい、ということにはならず、子どもには高い教育を受けさせる必要が出てきた。終戦直後のようにローコストで子どもを育てることが不可能なため、ある程度の所得がないと子どもを作ることに不安がつきまとう、ということになる。
 以上が少子化の原因であって、保育所が足りないだとか、子育てについて職場の理解がない、なんていうのは、問題の根本ではない。少子化について政府のやれることなど、ほとんど残っていないと思う。フランスやノルウェーといった少子化対策先進国でさえ、出生率は1.9程度で、日本よりは良いものの、2以上にはなっていない。
http://memorva.jp/ranking/unfpa/who_2010_total_fertility_rate.php
 もし劇的に出生率を増やしたければ、ニジェールやアフガニスタンのような国になるしかない。しかしそうなれば、平均寿命も劇的に下がるだろうけど。(^^)

今、韓国のアイドルが元気いいが・・・

2010年11月17日 06時35分37秒 | 音楽

 昨日はNHKのクローズアップ現代で、韓国アイドルの日本、及びアジア諸国への進出がめざましい、という内容の特集がされていた。確かに最近は、店のBGMなどで少女時代やKARAの音楽を頻繁に耳にする。CDの売り上げもかなり良いらしい。日本だけでなく、台湾や東南アジアでも韓国アイドルが大人気なのだそうだ。こうしたK-POPの隆盛には何があるのか、ということである。
 番組では、アイドル育成のための厳しい練習、芸能会社の調査に基づく徹底した国際戦略、といったことが原因として挙げられていた。韓国のCD市場はなんと日本の1/30程度で、人口比から考えても極端に小さいらしい。ネットでダウンロードできるので、誰もCDを買わないのだ。だからもうCDの売り上げには見切りを付け、ライブやテレビ出演で稼ぎ、外国に販路を求める、という方向になったのである。今、韓国でデビューしようとするアイドルは、韓国国内だけではなく海外進出することが前提となっているらしい。そこが、日本との大きな違いである。日本のアイドルやアーティストは、海外をほとんど意識していない。
 なるほど、企業や国が一体となって戦略を練ったうえで、韓国の芸能人をアジア各国へ売り出しており、それが見事に成功したのである。じゃあ日本も同じようにすべきか、というと、そうではない、というのが番組コメンテーターの答えであった。日本はコンテンツの創造に長けており、それが日本の強みなのだから、アーティストらの創造性を今後もより大きく発揮させていく方が重要、とのことだ。
 確かにその通りだと思う。韓国アイドルの音楽もいいが、いかにも「商品」という印象が強い。あまりにも割り切りすぎて、音楽が消耗品として扱われているのでは、という気がしてくる。新しい曲が出れば、その時その時は楽しくても、長く心に残る音楽はできそうもない。アイドル音楽の限界だ。韓国からも、自分で作詞作曲できる「アーティスト」が出てきてほしいと思う。

 それはともかくとして、KARA(上の動画)は良い。(^^) 先日はNHKの音楽番組にも出演して、「ジャンピン」という歌を歌っていた。しかしあのケバい韓国風メイクだけは、どうにかならないもんだろうか。あの化粧の仕方が、日本でうけるとは思えんのだが。

マイケル・サンデル教授 韓国での受け止められ方

2010年11月14日 22時16分29秒 | 韓国

 少し古い話になるが、NHK教育で「ハーバード白熱教室」なる番組をやっていた。ハーバード大学でも圧倒的な人気を誇る政治哲学者、マイケル・サンデル教授の講義をテレビで見られるようにしたものである。これがかなり面白く、私も毎回見ていた。教育テレビとしては久々のヒット作だと思う。一般の日本人にはあまり馴染みのない政治哲学という学問が知られる契機にもなった。これを書籍化した「これから正義の話をしよう」という本もベストセラーになっているようで、値段はちょっと高いが、いつか読んでみたい。
 サンデル教授の本は日本だけでなく、韓国でもベストセラーだそうだ。ところが、その人気の訳が、日本と韓国では異なっているらしい。少し前のことになるが、毎日新聞の記事(9月19日)でそのことについて述べられていた。以下がその抜粋である。

反射鏡:サンデル教授に触発された日韓反応の対照=論説委員・中島哲夫
 米ハーバード大学で約30年、「正義」をテーマに政治哲学を講義してきたマイケル・サンデル教授のことである。
 その授業を放映したNHKの「ハーバード白熱教室」が評判になり、教授の著書「これからの『正義』の話をしよう」 (早川書房)はベストセラー、東京大学での特別講義も白熱して、すっかり時の人になった。
 あまり知られていない事実だと思うが、教授のこの著書は偶然にも、日韓ほとんど同時に翻訳出版された。 韓国側の題名は「正義とは何か」である。
<中略>
 こうした隣国での動向を私は最近まで全く知らなかった。日韓間の人の往来は激増し、 お互いのニュースを知る機会も増えたが、伝わる情報の幅と深みは十分でない。 サンデル教授に関する社会的反応が日韓で大きく違うことも、さほど知られてはいないだろう。
 日本での最大の関心は、教授の講義の抜群の面白さにある。ネット上では授業の手法についての 話題が目につく。正義を論じた書物に触発されて、身近な問題を一緒に議論してみようという動きもあるようだ。 そして研究者からは、行き過ぎた市場主義の弊害を道徳的観点から批判するサンデル教授の哲学を、 日本の格差問題への対処に活用できるといった声も出ている。しかし、こうした意見が具体的な政策論争に 直接反映される兆しは、今のところ見えない。
 韓国ではどうか。李明博(イミョンバク)大統領は8月初めの休暇中に教授の著書を読んだという。 それとは直接関係なく以前から温めていた構想らしいが、同月15日の演説で「公正な社会」の実現という 政策目標を打ち出した。「敗者が再起でき、勝者が独り勝ちしない社会」といった概念で、 市場主義の冷酷な面を修正する狙いを含んでいる。教授の正義論と重なるところがある。
 しかし李大統領の目標達成は容易ではあるまい。今の韓国は優良企業が国際的に大躍進する一方、競争と格差は日本より厳しいように見える。「公正な社会ではない」という国民の不満が「爆発寸前」なのだと、 韓国では著名な女性コラムニストが最近の新聞に書いている。
 しかも韓国社会の政治的亀裂は深く、鋭い対立が避けられない。野党勢力の相当数が「サンデル旋風」を 政権批判の武器にしている。訪韓した教授が著書の売れ行き好調の背景について「正義に関する幅広い 論議への渇望があるようだ」と語ると、ネット上には「教授は李明博政権を不道徳と診断した」という我田引水の書き込みが出た。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1284851548/

 なるほど、いかにも韓国だ。というか、あまりにも韓国的な反応である。つまり、サンデルを「正義」とし、それに対して市場主義の政権与党を「悪」としたいらしい。サンデル教授の講義の仕方を見ていれば分かるが、彼は自分が「正義」として扱われることなど、望んでいるわけじゃないだろう。決して個人崇拝ではなくて、何が正義なのかもっと活発に議論をしてほしい、ということだと思う。物事を多面的にとらえ、様々な角度から論理的な議論を尽くす、ということが肝要なのであり、韓国人が最も苦手とすることではないだろうか。韓国人がそのことに全く気づかないとすれば、残念なことである。

38歳にして着ぐるみを初体験した

2010年11月12日 22時06分50秒 | 子ども

 実は昨日、私は仕事でミナモの着ぐるみを着た。11月11日は「介護の日」ということで、県の主催により各地のショッピングセンターにおいてチラシやグッズを配る、というイベントがあったのだ。今年の会場はピアゴ多治見店である。福祉課に勤める私も参加することになり、その中でもミナモの着ぐるみを着てPRする、という役割を任されてしまった。毎年このイベントがある時は福祉課の誰かがやらなくてはならず、今年は私しかいなかった、というわけなのである。
 上の写真にあるような着ぐるみを着たわけだが、思ったよりもかなり大きい。まずはジャージを着て、軍手をはめて、頭をタオルで巻いてから、装着しなければならない。しかも装着するのは着ぐるみ本体だけではなく、その下にスポンジでできたジャケットのようなものも羽織る必要がある。そのため、冬も近い季節だというのに、中はかなり暑かった。まるで夏である。結局1時間ほど着ていたが、秋だからよかったものの、夏なら15分と保たなかったと思う。
 左右の目の部分は特殊なガラスのようになっていて、内側からは外が見えるようにはなっていた。しかし、直径がわずか1,2cmしかなく、非常に視野が狭い。左斜め前と右斜め前のごくわずかな部分しか覗くことができず、正面も下もまったく見えない。しかも、長く着用していると、その目の部分でさえ自分の息で曇って見えなくなる。
 足の部分は大きすぎてブカブカなので、まともに歩くことなどできない。誰かに補助してもらって、ようやくゆーっくりと歩くことができる。正面が見えないため、けっこう怖い。こんな着ぐるみを着た状態でミナモダンスを踊れる人は、本当にすごいと思った。
 私の娘はミナモの大ファンであったため、もちろん妻といっしょに会場に呼んでおいた。実物のミナモに会えるので、娘はさぞ喜ぶだろう、と思ったのだが、案外そうでもなかった。終始堅い表情をしており、ミナモの格好でだっこしてやっても、そう喜んではいなかった。娘の中ではミナモブームはとうに過ぎ去り、今はモノランの時代、ということなのだろうか。
 それにしても、自分が着ぐるみを着ている最中に、まさかyosikuriに出くわすとは思わなかった。(^^) yosikuriも仕事の関係でピアゴに来ていたらしい。まったくの偶然だ。yosikuriに「ハハハ、大変やねえ。暑くない?」と言われたとき、よっぽど「暑いよ!」と答えたかったが、着ぐるみの中では話すこともかなわなかった。

sengoku38さん、自白する

2010年11月10日 23時48分34秒 | 時事

 ついに、尖閣での漁船衝突事件の動画を流出させた本人が、名乗り出た。やはり海上保安庁の職員であった。彼は公務員の守秘義務違反ということで処罰されるのだろう。確かに、重大情報の漏洩という側面で見れば、やむを得ないことかもしれない。しかし、それよりも先に処罰されるべきだったのは、あの中国人船長であったはずだ! 中国を恐れて船長を見逃し、sengoku38さんを処罰するのであれば、管政権は国民から完全に見放されるであろう。(と思いたい)
 それにしても、sengoku38さんはなぜ自白などしたのだろうか。捜査では神戸の漫画喫茶が流出元、ということが分かっただけだ。その漫画喫茶が会員制でなければ、そこからばれる可能性など低かったのではないか。
 そこで、もし私が例の動画データを入手していて、流出させるつもりであれば、どうやるか考えてみた。動画を投稿してしまえば、IPアドレスをたどって、どのPCからアップロードされたか突き止めることは可能なので、それを前提にして実行する必要がある。
 そのデータ(DVD-Rか?)を持ち出すことに成功すれば、信頼できる他人(海保とは無関係)に預ける。その人は休日にそれを持って新幹線に乗り、遠くの大都市(神戸からだと福岡か名古屋)へ行く。そこで、非会員制の身分証明書が不要なネットカフェへ入店する。その際には、防犯カメラに映ることを考え、眼鏡やマスク等で軽く変装しておく。PCにさわる時も、念のため薄い手袋を着用する。そして、偽名と偽住所でwebメールのアドレスを作る。そうして作ったメールアドレスで、YouTubeのIDを取得する(もちろん偽名と偽住所で)。そして、ようやく動画をアップする。12時間ほど時間をつぶした後、同じ街にある別のネットカフェ(もちろん非会員制)で、投稿した動画を削除する。作ったばかりのYouTubeのIDとメールアドレスも削除する。そして神戸に戻り、データを返してもらう。データの媒体は元の場所へこっそり戻しておく。もし別のDVD-R等にコピーしていれば、それはバキバキに折って「燃えるゴミ」の中に潜り込ませる。
 こうすれば、ばれないような気がするが、どうだろうか? それとも、やっぱりどこかでばれるものなんだろうか。どっちにしても、私には実行する度胸など無いが。(^^)

99年の愛 Japanese Americans を見て

2010年11月08日 23時57分01秒 | テレビ

 TBSの5夜連続ドラマ「99年の愛 ~Japanese Americans~」を全部ではないが、部分的に見た。テレビのハードディスクには5回分全部入っているが、リアルタイムで見たのは第1話と第2話を少し、第4話の後半と最終話だけである。
 これは橋田壽賀子が脚本を手がけ、草剛と仲間由紀恵が主演、スポンサーはトヨタとパナソニック、というたいへん力の入ったドラマである。まだ断片的にしか見ていないが、やたらとクオリティは高かった。特に、第4話の戦争シーンがすごかった。日系人ばかりで構成された第442連隊戦闘団の戦いである。史実でも、3800人の部隊なのにのべ死傷者数が9486人、というとんでもない犠牲者の多さで、まさに死闘であった。この442連隊は、アメリカ史上で最も多くの勲章を受けた部隊であったそうだ。戦前、戦中とすさまじい差別を受け続けた日系人が、アメリカ社会の中で中流階級にまで昇ることができたのも、442連隊の働きによるところが大きい。現代のアメリカでは日系人といえばかなりの好印象だそうで、文字通り血を流して得た地位だといえる。
 そうした日系人の歴史には感心するのだが、私は正直言ってこのドラマには違和感を覚えた。登場する日系人たちに、あまりにも日本人意識が強すぎるのである。日本生まれの一世は仕方ないにしても、二世以降はアメリカ生まれのアメリカ人じゃないのか。いくら白人から差別を受けていたとしても、日本人ということにはならないはずだ。なのに、草が演じる一郎(二世)は「日本人としての誇り」とか「大和魂」とかいう言葉を連発していた。あれはどうかと思う。442連隊は、あくまでもアメリカの軍人として戦ったのであり、日本人として戦ったわけじゃないだろう。だからこそ、誇りになったはずだ。
 橋田壽賀子の世代だと、日系人も日本人だと考えるのだろうか? そんなわけない。当然だが、日系人はアメリカ人であり、日本人ではない。このドラマでは、どうもそのへんが曖昧になっていた。日系人への不当な差別なども「日本人 VS アメリカ人」という対立軸として扱っていたが、そうではなくてあれは「日系人 VS 白人」ということだったろう。その上、完全にアメリカ人であるはずの日系4世や5世まで、日本語がペラペラになっていた。あれはありえない。(^^)
 あと、橋田壽賀子は本音ではよっぽどアメリカが嫌いなんだろうか。最後は良い話にまとめていたが、登場人物の口を借りて、やたらとアメリカへの怨み節ばかりが聞こえてきたが。