Willow's Island

since 2005

人生記録3(23歳から30歳まで)

2012年02月28日 00時33分43秒 | その他

8.県税事務所(23~25歳)
 社会人となって最初の1年目は、気苦労や緊張などでずいぶん大変だと感じていた。今にして思えば、この当時の仕事はずいぶんと簡単なものだったが、当時の私にとっては難しく、骨の折れるものだった。すぐ隣に座っていた1年先輩の職員(歳は同じ)と人間関係構築に失敗したことにより、余計な心労ばかりを重ねることになったのは、我ながら不手際だった。
 1年目は気苦労と、仕事に対する不安ばかりであったが、自分で本を買って税の勉強などを重ねたこともあり、2年目に入るとほぼ完全に仕事の要領を覚えることができた。3年目になると、後輩職員にかなり細かいことまで指導できるようにもなった。この時期は、社会人としての基礎を身につけることができた、という意味で貴重であった。
 プライベートでは海外旅行に行くことが多かった。韓国、アメリカ、中国などに初めて行くことができ、これも貴重な経験であった。夏に1週間かけて旅行したアメリカ中西部は、現在でも最高の思い出の一つだ。私が韓国への強い興味を持ち始め、ハングルの読み方まで覚えたのもこの時期だった。この当時の韓国といえばまだ発展途上国のようなもので、大衆文化の発展もまだまだであったが、この時に日本デビューしていた韓国の女性歌手が私にとって興味のきっかけとなった。

9.県庁(26~27歳)
 岐阜市へ異動となり、初めて一人暮らしを体験することになった。仕事は激しくつまらなかったが、私生活は初めての一人暮らしで、すごく楽しかった。初購入した自分のパソコン(30万円!)に、初めてインターネット接続してみたのは、26歳の夏だった。携帯電話を初めて購入したのもこの年であり、私にとって「IT元年」だったといえる。それまで私は自分で機械類が苦手だと思ってきたのだが、これほどパソコンにはまるとは思わなかった。
 とにかく、ネットは私の生活をそれ以前とは大きく一変させた。まさに私が求めていたものとぴったり一致するツールだったのである。おかげでPCの操作にもずいぶん慣れた。ネットがなければこんなことはなかっただろう。
 旅行にも数多く行った。同期の友人らとIMF不況下の韓国へ遊びに行って、日本語を操る二人組の韓国人に見事にだまされ、怪しいカラオケバーでぼったくられたのも、今となっては良い思い出である。大学時代の友人らと京都へ行ったり東京へ行ったり熱海へ行ったりもした。この時は、とにかく友達付き合いで遊びに行くことが多い時期だった。

10.土木事務所(28~30歳)
 道路建設にかかる用地買収が担当であったため、仕事はハードであった。この頃は今と違って公共事業費がアホのように大きかったのである。そして、付けられた予算(用地補償費)は年度内に必ず消化しなければならない、という点も現在とは違っていた。上司も信じがたいほど無能であったため、ずいぶん苦労した。しかしそのことが、かえって自分の事務遂行能力を高める結果になったと思う。
 土木事務所は、ほぼ男だけの世界であり、技術系の職員が多数を占めており、事務系の職場とは明らかに雰囲気が違っていた。今思えばかなりざっくばらんな世界であり、懐かしくも思う。かといって戻りたいともあまり思わないが。
 東濃地域の職場だったので、住居は再び実家に戻っていた。韓国にはますますハマるようになり、この時期だけで3回は韓国に行った。新沙洞(シンサドン)のカフェでカン・スジ(歌手)のファン・ミーティングに日本代表で参加したことや、日韓ワールドカップの開催中に漢江の花火大会に行き、大勢の韓国人らと付き合って「テハンミグク」コールをやったこと、などが特に印象深い思い出だ。

人生記録2(高校から就職前まで)

2012年02月25日 08時39分58秒 | その他

5.高校
 英語の勉強は高度化し、私は予習にずいぶんと時間をかけていた。教科書の英文を翻訳するのに機械的な直訳だけではどうしても満足できず、何とか自然な日本語にできないか、と何時間も頭をひねっていた。非常に要領に悪い勉強の仕方ではあったが、私なりのこだわりがあったのである。
 小遣いは月千円程度で、基本的に金がなかったので、テレビを見たり、レンタルでビデオやCDを借りたりするぐらいしか趣味がなかった。それだけに、週に1回ほどレンタルショップから借りたOVA(オリジナル・ビデオ・アニメ)を見ることが楽しみであった。アニメには結構ハマっていたが、金がないのでオタクになることもできなかった。今思えば、かえってそれで良かったかもしれない。なまじ自由に使える金があると、変な道に走っていた可能性がなくもない。
ちなみにこの頃は学校まで自転車で片道1時間近くかけて通っており、自宅では毎日のように鉄アレイを使って筋トレをし、なおかつ金がないせいでお菓子などをめったに食べなかったため、現在では考えられないほどスマートかつ筋肉質な体であった。この時はなぜか「筋肉」にあこがれていたのである。
 本格的な受験勉強は、高三の夏休みに入ってからようやく開始した。それまでは毎日の予習をこなすだけで手一杯だったのである。数学や理科がからきしだったので国公立はあきらめて私立文系に絞った。それから必死になって英語、国語、世界史を勉強した甲斐があって、高三の一学期ではD判定だった大学にも合格することができた。他にも何校か受けたが、軒並み合格だった。このことは周囲からずいぶんと褒められた。私自身「なんで?」と不思議に思うほどしきりに褒められた。それまで18年の人生で、あれほど褒められたのは初めてだったと思う。

6.大学
 大学は名古屋市内で、初めて都会に毎日出かけることになり、受ける刺激は多かった。学部学科は英語やアメリカの地域研究が専攻であったためか、女子学生が8割以上を占めており、私は少数派であった。高校と違い雰囲気はかなり自由で、勉強は他の学科に比べれば忙しいと聞いていたが、私に言わせればそれでも楽勝だった。今までにない自由を手に入れ、何だかいきなり自分のライフスタイルが華やかになったような気がして、ずいぶん楽しかったと思う。
 クラブは、強引な先輩に誘われるまま、なぜか男声合唱団に入ってしまった。私はもともと音楽をやることなんぞに向いていないので、クラブの練習では音程が合わなかったり、かなり苦労した。しかし合唱団で歌いまくったおかげで音痴が矯正され、現在では人前で歌うことも平気になった、という効果はあったので、入ってよかったと思う。何より、しんいち君のように大切な友人に出会うこともできたことが、最大の成果である。
 それから、クラブ活動を通して集団行動もそれなりに楽しい、ということを知ることができた。それ以前はとにかく団体行動が嫌いで、私は個人行動をとることが多かったのだが、クラブで毎日のように仲間と会うことにより、集団行動に馴染んでいった。私自身の社会化を促すという意味で、その後の社会人生活のために役立ったと思う。
バイト(家庭教師が中心)もやるようになり、自分自身の金を持つようになったことも大きかった。大学の帰りにはたびたび古本屋に寄って、目当ての古本を物色することが楽しみになった。その他にも得た金でチョコやポテチを頻繁に買い食いするようになったため、高校時代に比べて15kg以上も太る羽目になった。
 就職に関しては、大学4年の春になっても真剣に考えていなかったこと、肝心の夏に骨折してしまい、まともな就活をしなかったこと、などにより失敗してしまい、就職浪人となった。しかしこのことが、就職先を公務員一本に絞ることになって、今思えば結果として良かったと思う。

7.就職浪人(22歳)
 無謀にも就職しないまま大学を卒業してしまった私には後がなく、相当あせっていた。試験に合格するため、それこそ必死で勉強していた。大学受験の時よりはるかに厳しい状態だ。毎日どこかで家庭教師をやりながら、1週間7日、1日12時間は勉強してたような気がする。しかも慣れない法学などが中心だ。しかし私は何とか独学で理解し、就職試験に合格することができた。この間は食費として家に月3万円を納めていたが、両親にはずいぶん迷惑をかけたと思う。
 9月頃に内定をもらってからの半年は、勉強はやめて自由気ままに暮らしていた。毎日1カ所もしくは2カ所で家庭教師をやりながら、図書館へ行って本を読んだり、古本屋をめぐって安い本を買ったり、英語で長い日記を書いたりすることが日常だった。一人で東京あたりへ旅行に出かけたこともあった。この半年は仕事も勉強もしない「ニート」状態であったが、毎日何かやることがあり、退屈することはなかった。

人生記録1(保育園から中学まで)

2012年02月22日 22時14分44秒 | その他

 前回書いたように、あえてポジティブなことのみを選んで書いてみた。なおかつ、私の妻や両親が読んだとしても支障がない範囲内のみである。

1.保育園
 はっきり覚えているわけではないが、周りの大人からは結構かわいがられたと思う。特に父方の祖母にはお菓子などをよく買ってもらっていた。毎週日曜日には池沿いにある祖母の家に歩いて行き、ずいぶんとかわいがってもらった。私が27歳の時に祖母は亡くなったが、今でも私にとって「故郷」といえば町営住宅の生家ではなく、池沿いにあった祖母の家を思い出す。

2.小学校低学年
 小学校に入ってからは長期の夏休みというものがあったので、それがうれしかった。私は毎日のように学校のプールに通っていたと思う。私は基本的にスポーツが苦手だが、水泳だけは好きで、そこそこ得意であった。
 この頃は今よりも子ども番組が豊富で、テレビを見ることも楽しみだった。土曜日の夕方から、サンライズのメカアニメ、戦隊もの、タイムボカンシリーズ、まんが日本昔話、あばれはっちゃくシリーズ、などが立て続けに放送されており、テレビに釘付け状態であった。それに比べ、現在はゴールデンの時間帯に子ども番組をやることが昔より少ない気がする。少子化の影響だろうか。そう考えると、私の子ども時代はテレビ的には恵まれていた。

3.小学校高学年
 5年生の時に現在の実家へ引っ越した。それまでは狭い町営住宅だったので、弟と共同の子ども部屋も与えられ、がらりと住環境が変わった。それに加えて私が恵まれていたのは、家族で旅行に行く機会が多かったことだ。春は自然公園、夏は海水浴、秋は山荘、冬はスキーなどに連れていってもらえた。いずれも楽しい思い出である。
 私は当時から本を読むことがすごく好きで、漫画だけでなく、図書館から借りた本をよく読んでいた。学校の図書館に加え、町営図書館、移動図書などから毎週のように本を借りていた。今でこそ小説などをほとんど読まない私だが、この頃は児童小説が大好きだった。子どもの頃に読んだ児童小説や、見たアニメ(世界名作シリーズなど)等が、私の倫理観形成に与えた影響はかなり大きい。
 あと、なぜかこの頃は詩を書くのが好きだった。宿題で日記を書く代わりに詩を書くことも多かったと思う。詩を書くことは小学校卒業以来まったくやっていないが、最近になって興味がわいてきた。実は自分でも気づかないが、私には文学的な趣味があるのかもしれない。

4.中学校
 勉強は小学校までと違って宿題はなく、自分で予習復習することになり、そのことによって逆に私は相対的な学力が伸びていった(自分以外の周りが家庭であまり勉強しなくなったせいと思われる)。小学生の時は大して成績が良かったわけじゃないので、中学生になってからは自分の成績がどんどん上がっていくのは気分が良かった。
 この時期には英語との出会いが大きい。町内の英語塾に週2回通ったことがきっかけで、英語を学ぶことが本当に楽しくなった。英語が私の人生に占める部分は大きく、大学でも英語を専攻することになり、現在でも個人的に勉強中である。
 この頃は海外に対する憧れがすごく強くて、映画も音楽もアメリカのものが大好きだった。英語を生かし、総合商社にでも入って海外赴任することが夢だったりした。今でこそ興味は韓国や中国に移っているが、この当時の私は相当な欧米かぶれであったと思う。(現在でも欧米趣味はある程度まだ残っているが)
 中学3年の時はyosikuriと同じクラスで、班もいっしょであった。学校生活が楽しいと思えたのは、実は中三の時が最初で最後だった。この時の担任が映画好きで、学級文庫には映画雑誌「スクリーン」が置いてあり、私はよく読んでいた。この他にも藤子F不二夫のSF短編集や、手塚治虫の「アドルフに告ぐ」「火の鳥」などが置いてあり、この時に読んでいた学級文庫が私に与えた影響は大きい。

40歳

2012年02月21日 06時23分57秒 | その他

 ついに私も、今日から40歳だ。人生が80年だとすれば、ちょうど折り返し地点に来たことになる。人生後半の始まりということか。自分自身の感覚としては、まだ30歳ぐらいのようなつもりなのだが。これから見た目や肉体的にはどんどん老けていくのだろうけど、精神的には若さを保っていきたい。
 40歳になったのを機に、このブログで今までの半生をまとめてみようと思ったのだが、これが思った以上に難しい。自分の今までの人生のことを書き出してみると、否定的な嫌なことばかりが浮かんでくるのだ。試しに子ども時代のことを少し書いてみたのだが、周囲に対する悪態ばかりとなってしまい、結果として何だか自分が醜く見えてきてしまった。確かに私の半生は、怒り、憎悪、劣等感、恥、悩み、といったものが90%以上を占めているのだが、そうであっても、今になってそんなことを書いたところで意味がない。
 たとえそれが「歪曲」であっても、今までの人生で楽しかったこと、良かったことのみをまとめて書いてみた方が、これからの人生を楽しく過ごしていくには意味があることだと思う。そんな風に考えて、自分の半生を総括してみよう。

Kara - Gil (道) 日本語訳

2012年02月18日 07時23分46秒 | 音楽

<スンヨン>
ネガ カヌン イギリ オディロ ガヌンジ
私が行くこの道はどこへ行くのか
オディロ ナr テリョガヌンジ クゴスン オディンジ
どこへ私を連れていくのか そこはどこなのか
アrス オpチマン・・ アrス オpチマン・・アrス オpチマン・・
分からないけど・・分からないけど.・・分からないけど・・
オヌrド ナン コロガゴ インネ
今日も私は歩いている

<ハラ>
サラmドゥルン キリ ダ ジョンヘジョ イッヌンジ
人はみな道が決まっているのか
アニミョン チャギガ チャシネ キルr マンドゥロ ガヌンジ
それとも自分で自分の道を作っていくのか
アrス オpチマン・・ アrス オpチマン・・アrス オpチマン・・
分からないけど・・分からないけど・・ 分からないけど・・
イロッケ ット コロガゴ インネ
こうやってまた歩いている

<ギュリ>
ナヌン ウェ イギレ ソインナ イゲ チョンマr ナエ ギリンガ
私はなぜこの道に立っているのだろう これが本当に私の道なのか
イギレ ックテソ ネックムン イルォジrッカ
この道の果てに 私の夢は叶えられるというの

<ジヨン>
ムオシ ネゲ チョンマr キップムr チュヌンジ トニンジ ミョンイェニンジ
何が私にとって本当の喜びなのか お金なのか 名誉なのか
アニミョン ネガ サランハヌン サラmドゥリンジ
それとも私が愛する人々なのか
アrゴ シpチマン・・アrゴ シpチマン・・アrゴ シpチマン・・
知りたいけど.・・知りたいけど・・知りたいけど・・
アジkト タブr ネリr ス オmネ
まだ答えを出すことができないよ

<ギュリ>
チャシニッケ ナエ ギリラゴ マrハゴ シpコ
自信をもって私の道だと言いたくて 
クロッケ ミッコ トラボジ アンコ フフェド ハジ アンコ
そう信じて 振り返らずに 後悔もせず
コッコ シpチマン・・コッコ シpチマン・・コッコ シpチマン・・
歩きたいけど・・歩きたいけど・・歩きたいけど・・
アジkト ナヌン チャシニ オmネ
まだ私は自信がないよ

<ニコル>
ナヌン ウェ イギレ ソインナ イゲ チョンマr ナエ ギリンガ
私はなぜこの道に立っているのだろう これが本当に私の道なのか
イギレ ックテソ ネックムン イルォジrッカ
この道の果てに 私の夢は叶えられるというの

<スンヨン>
ナヌン ムオスr ックmックヌンガ クゴン ヌグr ウィハン ックミrッカ
私は何を夢見るのか それは誰のための夢なんだろう
ク ックムr イルミョン ナド ウスr ス イッスrッカ
その夢をかなえれば 私も笑うことができるの?

<ニコル>
オ~ チグmネガ オディロ オディロ カヌン ゴrッカ
これから私は どこに どこに 行くのだろう
ナヌン ムオスr ウィヘ
私は何のために
サラヤ・・サラヤ ハヌンガ
生きなければ・・生きなければならないの

<全員>
ナヌン ウェ イギレ ソインナ
私はなぜこの道に立っているのだろう
イゲ チョンマr ナエ ギリンガ
これが本当に私の道なのか
イギレ ックテソ ネックムン イルォジrッカ
この道の果てに 私の夢は叶えられるというの
ナヌン ムオスr ックmックヌンガ クゴン ヌグr ウィハン ックミrッカ
私は何を夢見るのか それは誰のための夢なんだろう
ク ックムr イルミョン ナド ウスr ス イッスrッカ
その夢をかなえれば 私も笑うことができるの?

<全員>
ナヌン ウェ イギレ ソインナ
私はなぜこの道に立っているのだろう
イゲ チョンマr ナエ ギリンガ
これが本当に私の道なのか
イギレ ックテソ ネックムン イルォジrッカ
この道の果てに 私の夢は叶えられるというの
ナヌン ムオスr ックmックヌンガ クゴン ヌグr ウィハン ックミrッカ
私は何を夢見るのか それは誰のための夢なんだろう
ク ックムr イルミョン ナド ウスr ス イッスrッカ
その夢をかなえれば 私も笑うことができるの?

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 2005年に解散した韓国の男性アイドルグループ g.o.d の「キル(道)」という歌を、KARAが歌ってみた映像だ。これは本当に名曲である。久々に心に沁みた。歌詞もいい。ぜひ聴いていただきたい一曲だ。
 ニコル、ギュリ、スンヨンも歌がうまい。韓国のアイドルはネットで叩かれているけど、それでも明らかに日本のアイドルよりは歌唱力があるなあ・・・。

T-ara "Lovey-Dovey" 日本語訳

2012年02月15日 22時03分32秒 | 音楽

<韓国語カタカナ表記>
ノムッ ポネ ナヌン オヌrド ホンジャソ
アー シmシmヘ キョrグk イロッケ ハルガ チナガゲッチ
ボァボァ チナガヌン チョギ コプr チョm ボァ
ナド チョロッケ サランハr ス イッヌンデ ウー ノムナ ウェロウォ

(A)
ナド Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
ト イサン ホンジャ トゥジマ
イジェ Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
ノヌン オディ エ エ Oh
Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
ノルr ッコk チャジャ ネrッコヤ
ノム オレ オロボリン ナルr ノギョボリr ノヌン トデチェ オディエ イッヌンジ

ノム チュpネ ホンジャ ポネヌン ハルガ
アー チョッケンネ ナド ホンジャガ アニミョン チョンマr チョッケンネ
ボァボァ ヨギ イッヌン ナルr チョm パラボァ ナナ
オヌrパムン オドゥミ チョンマrロ ウー ノムナ ムソウォ

(A) くり返し

ホンジャソ ハルジョンイr ナ ホンジャ メイrメイr
オドゥミ チョンマr チョンマr ノオpシン ナ ホンジャソ ハルヌン チョンマr キロ

(A) くり返し

<日本語訳>
はっきりしているのは 今日も私は一人ということ
ああ、退屈ね 結局こんな風に一日が過ぎていく
見て、あそこを行くカップルをちょっと見て
私もあんな風に愛し合えるのに あまりにも孤独ね

(A)
私もLovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
これ以上一人にしないで
もうLovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
あなたはどこ? Oh
Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh Lovey Dovey Dovey Uh Uh Uh Uh
あなたをきっと探し出す
ずっと前から凍ったままの私を 溶かしてしまうあなたは いったいどこにいるの?

とても寒いよ 一人で過ごす一日が
私も一人じゃなかったら良いのに 本当に良いのに
見て、ここにいる私をちょっと見て
私も今夜は 闇がすごく恐い

(A) くり返し

一人で一日中 私は一人で毎日毎日 
闇が本当に恐くて あなたなしでは 私一人で一日が本当に長い

(A) くり返し

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 韓国で最近ヒットしたT-araの「Lovey Dovey」という歌だ。ノリが良く、彼女らの若さがよく伝わってくる。韓国のガールズ・グループといえば、日本と違ってセクシーさやかっこよさを強調したものが多い。しかし、やっぱり日本で売り出そうと思えば、このT-araやKARAのように「かわいさ」があることの方が重要だと思う。これからT-araが日本で売れるようになるかは分からないけど、日本語を完全にマスターして、バラエティ番組などにも出るようにした方がいいんじゃないか。

父、金正日と私

2012年02月13日 21時00分25秒 | 

 今、話題となっている著書「父、金正日と私」を読んだ。故・金正日の長男、金正男と東京新聞の記者がメールのやりとりをし、その内容の一部を公開したものだ。今まで明らかにされてこなかった金正男(私と同い年だ)の素顔や、北朝鮮の内幕などが分かるようになっており、非常に興味深い本である。北朝鮮といえば何事も厚いベールに隠されており、支配者である金一族が何を考えているかなどまったく分からない、というのが常識であったが、金正日の長男がここまで率直に自分の考えを明らかにするとは、本当に意外であった。北朝鮮の国営放送によるゴリゴリに凝り固まった公式声明しか聞いたことのない私にとっては、新鮮な驚きである。
 もちろん、金正男氏の考えは北朝鮮当局の見解とは全く異なるし、話せる内容にも制限があるようだ。それでも、北朝鮮「ロイヤル・ファミリー」の肉声によって、日本人にもよく理解できる話がされると、何だかほっとする。金正男氏は欧米や中国などでの海外生活が長かったせいか、非常に国際感覚やビジネス感覚に優れており、「国際派の常識人」といった感じである。
 この本がベストセラーになり、日本人にも金正男氏の人柄が知られるようになったため、多くの「金正男ファン」が生まれたようだ。産経新聞の黒田ソウル支局長など、「正恩ではなく正男が3代目を継いでほしい」とまで言っていた。
 しかし私は、金正男を過大評価することは控えた方がいいと思う。彼は北朝鮮政府が国民を飢えさせていることについてずいぶん批判的であったが、国民がそんなに飢えていることを知りながら、自分自身は毎日贅沢な食事をして丸々と肥え太っているのである。その辺りを彼はどう感じているのだろうか。ビジネスの才能があり、財を成すことに成功したのかもしれないが、そもそも北朝鮮の一般国民として生まれていれば不可能だったことだ。彼の生まれが特別であり、特権を持っているからこそ、可能だったのだ。
 そして、彼の語っている意見や考え方は、よく考えれば、中国政府の見解とほぼ同じなのである。不気味なぐらい一致している。それに中国政府は現在、金正男氏を特別に警護しているようだ。あまりにも中国との結びつきが強い。本来なら正男氏はヨーロッパに住みたいのではないかと思量するが、長く中国(マカオ)に住み続けているのは、中国政府とのつながりを切れないためではないか。日本人記者による質問に対してあれほど率直に回答し、北朝鮮当局を批判することさえできるのは、バックに中国が付いていることを彼自身がよく知っているからではないか、と思う。そうでなければ、いくら金正日の長男とはいえ、北朝鮮に消されていた可能性がある。
 中国政府としては、もし機会があれば北朝鮮に「金正男政権」を打ちたて、中国の傀儡政権にする、なんてことも考えているかもしれない。

石原新党の基本政策について

2012年02月10日 23時14分13秒 | 時事

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120203/stt12020312050001-n1.htm
 先週のことになるが、石原慎太郎らが結成を目指している新党の基本政策の草案が、発表されたようだ。記事を読むかぎり、かなり大胆な政策である。国のあり方そのものを転換するようなものだ。この新党自体が果たして本当に結成されるのかどうかさえ分からない状態だが、たとえ結成され、さらに政権与党になることができたとしても、実現は相当難しいだろう。圧倒的な国民的支持があった小泉政権の絶頂期でさえ、郵政を民営化するだけでも随分苦労していたことを思い出す。この国は良くも悪くも、そう簡単には変わらないようになっているようだ。
 とはいえ、日本が今のまま停滞を続けていいはずがない。たとえ強引でも国を力強く引っ張っていけるような大政治家が現れてほしい、と本当に思う。そういう意味で、石原慎太郎の人間性はすごく嫌いなのだが、彼の「新党」には少しだけ期待している。もし本当に橋下徹らを取り込むことができれば、自民党や民主党にうんざりしている無党派層の絶大な支持を受ける可能性が高い。もし仮に政権与党になり、基本政策が実現できたとすれば、日本は大きく動き出すことになる。それが国にとって良い結果をもたらすのかどうかは断言できないが、今の体たらくを続けるよりはましだと思いたい。
その「新党」の基本政策だが、詳細が不明であるものの、方向としては賛成できるものも多い。一つ一つにコメントしていく。

前文
 「地球市民社会」などというものが幻想だというのはその通りだ。しかし「グローバリゼーション」は幻想とかではなく、今起こっている現象として現実に存在するものだ。これを否定することが日本にとって良いこととは思えない。石原は「文化のアメリカ化」というような意味で使っているのかもしれないが、それだとあまりにも一面的な見方だ。「一国家で一文明」というのも曖昧でよく分からない。石原の頭の中でははっきりしてるのかもしれないが、それは政策というより「思想」だろう。

憲法改正について
 9条改正による国軍保持、国会一院制と大選挙区制導入、改正手続きを定めた96条の改正、いずれも賛成である。9条の存在など、欺瞞でしかない。自衛隊は防衛力のみで攻撃力がないとはいっても、どう考えたって「武力」は「武力」だ。常識程度の攻撃力を付けて「国軍」にすることも当然すべきことだろう。
 参議院については、私もいらないと思っている。ついでに衆議院議員の数も減らしてほしい。国政選挙については、大選挙区の方が選挙民も大局的にものを考えられて良いかもしれない。憲法は発布から60年以上経っても一文字も変わっていない、というのがおかしい。憲法のために国があるのではなく、国のために憲法があるのだから、時代が変われば当然修正すべき点もあるはずで、もっと改正しやすくした方がいい。馬鹿の一つ覚えのように「護憲」を叫ぶ某政党は、いかにも非理性的に見える。

外交・防衛分野
 日米同盟の深化、防衛産業の育成、「南西防衛戦略」推進、核保有に関するシミュレーション。当然すべて賛成だ。中国の脅威が現実となっている今、これらに反対する理由がまったく分からない。中国をこのまま放っておけば、冗談ではなく本当に、沖縄本島にまで手を出そうとするだろう。まずは尖閣諸島を絶対に死守しなければならない。それにはアメリカではなく、何より日本自身が強い姿勢を見せる必要がある。

経済・財政政策
 100兆円規模の政府紙幣発行は良いと思う。今の日本は多少インフレになるぐらいで丁度よい。それこそ思い切ってやってほしい。国の財政の複式簿記化についてはよく分からないが、家計簿じゃあるまいし国の決算が単式簿記、というのは確かに変なのかもしれない。2040年まで原子力エネルギーゼロ、というのは厳しいと思う。もちろん原子力への依存は減らしていくべきだが、ゼロというのはどうなんだろうか。安全保障で核保有も視野に入れるというなら、どちらにしろ原子力との縁を切ることはできない。

その他
 国家公務員3分の1削減については、言いたいこともあるけど一応コメントを差し控えておく。ただ、外務省だけはこれ以上減らさない方が絶対にいいと思うのだが。平成版教育勅語というのも何なのかよく分からないが、これ以上のモラル低下を防ぐには、せめて学校においてしっかり道徳教育をすべきだと思う。
 しかし「フラット税制」だけは反対だ。消費税ならやむを得ないが、所得税までフラットにすべきではない。税率を高く設定すれば低所得者層は生活ができず、低く設定すれば、どうやって財源を確保するというのか。「小さな政府」を目指すといいたいのかもしれないが、これから進む超高齢化社会に「小さな政府」が対応できると思っているのか。こればっかりは正気の沙汰とは思えない。さすがに国民の支持を得られないと思う。

なぜK-POPは海外に進出するのか

2012年02月07日 23時01分20秒 | 音楽

 K-POPが日本やアジア諸国など海外へ積極的に売り出されている理由として、韓国の市場が小さすぎるためだ、とよく言われる。人口が5千万人弱で日本の半分以下であるため、国内に十分な市場がないから海外に打って出るのだという。最近は耳にタコができるほどよく聞く「理由」だが、よく考えてみると、おかしいんじゃないか?
 人口が少なくて需要が小さいのなら、それに合わせて供給力だって小さいはずなのである。5千万人なら5千万人レベルの大衆音楽の供給量があり、需要の大きさも同じように5千万人レベルはあるはずだ。韓国と同じぐらいのサイズの国を想定してみれば、分かりやすい。例えばスペインなどは、人口も購買力平価で見たGDPも、韓国とほぼ同程度なのだが、スペインが自国の大衆音楽を積極的に海外に売ろうとしている、などという話は聞かない。私が知らないだけかもしらないが、ポップスを熱心に「輸出」している国など、アメリカと韓国ぐらいではないか。
 韓国は音楽市場が小さすぎるとはいうが、5千万人弱もの国民がいるのだから、そんなに小さいようには思えない。しかし、確かに金額で見た韓国の音楽市場は極端に小さく、日本の30分の1程度らしい。人口比からいって日本の3分の1はあってもよさそうなのに、なぜこんなに小さいのか。ネットでいくらでも無料でダウンロードすることができるから、誰もCDなんぞに金を出さないことが主な原因なのだろう。著作権意識の低さが伺える。
 音楽に誰も金を払わないなら、それに合わせて大衆音楽産業も小さくなるはずなのだが、逆に韓国の音楽産業は成長する一方だ。これは明らかに供給過剰である。供給過剰でも何とかやっていけるのは、すぐ隣に日本という国があるからだろう。普通は大衆音楽といえば国内市場を第一に想定するものだが(アメリカでもそうだろう)、韓国だけは、海外(特に日本)の市場を最初から当てにして音楽を生み出しているように見える。こんな国は珍しい。
 つまり、韓国国内ではCDやDVDに金を払う者が極端に少ないことが要因なのだ。人口の少ないことが問題なのではない(そもそも5千万人というのは決して小さな数ではない)。だからCDやDVDにわざわざ金を出す国民が大勢いる国(つまり日本)の市場を当てにする、ということだ。これが、K-POPが日本に大量流入する理由である。
 それからもう一つの理由として、韓国人の民族的なDNAが歌や踊りに向いている、ということもあるのかもしれない。昔から歌ったり踊ったりが好きな民族だったらしい。これについては、はっきりと言えないが。

IU "You & I ノランナ(あなたと私)" 日本語訳

2012年02月04日 06時31分50秒 | 音楽

<韓国語カタカナ表記>
シゲr ポミョ ソkサギヌン ピミrドゥr
カンチョラン ネ マmソk イヤギ
チグm ネ モスブr ヘチョド チョア
ナルr チェチョカミョン ハrスロk チョア
ネ イルm プrロジュォ

ソン トゥmセロ ピチヌン ネ マm トゥrキrッカ トゥリョウォ
カスミ マk ポkチャ ソロウォ
チョグmマン コッチャmコ ナr キダリョジュォ
ノラン ナランウン チグm アンドェジ
シゲルr ト ボチェゴ シpチマン
ネガ イットン ミレエソ ネ イルムr プrロジュォ

ネガ モンジョ ヨッポゴ オン シガンドゥr
ノワ ネガ ハmケ ヨッソッチ
ナラン ノラジュヌン クデガ チョア
ネガ ムロボミョン クデド チョア
ネ イルミ ムォヤ

ソン トゥmセロ ピチヌン ネ マm トゥrキrッカ トゥリョウォ
カスミ マk ポkチャ ソロウォ
チョグmマン コッチャmコ ナr キダリョジュォ
ノラン ナランウン チグm アンドェジ
シゲルr ト ボチェゴ シpチマン
ネガ イットン ミレエソ ネ イルムr プrロジュォ

ヌン ッカmパカミョン オルニ トェr コエヨ
ナrアラボゲッチョ クデン キオカゲッチョ
クレ キミョヘットン アイ
ソン トゥmセロ ピチヌン ネ モスb チャm チョッタ

ソンックトゥロ トrリミョ シゲッパヌラ タrリョボァ
チョグmマン ト ッパrリ ナラボァ
トゥ ヌヌr ッコッ カmコマボブr コンタ
ノラン ナランウン チョグm ナマッチ
ミョッナr ミョッシrチン モルゲッチマン
ネガ イッスr ミレエソ
ホkシ ネガ ヘメンダミョン ノルr アラボrス イッケ
ネ イルムr プrロジュォ

<日本語訳>
時計を見ながらささやく秘密
私の心にある物語
たとえ私を傷つけたっていい
私を求めれば求めるほどいい
私の名前を呼んでよ

指のすき間に映る私の心が見られないか怖くて
胸がいっぱいになって悲しいよ
少しだけ我慢して 私を待っていて
あなたと私は 今はダメ
時計にわがままを言いたいけど
あなたがいる未来から 私の名前を呼んで

私が先にのぞいて来た時間に
あなたと私が一緒にいたの
私と遊んでいるあなたが好き
私が尋ねれば あなたも「好きだ」って
私の名前は何?

指のすき間に映る私の心が見られないか怖くて
胸がいっぱいになって悲しいよ
少しだけ我慢して 私を待っていて
あなたと私は 今はダメ
時計にわがままを言いたいけど
あなたがいる未来から 私の名前を呼んで

まばたきすれば 大人になるわ
私のことが分かるよね あなたは覚えているでしょ
そうよ あの変だった子ども
手のすき間に映るあなたの姿 本当にすてき

指先を回して 時計の針を走らせて
もっとはやく飛んでみて
両目を閉じて 魔法をかける
あなたと私は 少しだけ今のまま
何日の何時なのか 分からないけど
あなたがいる未来で
もし私が迷っているなら あなたのことが分かるように
私の名前を呼んで

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 今、韓国で最も勢いがあると言われているアーティスト、IU(アイユー)の「ノランナ(あなたと私)」だ。今はこの曲にはまっており、私の脳内からなかなか離れない。
 IUは現役の女子高生なのだそうだ。確かに一番人気なだけあって、スタイルも良く洗練されている。歌やダンスも高校生とは思えない実力だ。これはもしかして、BoA以来の大型新人かもしれない。
 こういうMVを見ると、今のK-POPは本当に勢いがあるな、と感じる(周りで踊ってる連中がダサイのが難点だが)。90年代までは日本のパクリだらけだった韓国の歌謡界も、よくぞここまで成長したものである。日本もAKBだけで満足している場合じゃない。もっと成長して行かなければ。