http://www.gokorea.jp/trans_bulletin/forum_list_view.html?uid=208548&fid=208548&thread=1000000&idx=36&page=2&sort=name&skeyword=guruku&tb=transEconomy1&order=
日本によって朝鮮が近代化したことは客観的に見ても事実です。
しかしその過程で朝鮮人たちにどの位の被害を与えたということも否定することができない事実です。
それで日本はその被害を与えた事実を認定をしたし、ほとんど数十回のお詫びをしました。
それに過去帝国主義国家としては類例ない莫大な金銭的な補償と技術支援をしてくれました。
しかし韓国人たちは今まで日本に毎年お詫びと補償を要求して汎国家的な反日精神を維持しています。
韓国人たちはドイツとポーランドの場合を当て付けてよく言うもののそれは誤った比較です。
ドイツとポーランドは '戦争'をしたことで そこでポーランドが敗れてドイツによって占領されたことで
日本と朝鮮はただ一度も国家間の戦争をした事がなくてただ一つの国家に統合されたのです。
そしてドイツももちろん帝国主義時代植民地たちが多数ありました。
しかしそんな植民地には大まかに謝罪ばかりするだけ補償は拒否しています。
もちろん 2次世界大戦承前国中の一つのポーランドには敗戦国であるドイツが謝罪と償うしかないが韓国は 2次世界大戦戦勝国ですか?
ドイツは 1884年から 1915年までナミビアを統治した。
鎮圧に出たドイツ占領軍はヘレロ族虐殺をほしいままにして 8万5千名だったヘレロ族が
1904-1907年間 1万4千名で減った。多くの原住民が強制収容所で棄児と疾病で死んだ。
ドイツ政府はナミビアに対する殖民統治を謝ったが虐殺行為に対して認定はしていなくて賠償要求も拒否している。
↓1996年 8.15日慰安婦問題に対して謝罪して償う日本村山総理↓
↓歴代日本首相と天皇の殖民支配お詫び発言↓
何十回もずっと総理と天皇のお詫び発言が続いた。
-日本の韓国とアジアに対する公式的なお詫び発言目録-
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1982年 8月 26日 - 宮澤喜一内閣官房長官
「1、 日本政府及び日本国民は、 過去に行った日本の行為が韓国・中国を含んだアジアの国々の国民に莫大な苦痛と損害を与えたことを深く自覚して、 このような事を二度とはだめだという反省と決意後に立って平和国家としての道を歩いて来た。 日本は韓国に関しては昭和 40年の日韓共同公文書書案に対して 「過去の関係は残念で深く反省している」という認識を言ったが、 これも前述の我が国の反省と決意を確認したことで、 現在においてもこの認識には少しの変化もない。
2、 このような日韓共同公文書の精神は日本の学校教育、 教科書の検定に対しても当たり前尊重されなければならないはずだが、 今日の韓国、中国などからこのような点に関する日本教科書の記述に関して批判が伝わっている。 日本はアジア国々との友好、 親善を進行させるのにあってこのような批判に充分に耳を傾けて政府の責任に対して改める。
3、 このために、 今後の教科書検定に臨んでは教科用図書検定調査審議会の議論を経って検定基準を直して前で見た主旨が充分に実現するように気配りする。 もう検定が行われたことに関しては、 今後は速かに同じ主旨が実現するように措置するものの、 それまでの間の措置として文部大臣が所見を確かにして、 前記の主旨を教育の場所にあって充分に反映するようにすることにする。
4、 日本は、 前でも、 アジア国家たちとの相互理解の促進と友好協力の発展に努力してアジア、 ひいては世界の平和と安定に寄与して行くつもりだ。 」
1984年 9月 6日 - 昭和天皇
「今世紀の一時期にあった、 日韓両国の間の不幸な過去は本当に残念で、 また繰り返されてはいけないと思います。 」
1984年 9月 7日 - 中曽根康弘首相
「韓国及び韓国人たちにおびただしい困難を持って来た」
「深い残念の考えを表明する。」
1990年 5月 24日 - 今上天皇
「日本によって招来されたその当時不幸だった時期に、 韓国の人々が経験して来たつらさを思って、 私は悲しくて惜しい考えを禁ずることができないです。 」
1990年 5月 25日 - 海部俊樹首相
「 私は韓国の大統領閣下を迎えたこの機会に、 過去のひととき、 朝鮮半島の方々が日本の行為によって堪えにくいつらさと悲しみが体験されたことに対して謙虚に反省して、 率直に謝罪の気持ちを申し上げたいと思います。 」
1992年 1月 16日 - 宮沢喜一首相
「私たち日本国民はなによりも過去のひととき、 韓国の国民が日本の行為によって堪えにくいつらさと悲しみが体験された事実を思い出して、 反省する気持ちを持たなければなりません。 私は総理としてもう一度韓国国民に対して反省と謝罪の気持ちを申し上げたいです。 」
1992年 1月 17日 - 宮沢喜一首相
「日本と韓国との関係で忘れてはいけないことは、 数千年にかける交流の中で、 歴史上のひとときに、 日本が加害者であり、 韓国がその被害者だったと言う事実です。 私は以前朝鮮半島の方々が日本の行為によって堪えにくいつらさと悲しみが体験されたことに対して本気での反省の意味と謝罪の気持ちを表明します。 最近いわゆる従軍慰安婦の問題が扱われています。 私はこのような事は本当に心が痛い事であり、 本当にすまないと思います。 」
1992年 7月 6日 - 加藤紘一内閣官房長官
「日本政府としては、 国籍、 出身地の如何を問わず、 いわゆる従軍慰安婦として言葉や文で表現することができない苦痛を経験したすべての方々に対して再び忠心で謝罪と反省の気持ちを申し上げたいです。 また、 このような過ちを決して繰り返してはいけないと思う深い反省と決意の下に立って平和国家としての立場を立て通すことと同時に未来に向けて新しい日韓関係及びその他のアジア国家たちと関係を構築するように努力して行きたいです。 」
1993年 8月 4日 - 河野洋平内閣官房長官
「 従軍慰安婦件は 、 当時の日本軍の関与の下に、 多数の女性の名誉と尊厳を深く損傷させた問題だ。 政府はこの機会にもう一度その出身地の如何を問わず、 いわゆる従軍慰安婦として多くの苦痛が経験されて心身にかけてくれと言いにくい傷をつかれたすべての方々に対して心より謝罪と反省の気持ちを申し上げる。 」(慰安婦関係調辞訣と発表に関する河野内閣官房長官談話いわゆる河野談話)
1993年 8月 23日 - 細川護熙首相
「過去の日本の侵略行為や植民地支配等が多い人々に堪えにくいつらさと悲しみを持って来たことに再び深い反省と謝罪の気持ちを申し上げる」
1993年 9月 24日 - 細川護熙首相
「私が日本の行為を '侵略戦争'、 '侵略行為'と表現することは、 過去の日本の行為が多い人々に堪えにくいつらさと悲しみを持って来たという認識を率直に言ったことであり、 もう一度深い反省と謝罪の気持ちを表明したのです。 」
1994年 8月 31日 - 村山富市首相
「日本が過去のひとときに行った行為はアジア人々に、 治療しにくい傷を残しています。 私は日本の侵略行為や、 植民地支配等が多い人々に堪えにくいつらさと悲しみを持って来たことに対して深い反省の気持ちと決意の下世界平和の創造に向けて力をつくして行くことが、 これからの日本がかけなければならない進路と思います。 日本はアジア国々との関係の歴史を直視しなければなりません。 日本国民と韓国、中国のすべての国民が手を握ってアジア・太平洋の未来を開こうとすれば 、 お互いの痛みを乗り越えて構築される相互理解と相互信頼と言う浮動の土台が必須不可欠します…いわゆる従軍慰安婦問題は女性の名誉と尊厳を深く損傷させた問題であり、 私はこの機会に、 もう一度、 本気での深い反省と謝罪の気持ちを申し上げたいです。 日本としてはこのような問題も含んで過去の歴史を直視して、 正しくこれを後世に伝えることと同時に、 韓国、中国の相互理解のいっそうもっと増進に努力するのが、 日本の謝罪と反省の気持ちを現わすようになると思っていて本計画は、 このような気持ちを勘案したのです。 」
1995年 6月 9日 - 衆院決議
「世界の近代史における幾多の植民地支配や侵略行為に構想をして、 我が国が過去に行ったこのような行為や他国民特にアジア諸国民に与えた苦痛を認識して、 深い反省の意味を表明する。 」(歴史を教訓で平和への決意を新しくする決意。 いわゆる戦後 50年衆院決議)
1995年 7月 - 村山富市首相
「いわゆる従軍慰安婦の問題は、 旧日本軍が関与して多くの女性の名誉と尊厳を深く損傷させたことで到底容赦されることはできないです。 私は従軍慰安婦として心身にかけてくれと言いにくい傷をつかれたすべての方々に対して深く謝罪を申し上げたいです。 」
1995年 8月 15日 - 村山富市首相
「日本は、 遠くない過去の一時期、 国策が下手で戦争への道を歩いて国民を存亡の危機に落として植民地支配と侵略によって多くの国々、 特にアジア国家の人々に対して莫大な損害と苦痛を与えました。 私は疑うこともできないこの歴史の事実を謙虚に受け入れてここに再び痛切な反省の意を現わして、 本気での謝罪の気持ちを表明します。 また、 この歴史が持って来たすべての犠牲者に深い哀悼の考えを捧げます。 敗戦の日から 50周年を迎えた今日、 日本は深い反省で、 独りよがりなナショナリズムを排除して、 責任ある国際社会の一員として国際協助を促進して、 それを通じて、 平和の理念と民主主義を広くまき散らして行くのなければなりません。 同時に日本は、 唯一の被爆国としての体験を根拠にして、 核兵器の極めの廃絶を目標にして非核拡散体制の強化など、 国際的な軍縮を積極的に推進して行くことが重要です。 これこそ、 過去に対するよったのに糸でも、 犠牲になられた方々の英霊を鎮める根拠になれば、 私は信じています。 」(前後 50周年の終戦記念にあたる村山首相談話. いわゆる村山談話)
1996年 6月 23日 - 橋本龍太郎首相
「例えば '創氏改名'と言ったことは私たちが完全に学校の教育の中では分かるわけがなかったことだったし、 そういう事がどれだけ多い朝鮮人たちの心を損傷させたのかは想像に残ることがあることがあります…また、 今、 従軍慰安婦の問題に接することができたんですが、 私はこれよりこれ以上女性の名誉と尊厳を損傷させた問題はないと思います。 そして、 心より謝罪と反省の言葉を申し上げたいです。 」
1996年 10月 8日 - 今上天皇
「一時期、 日本が朝鮮半島の人々に大きい苦しさを持って来た時代がありました。 それに対する深い悲しみはいつも私の記憶に残しています。 」
1998年 10月 8日 - 小渕恵三首相
「 両首脳は、 日韓両国が 21 世紀の確固な善隣友好協力関係を構築して行くためには両国が過去を直視して相互理解と信頼に根拠した関係を発展させて行くことが重要なことに対して意見の一致を見た。 小淵総理大臣は、 今世紀の日韓両国関係を回考して、 日本が過去の一時期韓国国民に対して植民地支配によって莫大な損害と苦痛を与えたと言う歴史的事実を謙虚に受け入れて、 これに対して痛切な反省と本気での謝罪を言う。 キム・デジュン大統領は小淵総理大臣の歴史認識の表明を真剣に受け入れてこれを評価することと同時に、 両国が過去の不幸な歴史を越して仲直りと善隣友好協力に根拠した未来志向的な関係を発展させるためにお互いに努力するのが時代の要請である主旨を表明します。 」
2000年 8月 30日 - 河野洋平外務大臣
「 私は歴史認識に関しては前後 50周年に内閣の決定を経って足出た村山総理談話で日本の考えは明確だと思っています。 私も閣僚の一人としてこの談話の作成に携わったんですが、 これはその後の歴代内閣にも引き継ぎされて今多い日本人の常識であり、 共通の認識と言えます。 」
2001年 4月 3日 - 福田康夫内閣官房長官
「付け加えて私たち日本国政府の歴史に関する基本認識に関しては、 前後 50周年の平成 7年 8月 15日に足出た内閣総理大臣談話にあるとおり、 日本は遠くない過去の一時期、 植民地支配と侵略によって、 多くの国々、 特にアジアの人々に対して莫大な損害と苦痛を与えた事実を謙虚に受け入れてそれに関して痛切な反省と本気での謝罪の気持ちを表明すると言うのだ。 このような認識はその後歴代の内閣に対しても引き継ぎされて来ていて現内閣に対しても、 この点に何らの変化はない。 」
2001年 9月 8日 - 田中真紀子外務大臣
「日本は第2次世界大戦に対して多い国の人々に対して莫大な損害と苦痛を与えたことを決して忘れてからはないです。 多くの人々が貴重な生命を失うとか傷をつかれました。 また、 以前戦争虜を含んだ多くの人々の間になぐさめにくい傷跡を残しています。 このような歴史の事実を謙虚に受け入れて 1995年の村山内閣総理大臣談話の痛切な反省の意味及び本気での謝罪の気持ちをここに再確認します。 」
2001年 10月 15日 - 小泉純一郎首相
「日本の植民地支配によって韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに本気での反省と謝罪の気持ちを持ちます」
2001年 - 小泉純一郎首相
「 いわゆる従軍慰安婦問題は、 当時の軍の関与の下に、 多数の女性の名誉と尊厳を深く損傷させた問題でした。 私は日本の内閣総理大臣として再び、 いわゆる従軍慰安婦として多くの苦痛が経験されて心身にかけてくれと言いにくい傷をつかれたすべての方々に対して、 心より謝罪と反省の気持ちを申し上げます。 私たちは過去の量感からも未来の責任からも逃げることはできないです。 日本としては道義的な責任を痛感しながら、 謝罪と反省の気持ちを根拠にして過去の歴史を直視して、 正しくこれを後世に伝えることと同時に、 理由ない暴力など女性の名誉と尊厳に係わる多くの問題にも積極的に臨んで行かなければならないと思っています…. 」
2002年 9月 17日 - 小泉純一郎首相
「日本側は過去の植民地支配によって朝鮮の人々に莫大な損害と苦痛を与えたと言う歴史の事実を謙虚に受け入れて痛切な反省と本気での謝罪の気持ちを表明します。 」
2003年 8月 15日 - 小泉純一郎首相
「また、第2次世界大戦に対して日本はアジア国家の人々に対して莫大な損害と苦痛を与えました。 日本国民を代表してここに深い反省の意味を新しくやって、 犠牲になった方々にご遠慮哀悼の意を現わします。 」
2005年 4月 22日 - 小泉純一郎首相
「日本は早く植民地支配と侵略によって多くの国々、 特にアジア国家の人々に対して莫大な損害と苦痛を与えました。 このような歴史の事実を謙虚に受け入れて痛切な反省と本気での謝罪の気持ちをいつも心に刻みながら、我が国は第2次世界大戦後一貫して経済大国になっても軍事大国にはならず、どんな問題も武力に寄り掛からないで平和的に解決するという立場を立て通しています。 ……」
2005年 8月 15日 - 小泉純一郎首相
「また、 日本は早く植民地支配と侵略によって、 多くの国々、 特にアジア国家の人々に対して莫大な損害と苦痛を与えました。 このような歴史の事実を謙虚に受け入れて再び痛切な反省と本気での謝罪の気持ちを表明することと同時に、 前の大戦における内外のすべての犠牲者にご遠慮哀悼の意を現わします。 …… 日本の前後の歴史は確かに戦争への反省を行動で現わしたように見えた平和の 60年です。 …… 特に中国や韓国を始まりにするアジアと一緒に手を握ってこの地域の平和を維持して発展を目標にするのが必要だと思います。 過去を直視して、 歴史を正しく認識して、 アジア国家たちとの相互理解と信頼に根拠した未来志向の協力関係を構築して行きたいと思っています。 」
2010年 8月 10日 - 菅直人首相
「 私は歴史に対してまじめに受け入れたいです。 歴史の事実を直視する勇気とそれを受け入れる謙虚さを持って自らの過ちを反省することに率直になりたいと思います。 痛みを準側は忘れやすくて、 与えられた側がそれを簡単に忘れることはできないのです。 この植民地支配が持って来た莫大な損害と苦痛に対して、 ここで痛切な反省と本気での謝罪の気持ちを表明します。 」
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↓1965年韓日協定↓
この条約で韓国政府は個人、国家に対して日本の殖民支配補償問題を最終解決されたことと認めて条約を締結した。
これにより韓国はこれ以上日本に賠償やお詫びを要求することができないが韓国は自ら締結したこの条約を無視してずっとお詫びを要求するところだ。
↓1997年韓国 IMF 当時世界からの援助↓
総額 550億ドル中 100億ドルを日本が援助↓その他 1965年韓日条約締結以後日本が韓国に支援した金銭目録↓
↓日本企業が韓国企業に提供した技術提携↓
日立電器→起亜起工 NC工作機の製造技術
小林コーセー→ジュリア化粧品 製造技術
ヤンマーディーゼル→双竜重工業 大型船舶用ディーゼルエンジンに関する技術
東芝→金星通信 X線診断装置、超音波診断装置に関する技術
キヤノン→ロッテ産業 高性能乾式コピー機に関する技術
ソニー→現代電子 VTRの製造技術
日立造船→韓国重工業 船舶用エンジン製造に関する技術
日本精糖→第一精糖 精糖工場の自動化に関する技術
日本ブレーキ→コリアベラルサ ブレーキ器具に関する技術
TCM →金星産前社 バッテリー式フォークリフトに関する技術援助
→起亜重工業社 フォークリフトに関する技術援助
東海ゴム→大興工業 防塵ゴムに関する技術
大阪起工→サムスン重工業 工作機械に関する技術
三菱→現代自動車 エンジン・トランスミッションに関する技術
日本クライメイトシステム→Doowon Climate Control社 自動車用共助機器に関する技術
メディネット→IMS社 免疫細胞療法総合サポートサービスに関する技術、知的財産権
帝都ゴム→平和産業 TS工法実施権及び技術
日産ディーゼル→サムスン重工業 トラックの国産化技術
川上塗料→高麗化学 粉体塗料の製造技術
松下電器産業→アナム電器 カラーTV、オーディオ製品に関する技術
日本ビクター→金星社 VHS 方式VTRの特許及び製造技術
日本ビクター→サムスン電子 VHS 方式VTRの特許及び製造技術
東芝→韓国電子 TV・オーディオ用バイポーラ ICの設計・製造に関する技術、及び技術者の受諾派遣
シャープ→サムスン 半導体 IC製造技術
クボタ鉄工→江山産業 上下水道用・中大型バルブの製造技術
その外、 韓国に移転された主な技術
家電製品 VTR、 カラー TV、 黒白 TV、 オーディオ、 ラジオ、 冷蔵庫、 エアコン、 電気洗濯機、 テープレコーダー、 ステレオ、 カセットデッキ、 カセットデイプ、 など
産業設備総合製鉄工場、 NC工作機械、 IC製造技術、 自動織物機、 ボールベアリング、 ローラーベアリング、 フォーク・リフト、 エレベーター、 エスカレーター、 コンピューター、 工業用ミシン、 溶接機、 公害防止設備、 水処理設備、 X線診断装置、 など
運送機械大型タンカー、 善用ディーゼルエンジン、 造船ドック施設、 鉄道車、 鉄道用ブレーキ、 バイク、 自動車用バッテリー、 アクセル、 トランスミッション、 ジョイント、 ステアリング、 サスペンション、 各種消防車、 など
通信機械同軸ケーブル、 公衆電話、 無線送受信機、 漁業用通信機、 放送用通信機、 VHF送受信機、 キー、 テレホン、 など
雑貨双眼鏡、 腕時計、 万年筆、 ゴルフ用具、 釣り用具、 ボールペン、 化粧品、 など
日本が 1965年韓日条約締結以後韓国に援助した金銭、技術、産業、などは現代の価値に換算すれば総額 23兆円(330兆ウォン) 規模になって韓国経済の原動力となったことは否定することができない。
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お詫びと賠償は既に数多くしたし、 すぎ去った事問題は韓国政府が自ら 1965年 '韓日協定' に署名することですべての問題を解決。↓
毎度韓国人たちは日本天皇の謝罪を要求するのに
そうであればどうして 1965年韓日協定を受け入れたんですか?
まさかこれも日本が強制にするようにしたんですか?
むしろ韓国はその当時、早くこの条約を採決したがりました。
韓国は国家間の条約も無視する国ですか??
まるで受け取るのはすべて受け取って、守らなければならないことは守らない幼稚園児の姿みたいです。
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日韓翻訳掲示板「Go! Korea」において昨年5月に、gurukuさんという韓国側IDの方が投稿されたスレッドである。あまりにすばらしい内容であったので、マイナーな掲示板に載せるだけではもったいないと思い、私のブログで拡散させていただくこととした。日本語訳も、機械翻訳では意味不明な部分は修正しておいた。ここに書かれていることを、一人でも多くの韓国人と日本人に認識してもらいたい。