Willow's Island

since 2005

反中国デモに参加してみよう

2010年09月29日 21時49分58秒 | 時事

 なんと、来る10月2日(土)には、大規模な反中デモが全国で行われるらしい。なりふり構わぬエゴをむき出しにした中国には、私だけでなく多くの日本人が怒っているのではないだろうか。加えて、民主党政権の愚策によって日本のプライドも大きく傷ついている。これで本当に大規模なデモが起きれば、面白いことだ。日本人だっていつまでも黙っているわけではない、ということを世界に示すチャンスである。尖閣諸島をめぐる今回の件は、まさに全国各地で大規模なデモが起きても当然なのだ。
 名古屋でも行われるので、ぜひ私も参加しよう、と思ったのだが、この日は娘が幼稚園(来年から通う予定)の運動会に出る日であった。もちろん初めての運動会であり、娘にとっては「かけっこデビュー」である。これをビデオにおさめる必要があるため、残念ながら私は参加できない。(^^) その代わり、この記事を読んでいただいた諸兄には、ぜひデモに参加していただきたい。詳細は、以下のサイトにあります。
http://www.ganbare-nippon.net/news/diary.cgi?no=9

 下の産経新聞の記事によると、検察が船長を釈放したのは、フジタの社員4人が人質にとられたことが最大の要因らしい。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100927/plc1009270008000-n1.htm
 「4人の人命はどうなるんですか。(起訴したら)危ないんじゃないですか」だと。日本の検察も、ずいぶんと甘っちょろいものである。しかしそれ以上に、中国という国がいかに汚いか、ということがよく分かる。国そのものが、まさに犯罪者と同じである。
 さてそんな中、肝心の国会議員たちは、中国様の建国記念レセプションへといそいそと大勢で出かけたらしい(笑)。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100930/plc1009300024000-n1.htm
 上の記事に、参列した議員どもの名が上がっている。よーく覚えておこう。

売国奴は政権から降りろ。(尖閣諸島問題)

2010年09月25日 07時12分23秒 | 時事

 検察の判断で船長を釈放しただと? そんなもん、信じる奴がいるわけない。日中関係が云々、というのは検察が考慮することでは全くない。政府の介入があったことは、中学生でも分かるだろう。そうでなければ、公務執行妨害で逮捕しながら処分保留で釈放、なんてことがあるわけない(せめて建前でも、起訴猶予ということにしてほしかった)。これで日本政府は「中国の圧力に屈しました」という強いシグナルを、相手国だけでなく世界中に喧伝することになった。このことによる日本への悪影響、長期に見た国益の損害はすごく大きい。今回の件を一つの既成事実として、中国はますます図に乗り、尖閣の領有権について恫喝をくり返すことになるだろう。
 それにしてもなぜ今回、このように恥さらしな結果になったのか。経緯がよく分かるのが、以下の読売新聞の記事だ。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100925-OYT1T00154.htm
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「『超法規的措置』は、取れないのか」
 22日の訪米を控えた菅首相は、周囲にいらだちをぶつけた。沖縄・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件で、中国の対抗措置の報告が次々に上がってきていた。
 首相は「民主党には(中国で副首相級の)戴秉国(たいへいこく)(国務委員)と話せるやつもいない。だからこういうことになるんだ」とこぼした、と関係者は語る。
 首相とその周辺が中国人船長の扱いをめぐる「落としどころ」を本気で探り始めたのは、船長の拘置期限が延長された19日以降のことだ。この日を境に中国政府は、日本人4人を拘束し、レアアース(希土類)の対日輸出禁止の動きに出るなど、本格的な「報復カード」を相次いで切った。
 実際に「船長釈放」に動いたのは、仙谷官房長官と前原外相だったとされる。
 23日朝、ニューヨーク。日中関係の行方を懸念するクリントン米国務長官と向かい合った前原外相は、こう自信ありげに伝えた。
 「まもなく解決しますから」
(中略)
 船長釈放は、結果として日米首脳会談直後というタイミングになった。このため、「米国からこれ以上の日中関係悪化について、いいかげんにしろ、と圧力がかかったのでは」との指摘すら出ている。
 政府・民主党内でも、官邸の判断に対する評価は分かれる。「中国ではスパイ容疑は最悪、死刑が適用される。4人の人命がかかっていた」との危機感から理解を示す声がある一方、「レアアース問題は、世界貿易機関(WTO)に提訴すれば中国は負ける。ごり押しすれば勝てる、と中国にまた思わせただけだ」といった批判も多い。
 「菅も仙谷も、外交なんて全くの門外漢だ。恫喝(どうかつ)され、慌てふためいて釈放しただけ。中国は、日本は脅せば譲る、とまた自信を持って無理難題を言う。他のアジアの国々もがっかりする」。党幹部はうめいた。
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 つまり政権担当能力のない無能に政権を預けると、このような結果になる、ということだ。これを機に、民主党に票を投じた阿呆どもは猛省してほしい。

長浜

2010年09月23日 15時42分16秒 | 旅行
実は今、家族で滋賀県の長浜に来ている。黒壁スクエアは5年前にyosikuriと来て以来だ。娘を連れての初めての一泊旅行である。昼食は近江牛の焼き肉丼を食べ、先ほどは美術館で楢喜八の展開会を見た。楢喜八のイラスト付きの携帯ストラップも購入した。娘もいろいろ初めての刺激を受け、楽しそうだったが、疲れたのか寝てしまった。今はお茶屋で休憩し、娘を寝かせているところである。

今まで行ってきた海外旅行 2

2010年09月22日 00時02分19秒 | 旅行
2003年 韓国・ソウル
初めてJSA(共同警備区域)に行ってみた。まさに映画で見たとおり、南北が対峙しあっている現場を見ることができた。残念ながら北側の兵士はよく見えなかったが、北朝鮮管理下にある区域を目にすることができたのは貴重な体験だった。

2003年 オーストラリア・パース
この時期にちょうど空港テロの発生が疑われていたため、一人旅である私は思いっきり怪しまれ、パースの空港で「何のために来たのか」という尋問を何度も受けた。これ以来、私のオーストラリアに対する印象は最低最悪のままである。

2003年 アメリカ・ニューヨーク
これは仕事の関係で行ったが、休日に少しだけ観光することもできた。世界の中心都市と言われるだけあって、本当に様々な人種や民族が共存しており、刺激を受けた。意外にも古くさい建物が多く、あまりきれいな印象は受けなかった。

2004年 韓国・ソウル、水原、龍仁
ネットで知り合った人に会っていろいろ案内してもらい、楽しく過ごせた。初めてソウル郊外の町、水原や龍仁にも足を伸ばした。この頃には日本文化の開放が始まっており、町の商店で普通に日本の漫画やCDが売られるようになった。

2004年 香港
九龍城がなくなっていたのは残念だが、香港独特の雰囲気は残っていて、街を歩くだけで楽しかった。いろんな商品が売られており、文化的にも豊かな街である。私にとっては英語が最も通じやすい場所だった。食べ物もうまい。

2005年 ロシア・ウラジオストク
日本語も英語もまったく通じなくて、食事をするだけでも本当に苦労をした。腹の立つことも多かったが、「日本に最も近いヨーロッパ」と言われるだけあって、町並みは本当に美しかった。女性もやたらときれいな人ばかりだった。

2005年 韓国・ソウル
職場の旅行。上司や同僚に、韓国語が少し話せるところを見せることができた。新興の繁華街、江南にも足を伸ばしてみた。江北と違って古い建物がないため、やはり洗練されて見えた。新しくできた清渓川の沿岸を歩くこともできた。

2006年 韓国・ソウル
夏のソウルは、とにかく暑かった。ネットで知り合った知人の家を探りあてるために歩き回り、すごい量の汗を流した。仁寺洞には、いつの間にかお洒落なショッピング・ビルが建っており、ここでお土産の手鏡を買った。

2006年 フランス領ニューカレドニア
新婚旅行。天国にいちばん近い島、と言われるだけあって、過ごしやすく、すばらしい観光地だった。何よりも海の美しさに圧倒された。現地の人々も感じの良い人ばかりだった。欠点といえば、物価の高さぐらいか。

2007年 韓国・ソウル
妻を伴って行った初めての韓国。主に江南エリアを回ってみた。ショッピング・モールで食べた部隊チゲが印象的だった。しかし残念なことに妻には韓国の食事が合わなかったのか、旅の後半では体調を崩してしまった。

2007年 中国・上海
職場の旅行。ある意味、世界で最も勢いのある街といえるため、かなり見応えがあった。10年前に比べると比べものにならないほど近代化されており、食事もおいしかった。しかし市民のマナーや品位は、依然として後進国レベル。

2008年 韓国・ソウル
職場の旅行。さすがに訪韓11回目ともなると、それほど目新しい場所は少なくなってきた。しかしソウルは常に変化し続ける街であり、いつ訪れても、違った顔を見せてくれる。何回行っても飽きない街である。

今まで行ってきた海外旅行 1

2010年09月20日 06時16分07秒 | 旅行
 今年ももうすぐで夏が終わるが、目標であった海外旅行は果たせそうにない。やはり子どもが小さいと、無理がある。私一人で行くわけにもいかないし。これで去年に引き続き、海外には行けないことになる。実はパスポートの期限も、今年の1月に切れて更新しないままだ。どっちにしても海外には行けない。そのかわり、今週の木曜日と金曜日に家族で滋賀県の長浜に行く予定である。ずいぶん近場だが、子どもを連れて一泊旅行するのはこれが初めてである。
 思えば今まで、いろんな国を旅してきた。初めて会う人などに、今まで海外には何回行ったことがあるか、どんな国に行ったのか、と質問されることも多い。しかし「いろいろ行きましたよ。特に韓国が多いです。」と答えるぐらいで、あまり明確には答えることができなかった。なので、人に聞かれてもすぐ答えられるよう、私が今まで行ってきた海外旅行を思い出し、ここで一気にまとめてみようと思う。

1995年 イギリス・ロンドン、フランス・パリ
 就職する前に行った、初めての海外旅行。ヨーロッパの寒さ、街行く人々の冷たさ、あまりの文化の違い、などに圧倒され、体調を崩してひどい熱が出た。これ以降、ヨーロッパは苦手となった。今でも良い印象はない。

1996年 アメリカ・シカゴ、テレホート(インディアナ州)
 特殊な事情があって、地元中学校の教師や生徒、その親などといっしょに大人数で行った。初めてのアメリカは、私が期待したとおり、いやそれ以上で、ものすごく楽しかった。何だかんだ言われているが、やはり豊かで文化程度の高い国なんだと実感した。

1997年 アメリカ・グアム
 職場の有志で行った旅行。日焼け防止クリームを塗らずに何時間も砂浜で寝転んだため、ひどい日焼けになった。火傷に近い症状が出て、熱も出た。観光客としては日本人の他に、韓国人がやたらと多いのが印象的だった。

1997年 中国・重慶、武漢、上海、etc
 いわゆる三峡下りで、船で何日もかけて長江を下った。やはり天下の絶景であった。この頃の中国はまだ貧しく、特に地方の都市は悲惨だった。船を下りると、観光客をあてにした大勢の物乞い達が列をなしており、彼らの多くは足が切断されていた。

1997年 韓国・ソウル、釜山
 職場の旅行で行った、初めての韓国。この頃の韓国も現在と比べれば貧しく、ソウル最大の繁華街がある明洞の地下鉄駅周辺でさえ、日本ではありえないほどさびれた貧民街を目にした。思えば、この時はIMF危機が訪れる直前だった。

1999年 韓国・ソウル
 友人達と行った2度目のソウル。ここで、親しげに日本語で話しかけてくる二人の男に見事にだまされ、私と友人達はぼったくりバーへと入店する羽目になった。単なるカラオケバーだったが、2時間程度で3万円以上を払わされた。(^^;)

2000年 韓国・ソウル
 懲りずに3度目の訪韓。ソウルの中流階級が住むと見られる住宅街の中を歩いた。家屋はすべてレンガ作りで、日本とはかなり違う雰囲気を味わうことができた。ネットを通じて知り合った韓国人に会い、仁寺洞の良さも教えてもらった。

2000年 タイ・バンコク
 友人達と行った初めての東南アジア。寝転ぶ仏像や金ぴかの寺院は印象的だったが、バンコクはそれほど面白い街ではなかった。特に食べ物は私の口に合わなかった。コンビニに入っても香辛料(?)の臭いが強烈で、辟易した。

2000年 台湾・台北
 職場の旅行。様々な面で、とにかく日本の影響が強い。町の本屋に入れば、日本でも大して人気がないと思われる漫画でさえ、ちゃんと翻訳版が出ていることに感心した。今まで行った外国の中では、食べ物が最もおいしいと感じた。

2001年 韓国・ソウル
 韓国の歌手、カン・スジのファン・ミーティングに参加した。期待したとおりの、きれいで品のある人だった。韓国のファン達も、実に親切で感じの良い人ばかりだったのが印象的だった。会場のカフェがあった新沙洞も実にお洒落だった。

2001年 イタリア・ローマ
 友人と行った、2度目のヨーロッパ。ローマは町全体が小さく、主要な観光名所はすべて歩いて見回ることができた。郊外の田舎町にも足を伸ばしてみたが、奇妙な彫刻が立ち並ぶボマルツォの公園は、強烈なインパクトがあった。

2002年 韓国・ソウル
 ちょうど日韓ワールドカップが開催されている6月に行った。この頃からソウルの街は少しずつ洗練されていったと思う。漢江沿い河原の花火大会にも参加し、そこで韓国人とともに「テーハミングッ!」とシャウトしてみた。(^^)

2002年 中国・北京
 2度目の中国。北京の街は思っていたよりずっと近代化しており、部分的にはまるで先進国であったが、まだ純中国的な胡同(フートン)の町並みは残されていた。天安門広場と故宮を訪れたところ、その巨大さには圧倒された。

何やってんだか、日本の英語教育

2010年09月18日 01時17分58秒 | その他

 市の図書館などに行くと、中学校で使う教科書を置いてあったりする。その中でもちろん、英語の教科書もある。今時の中学生はどんな英語を習っているんだろうか、と興味があったので読んでみた。私が中学生だった頃(25年前)に比べると、比較的自然な英語になっていたので、少し安心した。文が単純すぎて少し不自然だが、英語として間違ってはいない。
 私が中学生の頃に習っていた英語を今思い出してみると、本当にひどいものだった。たとえば付加疑問文などというものがあって、"I am a boy, amn't I?"というような文を覚えさせられたが、こんな「付加疑問文」などというもの、実際の英語の文章ではほとんど目にしたことがない。そもそも、amn'tなんて省略形が本当に存在するのか。あと、感嘆文などというものもあり、"What a big house this is!"を"How big this house is!"に言い換えろ、だとか、"How dare you come to school!"を「よくも学校に来たな」と訳せ、だとか習ったが、当然これらも、本物の英語にはほとんど登場しない。テストに出てくる問題も、in order to make money を言い換えて for the purpose of making money にしろ、だとか、使えない英語ばかりを習っていたような気がする。
 こんな英語を習っていては、話すことや聴くことはもちろん、読むことや書くことだってまともにはできないだろう。日本人は英語の会話はできないが、読み書きなら何とか、というようなことを聞くが、嘘だと思う。長らくネットを見ていて感じたが、日本人は平均して、英語を書くことも非常に苦手だ。韓国人や中国人だって英語の文を書かせればたいていは下手であるが、彼らの場合は下手なりに少なくとも何とか意味が分かる。しかし、日本人の書く英語は、意味が分からないことが非常に多い。日本語の発想そのままで英単語をつなげるので、日本人同士なら「おそらくこう言いたいんだろうな」ということが分かるが、外国人には何のことやら不明だろう。
 現在は多少ましになっているとはいえ、基本的に日本の英語教育は、日本人が英語を使えるようにすることを目的にしていないんだろうな、と感じる。中学、高校の授業だけで、まともな英語を使えるようになったら、そっちの方が奇跡だ。じゃあ何のために英語が教科になっているのか、といえば、高校受験や大学受験で人を振り分けるため、という理由しか思いつかない。

犯罪者の船長は絶対に帰すなよ。(尖閣諸島問題)

2010年09月15日 00時16分17秒 | twitter

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100914ddm002040016000c.html
 沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)付近で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突して船長が逮捕された事件で、中国の強硬姿勢が際立っている。中国は今月中旬に予定されていた東シナ海ガス田開発の条約交渉を延期。12日未明に戴秉国(たいへいこく)国務委員(副首相級)が丹羽宇一郎中国大使を呼び出し、漁船と乗組員を直ちに引き渡すよう要求した。丹羽大使への抗議は4回目、未明の呼び出しは極めて異例だ。一方、法律に基づいて処理を進めるとする日本側は同日、漁船の検証と中国人船員14人の参考人聴取を終了。14人は13日に石垣空港からチャーター機で帰国し、漁船も返還された。
(以下略)
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 中国がますます本性を現してきたようだ。真夜中に大使を何度も呼び出すとは、明らかな嫌がらせである。その嫌がらせがあった直後、日本政府は船員の釈放を決めた。船員については任意調査が終わったから、ということかもしれないが、大使に嫌がらせをした直後に船員が釈放される、というのは外から見てどう映るだろうか。日本には少し圧力をかければすぐに言うことを聞く、という印象しか残らないだろう。まさに弱腰外交の極みである。民主党政権もいよいよ「らしさ」を発揮してきた、ということか。
 しかし真面目な話、犯罪者である船長だけは絶対に帰してはならない。たとえどんな圧力があっても絶対に、だ。これは当たり前のことである。もしこんな当たり前のことができないというのなら、そんな政府はいらない。さっさと野党に政権を明け渡してほしい。今さら代表が菅だろうが小沢だろうが、心底どうでもよい。
 あと、蓮舫が面白いことを抜かしていた。
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http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2010091401076
 蓮舫行政刷新担当相は14日、尖閣諸島付近で海上保安庁の巡視船と中国漁船が衝突した事件に関連し、「領土問題なので日本の立場を冷静に発信すべきだ」と発言したことについて、自身のホームページで「誤解を与えたとすれば本意ではない」と述べ、発言を事実上修正した。
 蓮舫氏の発言は、尖閣諸島に領土問題は存在しないとする政府の公式見解と食い違ったと受け取られた。これについて、同氏は「尖閣諸島がわが国固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いはなく、領有権の問題はそもそも存在していない」と釈明した。
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 この人の言う「わが国」っていうのかどこの国なのかね? やはり台湾のことなのであろう。(^^)

911テロはアメリカの自作自演?

2010年09月11日 22時14分03秒 | 

 今日であの911テロからちょうど9年が経つ。この事件以来、世界は「テロとの戦い」とやらで一色になった。アメリカはアフガンやイラクといった中東にズブズブとはまり続け、「戦争国家」としてのイメージしかなくなった。911以降、世界はずいぶんと殺伐とし、その原因を作ったアメリカに対するイメージも著しく低下した、というのが私の印象である。
 この911テロについて、衝撃的なことが書いてる本を読んだ。中丸薫と菅沼光弘の共著による「この国を支配/管理する者たち」という本だ。菅沼光弘氏は、公安調査庁の元幹部であり、日本政治の裏情報に詳しいらしい。中丸薫氏は・・・よく分からないが、明治天皇の孫だそうだ。(^^;)
 中丸薫氏によると、ニューヨークの世界貿易センタービルを狙った911テロは、実は中東過激派によるテロでもなんでもなく、アメリカの自作自演、とのことである。民間のボーイング機がビルに突っ込んだのではなく、大きさから言ってあれは戦闘機だった、というのである。しかも、ビルの内部にはあらかじめ大量の爆弾が仕掛けられており、飛行機がぶつかったと同時に誰か(アメリカ政府か)がそれを爆破させた、ということらしい。
 一見してこれはトンデモ本である。しかし、よく考えてみると、確かにあの「テロ」は何かおかしい気がする。ビルにぶつかった飛行機は、いくらWTCが大きいとはいえ、民間の旅客機にしてはあまりに小さく見える。それに、飛行機はビルの上部に激突したわけだが、なぜそれだけであの巨大ビルが跡形もなく崩壊したのだろうか? ビルの上部が破壊されることによって最上部のみがボキッと折れ、それが地面へ倒れる、というならまだ分かるが、本当にあのように地階部分も含めてすべて崩壊しまうものなのか? 素直に考えてみると、確かに変だ。ビルを意図的に崩壊させるために爆薬を仕掛けて壊す、という映像は見たことがあるが、WTCはあんな風に壊れたのだろうか。だとすれば、本当に誰かが爆薬を仕掛けていたのか、ということになる。
 中丸氏の言っていることが真実ではない可能性も大いにあるが、これはしっかり検証してみる価値のあることだと思う。にもかかわらず、日本のメディアはまったくと言っていいほど、この問題を扱っていない。本当に中丸氏の言うとおり、日本のメディアはアメリカに牛耳られているのか?

サルでも描けるまんが教室 英語版

2010年09月09日 02時21分29秒 | 

 20年前に大ヒットした「サルでも描けるまんが教室」、通称「サルまん」の英語版である"Even a Monkey Can Draw Manga"をアメリカのamazonで購入した。まさかあの「サルまん」の英語版が出ているとは知らず、この本が存在することを知ったときは本当に驚いた。当時大学生だった私は友人の下宿で読ませてもらったが、すごく面白かった覚えがある。しかしあの極めて現代日本的な内容を、アメリカ人に理解できるようにどうやって英訳したのか、非常に興味があった。
 内容は今読んでもやはり面白く、比較的分かりやすい英語で書いてあるので、軽い英語のトレーニングにもちょうど良い。こういう本がアメリカで出版されたということは、それだけ日本マンガに関心を持つ人が多いからだろうか。日本のマンガそのものに興味がある人なら、80年代までのマンガ業界全体の特徴を皮肉った「サルまん」は、面白いに違いないだろう。
 とはいえ、日本の文化や社会にある程度詳しくないと、いくらうまく英訳したところで「サルまん」を外国人が理解できるわけないと思う。中身もオリジナルの日本語版と比べるとずいぶん薄く、省略された内容も多いようだ。アメリカでは理解されない内容をあえて翻訳しなかった、ということか。
 しかしamazonのレビューを見ると、意外にもそこそこ評判は良く、"It's crazy but fun, and I can't help but burst out laughing at moments."なんて書いてる人もいた。相原コージの下品なギャグも、国境を越えることがあったようだ。
 この本に書かれている英語(日本語版との対比)については、このブログで詳しく扱っているので読んでいただきたい。あの「ちんぴょろすぽーん」は、そのまんまローマ字化しただけで「CHIN PYORO SUPOONN」となっていた。(^^) 英語には訳しようがなかったのだろうけど、もう少し工夫してほしかった。

俺はまだ本気出してないだけ お薦めです

2010年09月06日 06時39分21秒 | 

 これも貸本で読んでいる漫画の一つだが、最高に面白い。主人公の大黒シズオ(40歳)は扶養家族(父親と高校生の娘)がいるにもかかわらず、15年間勤めてきた会社をいきなりやめ、「自分探し」を始めた。そして何を思ったか「漫画家になる」と言い、マクドナルドでバイトをしながら漫画を描き続け、2年以上もデビューできないまま42歳になる、というような話である。
 概要を文章で書くと深刻なようだが、これはあくまでもパロディである。しかも「ダメ中年の生き様パロディ」という、あまり見ないジャンルだ。この漫画はいろんな読み取り方があるとは思うが、私にとっては「しょうもないオッサン」がテーマの漫画である。
 しかし読み進むにつれ、単に「しょうもない」だけでなく、同じアラフォーとして他人事とは感じられなくなってくる。ある意味、私自身のことを極端にデフォルメ化しただけじゃないか、とさえ思えるようになる。
 このブログの読者には、アラフォーが多いとのことだ。であれば、この「俺はまだ本気出してないだけ」がまさにお薦めの作品である。

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