Willow's Island

since 2005

選挙は大成功 米大統領声明

2005年01月31日 23時59分24秒 | 時事
 昨日に引き続き、時事問題を語ろう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050131-00000018-san-int
 投票が成功したはいいけどさ、民主主義を成立させるのはこんな簡単なことじゃないでしょ。ここまで来るのに相当無理したよね、今まで。軍を駐留させて、死人もたくさん出して、投票所を必死に守って・・・。アメリカの軍事力をもってここまでがんばったんだから、投票自体はまあ成功するだろう。これから先もずっと同じことをやり続けられるのか、という疑問は残るけど。
 しかし、これでイラクが本当に民主化できるのか、というとそれは違うだろう。選挙制度と投票所があれば成立するほど、民主主義なんてのは簡単じゃない。一定レベルにまで成長した経済や、国民の高い教育レベル、などがなければ民主主義など根付くはずがない。まともに世界の歴史を知っていれば、分かるはずだ。民主的なハコが先にできても、民主的にならなかった国はいくらでもある。たとえば民主的な憲法ができあがっても、それによって政権を得た者が「国情にそぐわないから」とか言って非民主的な憲法に修正してしまう、なんてことは大いにあり得るのだ。特に未成熟な国家だと。私の見たところ、そういう意味でイラクは成熟した国家だとは到底思えない。数年で経済や教育レベルが急成長するわけもない。アメリカは、イラクが自分たちだけで民主主義を維持できるようになるまで、何十年も軍を駐留させておくつもりだろうか。来年はアメリカの国家財政もずいぶん赤字が出る見込みらしいが。そうなる前に、どうせブッシュの次は民主党の大統領になって、「やっぱりやめた」とか言い出すんじゃないの。(^^)

歴史教科書 中山文科相、また「自虐的」と発言

2005年01月30日 23時58分57秒 | 時事
 どうもウェブログとは、ニュースサイトなどへのリンクを張って、それへの論評とかを書いていくのが本来のやり方らしい。今はいろんなブログがあるんだろうけど、もともとはそうやって発展してきたものなのだろう。ドラマや映画のレビューもいいけど、やはり時事的なことにも重点を置いていこう。
 というわけで、まずはこれ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050130-00000001-maip-pol
 中山文部科学大臣、また言ってくれました。(^^) 分かりやすくていいね、この人。
 しかしこれ、私は別に失言でも何でもないと思うけどね。今の多数派を占める教科書が自虐的だからと言うんじゃなくて、これはこれで大臣の明確な考えを述べたにすぎないから。教育についてこれといった考えも意志もない文相がいたら、そっちの方がよっぽど問題だと思うが。愛国心教育が重要だと考えるなら、それが日本国政府の意思として進めていけばいいじゃないの。ま、日本の文相にそんな権限はないけどさ。w しかし文部科学大臣の意見や発言は常にチェックされるのに、実際に教科書検定の実務に当たる文部官僚の見識は一切問題にされないのはなぜだろう。現実に影響力を持っているのは、明らかに後者なのだが。
 こういった「失言」があるたびに思うのだけど、本人が正しいと信じているなら、なぜそれを堂々と説明しないのか。明らかに単なる言い間違いとかじゃないよね。やはり歴史認識が絡むと、高度に政治的な問題になるからか。

3年B組金八先生

2005年01月29日 23時59分09秒 | テレビ
 金八は良い。誰が何と言おうと、良い。「今時わざわわざ起立して意見を述べる中学生なんかいねーよ」と言う方も多いだろう。しかし、だからこそ良いのだ。毎回始まるあのシーンを思い浮かべてみよう。絶叫する金八、それに群がり意味不明な胴上げを始める生徒たち、荒川の土手、ジョギングする外国人女性たち、いい年してそれに見とれる金八、そして武田鉄也の歌声・・・etc。25年前から少しも成長しないベタなオープニングだ。私は金曜日の夜にこれを見るだけで幸せな気分になる。
 しかし内容の方はオープニングと裏腹に、最近ますますダークな展開となっている。ヤク中になってしまう生徒、中学生をボコボコにする本物のヤクザ、小学生妊娠、などなど。もはや中学校レベルを超えた社会問題ばかりだ。ちょっとやりすぎの感もある。さすがの金八も手に負えないかもしれない。と思っていたら、金八よりも先に脚本家の小山内美江子先生がダウンしてしまった。もう75歳だし。金八シリーズも今回で終わりなのかなあ・・・。これではあまりに悲しすぎる。新しい脚本家には、がんばってもうちょっと希望の持てる展開にしてほしいものだ。

キルビル vol.1

2005年01月28日 23時34分32秒 | 映画

 昨日に引き続き、また映画の話題。
 今日は休みだったので映画館まで「パッチギ」を見に行こうと思ったけど、どうも風邪気味のようなのでやめておいた。疲れがたまっていたのかもしれない。その代わり、WOWOWで録画しておいた「キルビル vol.1」を見ることにした。ルーシー・リウの「ヤッチマイナァ!」で有名なあの映画である。ルーシー・リウが好きな私は、この名ぜりふを聞くためだけに見ることにした。
 この映画を見る前は、刀を振り回すアクション映画だろうと思っていた。しかし、ちがう。確かにアクションもすごいが、これはまぎれもなく馬鹿映画である。良い意味で。ユマ・サーマンとルーシー・リウから発せられる日本語らしき言語、挿入歌として流れるあやしい演歌、いかにも外人ウケしそうな日本っぽいネタの数々、など爆笑できるネタが満載だ。昨日の「純愛譜」に続き、良い意味で期待を裏切られた作品である。体調の悪い私でも大いに笑って楽しむことができた。監督であるタラちゃんの趣味が爆発した感じだ。
 ただそれだけに、これは観客を選ぶ作品かもしれない。あまりにも残虐なシーンや血が吹き飛ぶシーンが多いので、それだけで引いてしまう人も多いだろう。実際、レビューを見てもこの映画は賛否両論だった。でもこれがタラちゃんの好きな世界なんだから仕方ない。
 しかしこれは一人で見たからいいものの、もし女といっしょに鑑賞してしていたらどうだったろう。爆笑する私を見て、女は私をどう思うだろうか? などと、する必要のない心配をしてしまった。

純愛譜

2005年01月27日 23時57分13秒 | 映画
 日韓合作映画の「純愛譜」をレンタルDVDで見てみた。恋愛ものは基本的に苦手なのだが、イ・ジョンジェが出ているなら見てみようか、と思ったのである。イ・ジョンジェといえば「イルマーレ」や「ラスト・プレゼント」に主演をした、今の韓国映画界を代表する若手俳優の一人だ。とにかく私の中では、かなりクールな俳優なのである。
 しかしこの映画、ふたを開けてみると、ちっとも「純愛映画」ではなかった。何の希望もない日本の女と、無気力な韓国の男が、それぞれやる気のない生き様を延々と見せ続け、最後になってアラスカでばったり会い、「これからが始まりだ」というセリフで終わる、というものだった。ストーリーはなんかよく分からん映画だったが、不思議と見ている間は退屈しなかった。私の嫌いな恋愛映画ではなかったことも良かったけど、それ以上に主人公2人の生き方が面白い、と感じたからだろう。特にイ・ジョンジェが演じたウインという男が良い。やる気のない、インターネットが好きな独身の地方公務員、という設定は非常に親近感がわく。(^^) イ・ジョンジェはかっこいいというイメージがあったが、この映画では完璧にかっこわるい男を演じていた。さすがである。
 ただ、この映画は日韓合作とはいうものの、日本人と韓国人が絡み合うのは最後のシーンだけである。それ以前は、東京において日本人のみ登場のシーンと、ソウルにおいて韓国人のみ登場のシーン、を交互に組み合わせていっただけだ。日韓合作というより、日本側で作った映像と韓国側で作った映像を単に組み合わせただけじゃないの?という気がしてきた。

サンキュー先生

2005年01月26日 22時29分51秒 | テレビ
 1980年、私が小学3年生のときに見ていたテレビドラマ「サンキュー先生」のビデオをヤフオクで落札し、見てみた。これは西田敏行演ずる「石松鈍器」が産休代替教員として小学6年生のクラスを受け持ち、クラスの問題を解決していく、という当時にありがちな学園ドラマである。当時8歳だった私がそんなに鮮明に覚えてるわけないんだが、どういうわけか印象に強く残っており、再度ビデオで見てみることにした。ドラマを通して1980年当時の雰囲気を確認してみたい、という理由もあった。
 まあ、西田敏行は25年前も相変わらずだった。この人の芸風は20年以上経っても変わることはない。それはどうでもいいとして、第1話には生徒の姉役で、今は亡き夏目雅子さんが出ていた。やはり美しい。骨髄バンクがなぜ当時になかったのか。
 内容としては、いじめ問題を扱っていた。いじめがもっと深刻な問題になるのは、その数年後だったと思うが、80年当時から陰湿ないじめは横行していたと思われる。その回は鈍器がいじめっ子を叱っただけで解決してしまったが、そんな簡単なもんではなかろう。しょせんドラマといえばそれまでだが。
 それよりも気になったのは、このエピソードの終盤で鈍器が「ゆとり教育」に言及していたことである。
これはちょっと驚いた。石松鈍器先生いわく、文部省(当時)の新学習指導要領にはゆとりをもった教育がうたわれており、これからの教育は生徒に自分の頭で考えさせることが大切、とのことである。今のゆとり教育の理念とそっくりである。そういえば、鈍器がやった木を使って火を作る授業なんかも、今で言う「総合的な学習」そのものだ。私はてっきり、ゆとり教育は最近始まったものとばかり思っていたが、実は1980年ごろから、理念としてはすでに始まっていたようである。ただ、それがもっと具体的な形となって表れるのには20年の歳月が必要だったというだけで。
 う~ん・・・ということは、私が受けた教育も、ある意味ゆとり教育だったのかな。