少し前の話になるが、国立教育政策研究所の総括研究官、
滝充氏の講演を聴く機会を得た。滝氏は、いじめ問題の専門家である。いじめとは何であるか、学校はどう対処すればよいか、という内容の講演であった。その要点をまとめると、以下のとおりである。
★いじめは、どの子にも起こりうる。誰が加害者となりうるか、誰が被害者となりうるかを特定することは不可能であり、意味が無い。
★誰にでも起こりうるという意味では、いじめは風邪に似ている。人間が年に1度は風邪を引くように、いじめの加害者も次の年には被害者となりうる(その逆もあり)。
★いじめは、陰口をたたく、仲間はずれにする、無視する、など些細なものがほとんどである。しかし、風邪が肺炎、インフルエンザへと悪化しうるように、些細ないじめも、被害者へ深刻な精神的ダメージを蓄積する。肺炎が原因での死亡もありうるように、最悪の場合、いじめが引き金となった死(自殺)もありうる。
★いじめを防止するには、個別の生徒に対処しても意味がない。全生徒を対象とした取り組みが必要である。学校においてすべての生徒の「居場所」を作ること、人と人との絆を実感させることによって生徒に有用感を持たせること、などが重要である。そうすれば、子どもはいじめへと向かいにくくなる。
★昨年に大津で起きたような事件は特殊な例であり、いじめというよりも「暴力事件」である。このような場合は、暴力を起こさせないよう大人が止めなければならない(それなのに大津では教師も傍観していた)。加害者が暴力を止めないのであれば、ためらわず警察を介入させるべきである。
★日本のマスコミは、いじめと暴力を混同している。昨年の大津のような事件を「いじめ」と呼んではいけない。刑事事件として扱うべき。
なるほど確かに、こう考えれば分かりやすい。もしこれで本当にいじめが減少するのなら、学習指導要領に明記して、すべての学校で取り組んでみるべきではなかろうか。
しかし、
大津のような事件は確かに「いじめ」ではなく「犯罪」だと私も思うのだが、肝心なのはそれをどう呼ぶかということではなく、
あのようなことを発生させないためにどうすべきか、ということである。それが「いじめ」であれ、「暴力事件」であれ、私を含めた多くの日本国民が関心を持っているのは、
どうすれば学校であのようなことが防げるのか、ということだ。あれは「いじめ」ではないから、教育行政というより警察の仕事です、と言われても、何だか腑に落ちない。
本当にあのような事件は、あの時期の大津にだけ起きた特殊なものだったのだろうか。私の地元である可児市では、
女子生徒を裸にして写真を撮り、それを拡散する、というような事件が3年前に発生した。これはどう考えても「些細」と呼べるような類のものではない。このように犯罪性の高い「いじめ」は、本当に捨象してしまってよいほど特殊といえるのだろうか? どうも私にはそう思えない。
個人的な経験をいえば、
私が育った町の中学校では、滝氏の指摘はすべて外れていた。いじめる者といじめられる者は、小学校中学校の9年間を通じて、ほぼ固定していた。いじめる奴というのは小学校では「やんちゃ坊主」、中学校へ上がればヤンキー化、そして卒業後はDQN街道をまっしぐら、というパターンがほとんどである。いじめの内容も無視や陰口等ではなく、直接的な暴力がほとんどであった。それが授業中であっても、教師がそこにいても、まったくお構いなしに殴る蹴るをやる、という具合である。私の育った環境が、現代日本にしては特殊だったのだろうか。