Willow's Island

since 2005

死刑

2012年03月31日 07時37分11秒 | 時事

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2012032990135907.html
 法務省は二十九日午前、山口県下関市のJR下関駅で十五人を死傷させた上部(うわべ)康明死刑囚(48)=広島拘置所=ら三人の死刑を執行し、発表した。執行は千葉景子元法相時の二〇一〇年七月以来、一年八カ月ぶりで、民主党政権下では二度目。昨年は十九年ぶりに執行が一度も行われなかった。今回の執行で、未執行の確定死刑囚は百三十二人になった。
<以下略>
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 死刑が執行されるのは1年8ヶ月ぶりのようだ。逆に言えば、その間は法務大臣が死刑執行という職務を果たしていなかった、ということだ。どうもよく理解できないのだが、正式な裁判の手続きを経て死刑が決まった者に、法相の判断で死刑を執行しない、というのはどういうことなんだろうか? 日本の法律に則って決定した刑を、法相自らが否定するということか? 
 この死刑執行について、またEUが内政干渉をしたようだが、自分たちがそんなに偉いとでも思っているのか。日本の数十倍以上の死刑を執行している中国にも同じことを言ってみろ。野田首相は死刑廃止を明確に否定したようだが、その点では評価できる。

ライアーゲーム 再生 Liar Game Reborn

2012年03月27日 06時25分30秒 | 映画

 日曜日は映画館で話題の「ライアーゲーム 再生」を見てきた。やっぱりこのシリーズは面白い。熱演した松田翔太や多部未華子よりも、ひねりにひねったストーリーを思いついた脚本家に拍手をおくりたい。しかし正直なところ、誰のメダルがどこに渡ったのか、一時停止しながらいちいちメモをとって見ていかないと、私の頭ではついていけんな。(^^;)

韓国の性犯罪、被害者・加害者ともに低年齢化が進む

2012年03月24日 23時49分41秒 | 韓国

http://news.livedoor.com/article/detail/6385545/
 韓国の国家行政機関・女性家族部は19日、2000~2010年の児童・青少年が対象となった性犯罪で、有罪判決が確定した事件を分析した結果、加害者1796人の50.6%が29歳以下の若者で、被害者1万3039人の平均年齢は12.8歳だったことを明らかにした。複数の韓国メディアが報じた。
 韓国メディアは、子どもや青少年を対象とした性犯罪が再び増えており、性暴力被害に遭う青少年のうち、半分近くは13歳未満の児童だという調査結果が出たと伝えた。
 被害者の平均年齢は、性売買あっせん・強制16.4歳、性暴行14.3歳、強制わいせつ10.9歳であり、売春をあっ旋・強要した加害者も42.8%(349人)が20代以下であったと報告。
 一方、児童青少年を対象とする性犯罪加害者の62.9%は少なくとも1回の犯罪歴を持っていたことも分かった。特に性暴行の15%、強制わいせつの12.6%、売春のあっ旋・強要の11.6%が再犯であることから、処罰が強化される傾向にあると説明。
 最終審で懲役刑を受ける割合は、性暴力事件の場合、2000年には20.5%にとどまったが、2010年には62%に増加。強制わいせつも懲役刑を受ける比率が8.3%から40.7%に高まった。売春のあっ旋・強要の場合、2010年には25.6%が懲役刑を言い渡されている。
 学校や自治体は性犯罪根絶のため、学校内外の人けのない路地などに防犯カメラを設置しているが、まだ導入されていないところが多く、対策が急がれるとしている。(編集担当:李信恵・山口幸治)
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 衝撃的な結果である。にわかには信じがたいほどだ。今までさんざん日本人を変態呼ばわりしてきた韓国人だが、こいつらの方がよっぽど重症だろ、どう考えても。

シティヴィル

2012年03月20日 04時03分41秒 | その他

 最近はfacebookもよく使うようになり、同時にCityVillieというゲームもやるようになった。昔あった「シムシティ」のようなもので、自分の町を作っていく、というゲームだ。これがなかなか面白い。全世界でなんと1億人以上が遊んでいるそうだ。
 しかしこのゲームのいやらしいところは、進めていくにしたがって「キャッシュ」が必要になってくることだ。キャッシュというのはゲーム内で人を雇ったり必要な施設を建てたりするのにどうしても必要になるものだが、これを手に入れるには文字通り「本物のお金」を出さなければならない。基本的にタダでは遊べないのだ。facebookの「友達」で同じようにCityVilleをやっている者が多ければ、解決する問題も多いのだろうけど・・・。このブログでCityVilleをやってる人を募集しようかと一瞬考えたが、そうすると本名とか顔がばれるのでやめた。やっぱり金を払うしかないのか。

「その国土と人びとのくらし 」シリーズ

2012年03月15日 23時23分35秒 | 

 最近は土曜日に、娘を連れて地元の児童館に行くことも多い。なぜ児童館に行く気になったかといえば、目的は図書室である。ここで子ども用の本を借りることができるのだが、私の目的はそれではない。児童館の図書室に置いてある、やたらと古い本が目当てなのだ。通常の図書館とちがって、頻繁に本を新しく入荷したりしないので、入庫されたまま数十年も経っているような本がざらにある。そのため、私が子どもの頃に読んでいた懐かしい本がたくさん揃っており、まさに私にとっては「宝庫」となっている。今となっては、amazonやYahoo!オークションを通しても手に入らないであろう逸品まである。ここで本を借りない手はない。まさに子どもがいてよかったと思える瞬間である。おっさん一人で児童館に入ったりしたら、不審者とみなされること必至だからだ。
 それで、娘をダシに使ってさっそく借りてみたのが、マクドナルド・エデュケーショナル(イギリス)による「その国土と人びとのくらし 」シリーズ(日本ではポプラ社が発行)だ。ハードカバーで世界各国を総合的に紹介するシリーズで、1冊につき1カ国を扱っていた。1970年代に発行されており、例えば「ソ連」の巻であれば、上のような表紙だった(これは英語版だが)。私が子どもの頃は町の図書館や学校の図書館などで、必ず置いてあったと思う。30代後半から40代の人であれば、一度ぐらい目にした覚えがあるのではないだろうか。
 このシリーズが扱う国は多いが、私がまず最初に選んでみたのが、「中国」の巻だ。子どもの頃、確かに読んだ記憶がある。いかにも欧米の本らしく、写真やイラストを多用し、読者を飽きさせないようにできている。それはいいのだが、この本には現代の基準で考えて「おいおい」と言いたくなるような内容も多い。
 例えば写真だと、清朝の時代に反逆者が処刑で首を切られ、その首が道端にごろごろ転がっている、なんていう衝撃的なものまであった。現在の基準だと、子ども向けの本として完全にアウトだ。また、中国人の特徴として「仲間を非常に大切にする」だとか「道徳心の高い社会を築いた」などというような、酔っ払って書いたとしか思えないような「事実」も紹介されていた(笑)。この本が出版された時代はちょうど文化大革命の真っ最中であり、事実は真逆だったのだが。この著者は共産主義者だったのだろうか? こういうところが、いかにも70年代の空気を伝えている。
 しかしこういった昔の本らしい、大雑把というかいい加減なところが、実に読んでいて楽しい。昔は子ども向けの本といえば、日本で出版されたものであっても、割といいかげんなものが多かったと思う。昔の出版社には左翼くずれの人間が多かったのか、子ども向けの本でも、思いっきり社会主義を肯定するような記述も多かった。今では考えられないことだ。しかしだからこそ、古い本というのは読んでいて興味が尽きない。

スカイプで英会話

2012年03月12日 22時13分59秒 | その他

 実は最近になって、スカイプというものを使い始めた。目的は、フィリピン人によるオンライン英会話レッスンを受けるためだ。なぜフィリピン人かといえば、料金がやたらと安いからである。業者によって料金は大きく異なるが、安いところだと1レッスン(25分)で195円、なんてところもある。スカイプなので、もちろんマンツーマンで教えてもらって、だ。日本では絶対にありえない料金である。
 フィリピンというのは物価が非常に安く、人件費でも一般的な日給が200ペソ(400円ぐらい)程度だと聞く。一般的な日給が400円なら、25分で195円ももらえれば高給取り、ということだろうか。(業者による中間マージンはあるだろうけど)
 それで早速、この業者の「お試しレッスン」をいくつか受けてみた。数多くあるオンライン英会話事業者を調べてみたところ、ここが最も安かったからだ。ところが、「やはり安いだけのことはある」というのが率直な感想である。講師の話す英語はフィリピン訛りがかなりきつくて分かりにくいうえ、文法的にも正しいとは思えなかった。どうやら語彙も十分ではない。そればかりか、決められた時間通りにレッスンを始めない者も何人かいた。正直言って、このまま使い続けることはできないと感じた。
 他に良いところはないかと探してみたところ、Brent English Onlineというところを探し当てた。他の業者だと1レッスンあたりの単価が安くても、受講回数がやたらと多く設定されており、結局1月で3,000円以上払わなくてはならない、というケースがほとんどだ。しかしここだと、1回ごとの予約制なので、自分で月に4,5回程度のレッスン数を設定すれば、料金も大して高くはならない。1レッスン(25分)あたりの単価は315円だ。お試しレッスンを受けてみたところ、講師のレベルは上の業者よりはるかに高い。英語の発音もきれいなものである。
 これからはここに決めて、現在通っている公民館の英会話はもうやめようかと考えている。ここなら、レッスンの予約数をおさえれば、料金も高くないし。

黙祷

2012年03月11日 12時21分15秒 | 時事

 東日本大震災から今日でちょうど1年経つ。あの震災によって失われた人命、この国が受けた損害は計り知れないほど大きい。日本人として、生涯絶対に忘れてはならない事件だ。東北では、未だ復興は終わっていない。被災された方々の生活が元に戻るには、これから何年かかるのだろうか。
 ちょうど1年経ったのを機に、また義援金を出しておこう。あと、午後2時46分には黙祷もしよう。私にできるのはそれぐらいしかないけど。災害派遣職員として出向くというのもあるが、実際のところ、行ってもあまり役には立てないらしい。
 この未曾有の災害が起こったときの政権党が、無能きわまりない「民主党」であったことが、日本にとって最大の不幸だったと思う。本当に怒りがこみ上げてくる。一刻も早く政治と行政が機能を回復してほしい。

人生記録5(36歳から現在まで)

2012年03月06日 22時29分09秒 | その他

13.病院(36~37歳)
 異動先が病院というのも予想外だった。私は病院の医療相談室というところに配属された。いわゆる「医療ソーシャル・ワーカー」をやることになったのである。私は医療についてはまったくの門外漢だが、前回の「福祉」とは密接な関係のある業務ではあった。
 ここでは、患者やその家族に対し、高額療養費制度など公的な制度についての説明をしたり、長期入院となっている患者に別の医療機関への転院を促したり、といったことが主な仕事であった。特に転院先を確保することは難しく、医療のこともほとんど知らない状態だったので、かなり苦労した。
 2年目はなぜか医療相談室を出て、医事課に配属された。病院が関わる対外的な事務を処理する所だ。私が担当したのはいわゆる「雑務」としか言いようがない雑多な事務処理のみで、極めてつまらないものだった。同僚との人間関係には恵まれたので、その点では良かったのだが。
 病院での仕事は、尊大な医者や性格のきつい看護師とも付き合っていかねばならず、ずいぶんと不愉快な思いもした。しかし、仕事を通してかなり勉強になったことも事実である。これからの日本にとって最重要な課題といえる「医療」の世界を内側から見ることができたのは、実に幸運だった。これからの職員生活においては福祉が担当業務のメインとなる可能性があるが、病院での2年間の勤務は確実に役立つと思う。
 プライベートでは、まさに「黄金期」であった。何といっても、娘が生まれた、ということが大きい。私も父親になれたのである。それに加え、その年のうちに土地を購入し、次の年には自分の家まで持つことができたのだ。しかも、あこがれの書斎付きだ。この当時はいろいろとバタバタしたような気がするが、こうして客観的に見てみると、信じがたいほどの幸運である。

14.福祉課(38歳~現在)
 珍しく、私の希望通りの異動であった。こんなことは初めてである。あれほどつらい思いをした福祉課の仕事を、なぜまた希望したのだろうか。自分でもよく分からないが、福祉の仕事そのものは嫌いではなかった、ということだ。
 同じ福祉課でも、5年前の状況とはまったく違い、残業を繰り返すようなことはなくなった。夕食を妻子とともに食べられるようになったことは、幸いであった。仕事内容も悪くないので、可能ならばここには長くいたい。ちなみに業務内容は、介護保険事業所や社会福祉施設に対する指導、介護保険事業所からの各種申請書類の受付・審査、といったところがメインである。突き詰めれば相当な知識量を要する仕事ではある。
 2年目はなぜか恵那に「駐在」という形で勤務することになった。他事務所の中で机を間借りしているような状態である。こんな勤務形態は初めてだが、直属の上司が目に付くところにいないので、ある意味、気楽とはいえる。その分、責任はやや重いが。
 プライベートでは、それほど大きな変化はなかった。しいて挙げれば、娘が言葉を覚えて家ではしゃべり通しになったこと、弟が結婚し、子ども(私にとって初の姪)が生まれたこと、娘が幼稚園に通い出したこと、家族で東京ディズニーランドに行ったこと、スマートフォンやプリウスを購入したこと、ぐらいか。
 基本的には楽しく過ごしているが、子どもがまだ小さいということもあり、この間はまったく海外旅行に行けていない、ということがやや残念ではある。私のパスポートも、有効期限が切れてから2年以上が経過している。若いころでは考えられなかったことだ。

人生記録4(30歳から35歳まで)

2012年03月02日 23時12分47秒 | その他

11.文化ホール(30~32歳)
 年度途中での突然の異動だった。たまたま休みをとって東京に来ており、新宿歌舞伎町を歩いている時に課長から電話があって異動を告げられたときは、本当にびっくりした。
 岐阜市にある文化ホールで、貸し館や自主企画事業をやることが担当となった。また私は一人暮らしに戻ったのである。仕事は比較的ストレスが少なく、なかなか面白かった。文化振興に関わることはもちろん初めてなので、刺激を受けることも多かった。寄席を主催して、その時に桂歌丸師匠や三遊亭楽太郎(現・円楽)師匠らと直に会い、一緒に写真を撮ったことは、今でも貴重な思い出となっている。この他にも演劇、能・狂言、映画祭、等を主催して、そのたびに勉強になった。
 この職場での最大の収穫は、文化の大切さを知った、ということだ。このために、私は私生活でも文化的なことには金を惜しまないようになった。映画やコンサートなどに躊躇せず行くようになったのは、この頃からである。
 独り身の気楽な生活ゆえ、旅行にもよく行った。海外だと、この2年半だけで韓国へ2回、オーストラリア、香港へは1回ずつ行った。ネットで知り合った韓国人とソウルで会ったりすることが、特に楽しかった。
 この時は、アパートに帰るとネットばかりやっていた。今はなき中央日報の翻訳掲示板やEnjoy Koreaなどで韓国人とよく議論したものである。この当時流行っていたWinMXやwinnyで、いろんなファイルをダウンロードしたりすることも楽しかった。そして32歳の時には、ついに自分自身のブログを持つに至ったのである。このWillow's Islandを立ち上げたのは、まさにこの時期であった。以降7年以上、私は自分の考えること、感じること、他の人に知ってもらいこと、をネット上に発信し続けている。

12.福祉事務所(33~35歳)
 まったく予想外の福祉事務所へ異動となった2005年は、いろんな意味で私にとって転機となる年であった。この当時はただ大変だとしか感じなかった福祉関係の仕事を、なぜか現在に至っても続けているのは、やはり何か運命的なものがあったのかもしれない。しかしそれよりも運命的だったのは、現在の妻と出会ったことである。おかげで私は結婚し、子どもが生まれ、自分の家まで持つに至った。このことが私の人生に与えた影響は果てしなく大きい。職場が中濃地区ということで美濃加茂に引っ越したのだが、そういうことがなければ、妻とも出会ってなかったわけで、これは運命としか言いようがない。
 しかし仕事は、私にとって少々荷が重かった。この当時の福祉事務所の仕事といえば、現在私が福祉課で担当している業務量の3倍以上はあったと思う。1年目は、午前1時過ぎまで残業することが珍しくなかった。比較的早く帰れるようになっても、必ず夜10時過ぎだった。1人欠員が出たせいで生活保護をやることになり、対外的に受けるストレスも急激に高まった。この当時は裏金問題の発覚もあり、県の所属はどこも非常に緊張し、ピリピリしていた。そのような中で神経質になった上司との関係もまったくうまく行かなかった。私は仕事そのものに非常な嫌悪感を持つようになり、過度のストレスによって血圧が一気に高くなってしまった(高血圧は現在になっても治っていない)。
 もしこの時に妻がいなければ、メンヘルになるか、仕事をやめていたかもしれない。そういう意味でも、結婚できて本当に良かった。この時期を乗り越えることができたからこそ、現在の私があるのだ。
 もちろん、ただ仕事で大変というだけではなかった。新婚生活は楽しく、思い出深いことが多かった。この時の主な出来事は、当ブログでも年に1回「10大ニュース」としてまとめたところである。
2005年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/4eb1575e46c609f34e0d3bc2712d1c51
2006年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/7d2b7117ce7096fb9086a0a9d68f4943
2007年
http://blog.goo.ne.jp/willow1972/e/fef57515ee82ae4bf5544bc0dd52ccbe