Wilhelm-Wilhelm Mk2

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翻訳の大事さ

2019-02-18 | Weblog
フルトヴェングラーの有名な著作に「音と言葉」がある。新潮から古い訳書が出ており、私も長らくそれを読んでいた。最近、作曲家中村洋子氏のサイトで、新潮の訳には意訳誤訳があまたあり、フルトヴェングラーの意を正確に伝えてないと指摘しているのを発見した。
 新潮の訳者は芳賀檀(はがまゆみ)という戦中戦後のドイツ文学の権威者なのだが、音楽の専門家では全くなく、wikiを見ると人としてもなかなか問題がある方のようである。新潮の訳は正直いって読みにくい。何を言っているのかわからない支離滅裂な文が至るところにある。しかしそれはフルヴェンの哲学的思考の所以であり、それを理解できないのは自分の芸術への造詣が浅いことが原因と思っていた。しかし、実際のところフルトヴェングラーは簡潔に意見を述べていたのだ。偶像化して歪められた訳文を崇めていたとは・・・恥ずべきことだ。思うにこのような例は他にもたくさんある。カラマーゾフの新訳や村上春樹の訳が評価を受けているのもそのためだろう。古き悪訳に修正を加えず世間に垂れ流し続ける出版社は猛省すべきだ。伝わらない訳など著者に対しては罪であり、読者に対しては害悪でしかない。原文を読むのが一番だろうが、それは私も含めほとんどの人にはできない。「音と言葉」は中村さんに是非全訳して頂きたいところだが、白水社から別訳が出ているらしい。まずはそちらを読んでみることにしようと思う。