Wilhelm-Wilhelm Mk2

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人類は宇宙へ行かない

2016-10-18 | Weblog
 映画「ブレードランナー」に出てくる人造人間「ネクサス6型」は2016年製だった。映画は1983年の作品だが原作は1968年である。原作者のディックは50年後なら人造人間くらいは実在するだろうと考えたのだろう。残念ながら、実際の2016年には人造人間はおろか、実用的なヒューマノイド型ロボットさえも実現していない。「ブレードランナー」では人類は宇宙へと進出しているが、実際の世界では軌道への短時間の宇宙旅行さえも目星がたたない。ガンダム(1979)は増えすぎた人口を解消するためにスペースコロニーへの宇宙移民という設定だったが、これも実現どころの話ではない。シリンダー型の巨大コロニーの建造・・・どう考えたって今の人類には不可能である。
 人類って本当に宇宙へ出ていくのだろうか?私はどんなに人口が増加しても人類は宇宙へはいかないだろうと思う。宇宙は真空の中を放射線が吹き荒れるという過酷な空間である。放射線に晒される月や火星での居住は、当然地下になるだろうが、それなら最初から地球の地下に住めばよい。惑星自体を改造するなんて発想もあるが、異常気象のコントロールもできない現在のテクノロジーでは惑星改造は夢の夢の話だ。移住は移住先に希望があってこそ初めて成り立つ。いったい誰がすき好んで生命を寄せ付けない過酷な宇宙空間に出ていくのだろうか?海も川も山も草原もない。風もふかない。他の動物もいない。食事は全て供給か合成で、うまい肉もうまい酒も手に入らない。藝術も娯楽もない。深海に潜む潜水艦の中で一生を過ごせというようなものだ。人口が増えて住む場所がなくなるのなら、砂漠やシベリアを開発すればいい。土地はまだまだ余っているぞ。そもそも宇宙へ出ていく手段でさえ、1960年代のアポロ計画の垂直打ち上げからろくに進歩していないのだ。
 というわけで、調査を目的に科学者が宇宙へ行くことはあっても、一般人が生活基盤を宇宙に移すことはありえないと考える。地球で生まれた人類は地球で発展しそして衰退するのだ。もしかすると、未利用資源を求めて労働者(奴隷)が宇宙へと駆り出されるときが来るかもしれない。それが人間の宇宙進出のきっかけとなるのかも。それは結局ブレードランナーの世界か。