今週も締め切りや決断すべき大きな事案が沢山あります。
なるべく短く
ターリヒ:20世紀前半のチェコフィル監督。1884年生まれなので、フルヴェンより2歳年上ということですね。今、合奏でドヴォ八をやってるのだけど、古いチェコフィルってどういう演奏したのか聞いてみたく、naxosより音源を購入しました(1000円)。ターリヒは当時プラハ音楽院教授だったドヴォルザークから直々に推薦と援助を受けており、この曲のプラハ初演が1890年なので、もしかすると作曲者本人による演奏に触れたかもしれない。少なくとも、その時代のドヴォルザークの演奏スタイルを確実に知っている指揮者であるのは確かです。さてCDを聞いてみたところの正直な感想は・・・・・いい!テンポの緩急を微妙にいじり、血湧き肉躍る躍動感、3楽章はメロメロではないけど、ポルタメントを随所に利用してノスタルジック+ロマンチックを醸し出しています(ちょっと寂しいか?)、4楽章は結構落ちついたテンポで進行するのだけど、flの大ソロのあたりからじわじわ加速して、気がついたらハイテンションになっています。1935年の録音ということで音質を心配したのだが、naxosの好プロデュースもあってか、ヘッドホンで聴いてもノイズは殆ど気に掛からない(私がヒストリカル好きというせいもあるが)。残念ながらクーベリック・ベルリンフィルの燃焼には及ばないけど、ノイマンの演奏よりこちらの方が自然で好みですね。テンポの揺れに不自然さがなく、その揺れが見事に音楽に貢献している。この時代はテンポをいじることが許されていたというか、それが当然の演奏方法であり、ドヴォルザーク自身もそういったflexibleな演奏を想定したのだと思います。次の指示が出てくるまではインテンポを貫くなんていう石頭的で貧弱な観念はなかったのでしょう。だからこそ、この時代の指揮者はフルヴェンを筆頭に、テンポのゆらし方こそが指揮者としての力量を問われるところであって、ライブ、生演奏、一発勝負、一期一会に全霊を傾ける姿勢が、演奏にも如実に顕れています。そのあたりが、100年近くたっても今なお我々を引きつける要因なのではなかろうか。近年流行の「これが正しい」とか「昔はこうだったはず」のような、「頭でっかち」で「死人に口なし」を利用した権威押しつけで喰ってるような指揮者は、こういう作曲者に近い時代の生きた演奏を聴いてどう感じるのだろうか?自分には出来ないとわかっているから、理論武装に走っているだけにしか思えないのだが。
ターリヒは、この当時は地方オケの1つでしかなかったチェコフィルを、世界クラスに押し上げた功労者なのだけど、ターリヒ自身は元々ヴァイオリニストで、ベルリンフィルのコンマスを努めたくらいの名手だったそうだ。そのときのベルリンフィルの監督が、伝説の指揮者アルトゥール・ニキシュで、彼から薫陶を受けて指揮に転向したらしい。伝えるところによると、ニキシュの指揮は魔法の様だったらしく、同時代の作曲家たち(チャイコフスキー、Rシュトラウス、マーラーなど)もニキシュの手で自分の作品が演奏されると神秘的な響きになることに驚嘆していたそうだ(ちなみにニキシュの録音は現存する。ベルリンフィルとの「運命」など)フルヴェンもニキシュを幼い頃から崇拝し目標としていたそうで、演奏会には足繁く通って勉強したらしい。ニキシュの側もフルヴェンの才能を見抜いていたようで、ニキシュ死後、ベルリンフィルとゲヴァントハウスの監督の座は、そのままフルヴェンに「禅譲」される形となるわけです。つまりニキシュ繋がりで、ターリヒとフルヴェンは同門ということになるのかな?(なんでもフルヴェン一家にするなと)実際、フルヴェンはターリヒのことを高く評価していたようです。ちなみに、ターリヒの次の監督がクーベリックなのだけど、もともとピアニスト志望だったクーベリックはフルヴェンの指揮に衝撃をうけて指揮者を目指したと言われてます。戦後、クーベリックはその才能をフルヴェンに認められ、シカゴ響の監督に推挙されるわけです。先日、久しぶりにクーベリック・チェコフィルの映像を鑑賞したのだけど、クーベリック・・本当にいい指揮者だよなあ・・としみじみ。あんな棒を振られたら絶対燃えるよなあ・・。まあこの話はまた別の機会に。
なるべく短く
ターリヒ:20世紀前半のチェコフィル監督。1884年生まれなので、フルヴェンより2歳年上ということですね。今、合奏でドヴォ八をやってるのだけど、古いチェコフィルってどういう演奏したのか聞いてみたく、naxosより音源を購入しました(1000円)。ターリヒは当時プラハ音楽院教授だったドヴォルザークから直々に推薦と援助を受けており、この曲のプラハ初演が1890年なので、もしかすると作曲者本人による演奏に触れたかもしれない。少なくとも、その時代のドヴォルザークの演奏スタイルを確実に知っている指揮者であるのは確かです。さてCDを聞いてみたところの正直な感想は・・・・・いい!テンポの緩急を微妙にいじり、血湧き肉躍る躍動感、3楽章はメロメロではないけど、ポルタメントを随所に利用してノスタルジック+ロマンチックを醸し出しています(ちょっと寂しいか?)、4楽章は結構落ちついたテンポで進行するのだけど、flの大ソロのあたりからじわじわ加速して、気がついたらハイテンションになっています。1935年の録音ということで音質を心配したのだが、naxosの好プロデュースもあってか、ヘッドホンで聴いてもノイズは殆ど気に掛からない(私がヒストリカル好きというせいもあるが)。残念ながらクーベリック・ベルリンフィルの燃焼には及ばないけど、ノイマンの演奏よりこちらの方が自然で好みですね。テンポの揺れに不自然さがなく、その揺れが見事に音楽に貢献している。この時代はテンポをいじることが許されていたというか、それが当然の演奏方法であり、ドヴォルザーク自身もそういったflexibleな演奏を想定したのだと思います。次の指示が出てくるまではインテンポを貫くなんていう石頭的で貧弱な観念はなかったのでしょう。だからこそ、この時代の指揮者はフルヴェンを筆頭に、テンポのゆらし方こそが指揮者としての力量を問われるところであって、ライブ、生演奏、一発勝負、一期一会に全霊を傾ける姿勢が、演奏にも如実に顕れています。そのあたりが、100年近くたっても今なお我々を引きつける要因なのではなかろうか。近年流行の「これが正しい」とか「昔はこうだったはず」のような、「頭でっかち」で「死人に口なし」を利用した権威押しつけで喰ってるような指揮者は、こういう作曲者に近い時代の生きた演奏を聴いてどう感じるのだろうか?自分には出来ないとわかっているから、理論武装に走っているだけにしか思えないのだが。
ターリヒは、この当時は地方オケの1つでしかなかったチェコフィルを、世界クラスに押し上げた功労者なのだけど、ターリヒ自身は元々ヴァイオリニストで、ベルリンフィルのコンマスを努めたくらいの名手だったそうだ。そのときのベルリンフィルの監督が、伝説の指揮者アルトゥール・ニキシュで、彼から薫陶を受けて指揮に転向したらしい。伝えるところによると、ニキシュの指揮は魔法の様だったらしく、同時代の作曲家たち(チャイコフスキー、Rシュトラウス、マーラーなど)もニキシュの手で自分の作品が演奏されると神秘的な響きになることに驚嘆していたそうだ(ちなみにニキシュの録音は現存する。ベルリンフィルとの「運命」など)フルヴェンもニキシュを幼い頃から崇拝し目標としていたそうで、演奏会には足繁く通って勉強したらしい。ニキシュの側もフルヴェンの才能を見抜いていたようで、ニキシュ死後、ベルリンフィルとゲヴァントハウスの監督の座は、そのままフルヴェンに「禅譲」される形となるわけです。つまりニキシュ繋がりで、ターリヒとフルヴェンは同門ということになるのかな?(なんでもフルヴェン一家にするなと)実際、フルヴェンはターリヒのことを高く評価していたようです。ちなみに、ターリヒの次の監督がクーベリックなのだけど、もともとピアニスト志望だったクーベリックはフルヴェンの指揮に衝撃をうけて指揮者を目指したと言われてます。戦後、クーベリックはその才能をフルヴェンに認められ、シカゴ響の監督に推挙されるわけです。先日、久しぶりにクーベリック・チェコフィルの映像を鑑賞したのだけど、クーベリック・・本当にいい指揮者だよなあ・・としみじみ。あんな棒を振られたら絶対燃えるよなあ・・。まあこの話はまた別の機会に。