無意識日記
宇多田光 word:i_
 



(…遂にこのタイトルを使う時が来たか!(笑))


余計不安になったわっ!(いきなりやね)


ヒカルさんが漸く生配信の告知ツイートをしてくれた訳だが、いやはや困った。どう反応すればいいのやら。

まずはこちら。

『@utadahikaru:ひー 告知遅くなってしまったけど5月から毎週日曜日、インスタグラムから生配信(ライブではないです)をすることになりました!詳しくは下をご参照ください!  posted at 09:41:46』

この括弧書きの『(ライブではないです)』が誤解を招いた。「生放送じゃないのか!録画なのね!」と解釈した人がわんさかいた訳である。

その反応を見たヒカルさん、続いてこう呟く。

『@utadahikaru:(ライブではないです)というのは家からのコンサートではなくて、家の仕事部屋から質問にこたえたりするだけです!の意味です… posted at 10:02:37』

続けてこう。

『@utadahikaru:英語と日本語バイリンガルの感覚からすると「生配信」=“live broadcast” (生放送)で「ライブ」=“gig/concert”(音楽の何かしらの公演)なんだけど、紛らわしかったかな😅 posted at 10:27:29』


うむ。ちゃんと紛らわしい所を自分で指摘して訂正する。偉くなるとこういうカンタンな事が難しくなるものだがヒカルさんはちゃんと出来る。本当に偉い。寧ろ、混乱を招いた事で「今回は歌わないよ」という点がより広範に周知されたので結果オーライだったといえる。それについてはよかった。


だが、別の観点から私は不安を掻き立てられた。ヒカルさん、雰囲気掴めてないのでないのっ?言葉の感覚がズレてるんじゃないのっ??ってね。

同じ言葉を使っていても全然違う意味に取れたり、少し違ったニュアンスでとられたりすることは往々にしてある。というかそれが言葉の宿命だ。例えば80代の人と10代の人では「やばい」という言葉の感覚が全く違ったりね。そういうことはよくあるものだ。

だからこれはあクマでこの日記の執筆者が感じた言葉の感覚なのです、という事を予め強く断っておこう。強くっ!


で。

ヒカルさんの「ライブ」という言葉に対する感覚がズレている……っ! いいのかそれでヒカルさんっ。

私が思うに、大きく分けて二つの不安点がある。

日本では大体2008年頃からニコニコ生放送を皮切りにして「動画生配信」に親しめるようになった。もう12年にもなるのか。故に慣れてる人はかなり慣れてる。慣れてない人は全然慣れてない。多分私は慣れてる方だ。観る専だけどね。その割に、インスタライブは生で見た事が一度もない。どんなものかはYouTubeにUPされている録画(画面撮影ですね)とかでしか知らない。そんな認識。

で。「生配信」というのは必ずしも生放送ではないのだ。……と言うとややこしいね。こう言い換えよう。生配信というのは、予め録画された映像を流す事も結構多いのである。ここを知っているかどうか。ヒカルさんはそこを知らなかったようだ。

録画映像をストリーミングして何が生配信なのかと慣れてない人は訝るだろう。ここでの主眼は、視聴者の皆がその録画映像を見ながらコメントやツイートを同時間帯に投げ込み合う事なのだ。色んな人達の意見を知れたり、一緒に合いの手を入れたり、一斉にツッコんだりして楽しむ。それが生配信の醍醐味だ。流れてくる映像がリアルタイム(生放送)でなくても構わないのである。付随するコメントがリアルタイムならそれでよい。

よくあるのがDVD鑑賞会で、これはコンサート映像だったりする。ファン同士で盛り上がるのみならず、ステージに上がったミュージシャン当人がその生配信を一緒に観ながら「この時はこうだった」とコメントを入れてくれたりするのだ。ナマオーディオコメンタリーってヤツだね。本人たちとファンが一緒に同時にDVD鑑賞会をして裏話に耳をそばだてたり感想を共有したりする。生配信ではごくごく有り触れた風景なのである。故に、そういった界隈に慣れ親しんでいる人間にとって『生配信(ライブではないです)』という書き方は「録画映像を流してファンがコメントを投げあって楽しむ配信」と読むのが至極自然なのだ。誤解されるのは当然なのである。ヒカルさんは録画映像生配信という文化を知らないのにインスタライブをしようとしている。インスタライブでも“予め用意しておいた録画映像”を流してる事結構あるのに(動画共有って機能ですかね)。大丈夫なんだろうか。これがまず一点めの不安点だ。

そしてもう一点。「インスタライブ生配信」という言葉について。前述の通り私はインスタライブを生で見た事がない。だが、「インスタライブ」の多くが、素人にせよ玄人にせよ、音楽とは限らない、寧ろ顔出しトークだったりYouTuber的企画モノであったりというのは知っている。だから「インスタライブやります」ですぐさま歌や演奏を連想する事はあんまりない。勿論、音楽家がインスタライブをすると聞けば演奏するのか歌うのかとまず思うが、そこで「ライブではない」という注釈が来るだなんてつゆぞ思わない。普通なら「歌いません」と言う筈なのだ。「インスタライブ」の「ライブ」は、少なくとも日本語圏では圧倒的に「生配信」の意味であって、この言葉が先に来ているのにコンサートやギグの意味で「ライブ」という言葉を同時に使ってくるのは考えにくい。つまり、ヒカルさん普段他の人のインスタライブ観てないんじゃないだろうかと。インスタライブがどんなものか知らないでインスタライブをやろうとしてるんじゃないだろうか。これがもう一点の不安点である。

「そもそも生配信文化をよく知らない」
「その上インスタライブ文化にも親しんでいない」

ファンの方はこの二点に当てはまっていても何ら構わない。というか、大多数がそうだろう。だからヒカルさんのインスタライブについていけるかと皆で不安になっているところだったのだが、ヒカルさんまでそうだとは……! 受け手側は兎も角、送り手側がそんな事で大丈夫なのだろうか……っ!? そこはかとなくとてつもなくとめどなく不安が募りまくってしまった今朝のツイートでしたとさ。まぁ、ロンドンは午前2時とかだったので、ヒカルさん深夜で寝惚けてただけかもわからないという一縷の望みに賭けて明後日を迎えるとしましょうか。

ある意味、受け手も送り手もインスタライブ初心者だからなぁんにも気にしなくていいんだ!という開き直りの為には、とてもよかったのかもしれないな。…嗚呼、自分で言っててどこまでが皮肉かわからなくなってきたわっ!!!!!

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同じ言葉でも置く文脈で意味が変わるというのはPop Songにとってなかなかに致命的でな。CMソングとかに採用されるなら15秒の響きで誤解を与える訳にもいかなくて。

一方ヒカルさんはそういった状況すらも利用しようとする。CMで雪景色をバックに『クリスマスまで待たせないで』と歌えばそりゃクリスマスソングだろうと思うわな。でも冷静に歌詞を読むと「クリスマス関係なく愛してる/愛されたい」というアンチクリスマスソング。うまいというかなんというか。

そんななので、ファンからは『Time』にせよ『誰にも言わない』にせよそれなりに警戒されている。ヒカルさんの意図としては、今そこで流れている言葉だけで解釈してくれていいというのがある筈なんだがファンは心地よい疑心暗鬼タイムに浸っている最中だ。『Time』に関しては、その時間がもうまもなくほどけてしまう。勿体無いような切ないような。3番の歌詞まで判明しているのでまぁ流石にここからうっちゃってくるとは思えないが、ほんの僅かでも疑えている時間てのはほんとに尊い。夢なら覚めないでとはこういうときに言う言葉なのかな。

ある意味、皆の中の“理想の『Time』”をぶっ壊して本尊の『Time』は姿を現す。ドラマの第1回で流れたほんの僅かのイントロダクションですらオールドファンを圧倒的に魅了した。比喩で「約束された勝利」とも言いたくなるが、それでも、ぶっ壊した跡地に差し出す完成品への評価に対してヒカルさんが絶対的な自信とやっぱり拭えない不安を併せ持っているこの時間帯もまた尊い。

その尊い時間帯のヒカルさんの生の声を、明後日日曜日の夜に聴くことが出来る。これは結構珍しい。普段のプロモーションは大体楽曲の完成品を披露して回るものだったからね。今の自信と不安に彩られたヒカルさんの生の声は、もしかしたら滅多に聞くことのできなかったトーンになっているのかもしれず。嗚呼、シンガーソングライターの新曲発表前のドキドキってこんなのなんだねと画面の前で納得出来たりしたりすりゃなんというか心が萌え盛りますねぇ。

何もかもが貴重である。第1回の自信と不安、第2回の、『Time』の好評を直に浴びた上での莫大な安堵とほんのちょびっとの悔恨と。そしてそれは、今度は『誰にも言わない』の発表前の自信と不安に混じり合っていく。これはみもの以外の何ものでもない。心がぞわぞわし始める。奇跡の2020年5月、本日スタートですよっと。

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