無意識日記
宇多田光 word:i_
 



変則的に逆から考えてみると、まず初めに「"コレ以上ない位に清々しい気分"を描写したいという思い」があって、ソレはまるで澄み渡った青空の様だ、では最も澄んだ青空はどんな時に現れるかといえば台風一過、嵐が通り過ぎた後だな―という具合に"嵐"というキーワードが出てきたのではとなるのだが、はてさて詞の中の"嵐"は"あの人"がお騒がせな(stormyな)人だという比喩なのか、ソレとも会えない切なさや自らが自らを許す境地に至る迄の葛藤といった光の心象風景の表現なのか、或いはその両方なのか、コレ又判然としない。許されるなら光に直接訊いてみたいよ。

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能力の問題ではなくコンセプトの問題―今朝のザネッチツイートにあった通り一連のWLの映像作品/番組は12/8,9両日のリミックスとなっている。その点はヒカ5やウタユナとおんなじで、恐らくITF10も同様だろうが、この手法は"ベターテイクを選べる"という利点と共にeditの印象を前面に押し出す事でドキュメントというより「LIVEシューティングを素材とした"映像作品"」という立ち位置を明確化する効果がある。コレは裏を返せば「LIVEとDVDは全く別物」という意味であり、制作者側からの"是非実際のLIVEに来て確認してみて"というメッセージなのだからLIVE映像を編集してるうちは光の引退はナイなw

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