無意識日記
宇多田光 word:i_
 



そうそう、ヴィジュアル・イメージの話ね。

歌詞を耳にした時、人の反応は千差万別で。すぐさまアタマに情景が思い浮かぶ人も居れば言ってる意味を考える人も居れば言葉遊びや音遊びに走る人も居る。それぞれだ。

音楽は音だけで独立しているとはいえ、人間は本能的に五感をフルで働かせて対応するように出来ている。聴覚で予兆を察知して視覚で対象を実際に確認するという手順が基本的であるならば、さて人は音楽を聴いた時に何を視覚で捉えようとするだろうか。

通常であれば音の出所、演奏者/歌唱者がその対象になる訳だが今はスピーカーやヘッドホン/イヤホンで音楽を聴く機会の方が多いだろう。テレビで音楽番組を観たりYouTubeでミュージック・ビデオをチェックしたりする時はその画面を見ているだろうが、さて音だけの時はどうか。

その際、視覚を補填するのに歌詞が使われる場合がある。目を瞑って歌詞に耳を傾けているとそこに描かれた情景がありありと浮かんで…想像力に頼るとはいえ、それによって視覚にあたる情報を脳が受け取る。その意味において、だが歌詞のある音楽で視覚を担うのは歌詞である。

そういう態度で音楽を聴いている時人は歌詞を音として認識してはいない。言葉遊びや音遊び、音韻や掛け合わせなどは二の次三の次になっている。もっと言えば歌詞が聴覚上の“音楽”から分離されすらている訳だ。その分離された音楽が感情に訴え掛けて描かれる情景の価値が決まっていく。そういう捉え方をするならば、歌詞のある音楽に映像をつけるのは邪魔であるとすら言えるかもしれない。


抽象的な話ばかりでも仕方がないからヒカルの書く歌詞を具体的な例にとってみていってみたい。次回はそこらへんからだな。とはいえ、その次回が直後とは限らない訳ですが。そろそろパイセン回答編第二弾が来るかもと期待されていますしね。どうなることやら。

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コメント
 
 
 
sad (chikako)
2019-07-19 08:34:52
私もアニメ大好きなので、とくに けいおん!にはお世話になったけれども、とても素敵な絵師やクリエターが亡くなったこと、才能あふれる人が33人もいなくなってしまた。
旦那とも話をしていたけれど、いくら支援しても亡くなった人、制作商品は戻らない。って。

残されたスタッフたちもPTSDや他のメンタルケアが必要になってくるはず。

もしかしたら、現場には戻れない人がいるかもしれない、2次元という私たちに現実逃避をさせてもらいながら、夢を見させてもらい感動を与えてくれる。

タクシー待ちで口論になった人が傘で人を失明させたりと、本当にこんな日本どうなってしまうのか、政治も大事だけど、個々のモラルが無くなっていくのかもしまうのか、おかしな世の中になってきていると感じます。
 
 
 
先程34人になりました。 (i_)
2019-07-19 23:18:20
世の中そんなにおかしくなってないですよ。
昔よりずっと真面目でいい社会です。
まぁ、少しずつダメになっていくだろうけど、
昭和30~40年台の水準にまで戻ることはないでしょう。
記録をみると、その時代が悪すぎる。

京アニは、このまま会社をたたむ公算が一番高い。
生き残った人にすぐ筆を執れというのも無理な話。

にしてもけいおん観てたんだね!
当時は本当に凄い人気で、
あのアニメ以降ほんとに「キャラが歌う」ことが増えました。
影響力は絶大でしたね。
原作を参照すればまた続編が行けるかもという話も
毎年出ていたのですが。。。嗚呼。溜息しか、出ないや。
 
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