Twitterで
#宇多田ヒカルの好きな曲10曲あげるとその人の世界が分かる
というハッシュタグが流れてきたので私もこんな風に呟いてみた。
https://twitter.com/i_k5/status/1702107509706850318
・藤圭子「新宿の女」
・TM NETWORK「Get Wild」
・鈴木宏子「薔薇は美しく散る」
・フレディ・マーキュリー「リビング・オン・マイ・オウン」
・スティング「シェイプ・オブ・マイ・ハート」
・モーツァルト「レクイエム」
・ブルース・スプリングスティーン「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」
・スマッシング・パンプキンズ「スタンド・インサイド・ユア・ラブ」
・メアリーJ.ブライジ「マイ・ライフ」
・藤圭子「マイ・ウェイ」
実際のツイートでは字数足りなくて曲名だけだったけどね。
もしこのタグが
「#好きな宇多田ヒカルの曲10曲あげるとその人の世界が分かる」
だったらこうは書けなかった。皆さん「"私が"好きな宇多田ヒカルの曲10曲」を書いてる所を私は「宇多田ヒカル"が"好きな曲10曲」を書いてみた訳である。そう、格助詞「の」は「が」を代用出来るのだ。こんなのタグ汚染もいいとこな悪質なツイートではあるのだが、これに追随しようとしても容易ではないので(だってヒカルの好きな曲10曲挙げろったってねぇ)、汚染は広がらないだろう。どうかお目溢しをうただきたい。
で、となるとこの(私による勝手な)タグの含意は
「宇多田ヒカルが好きな曲10曲を挙げると宇多田ヒカルの世界がわかる」
となりますわね。ほいだらこのセレクトでヒカルの世界は視えてくるのかな?(はい、ここまでが前フリ。長い。)
まず、藤圭子の2曲は、その圧倒的な歌唱力に敬意を表してのものであり、また、ヒカルの音楽の根源に対する畏怖でもあるので、ここはどうしても外せない。これが根となり幹となりヒカルの音楽世界が形成されている。
藤圭子がヒカルの精神的根源ならメアリーJ.ブライジは技術的に最も影響を受けた歌手といえる。いつもヒカルが「人生の1枚」として挙げるアルバムからのタイトル・トラックを選んだ。『Automatic』のフェイクに出てくるオマージュの話はもう何度もしてきた通り。
そこらへんに加えて、ヒカルの幼い頃若い頃の圧倒的なヒーローであったフレディ・マーキュリーやスティングも。なお慌ててて尾崎豊を入れ忘れた。ごめんっ。
この中だとモーツァルトの「レクイエム」は異色だが、ヒカルがジャンルに拘らない事を表すのに登場して貰った。ここらへんも、「ヒカルの世界」を彩るのに一役買っているわよね。
TM NETWORKと鈴木宏子はそれぞれアニメ「CITY HUNTER」と「ベルサイユのばら」のテーマソングだ。アニメを観そうな時期で日本に居たのは5~6歳までなので、そこの時点で気に入ったという事で楽曲の傾向云々は二の次だろう。あーそうなると、「パート・オブ・ユア・ワールド」を入れなかったのは失敗だったか…。…日本昔話もだわ!(反省)
そんな中、「ストリーツ・オブ・フィラデルフィア」と「スタンド・インサイド・ユア・ラブ」は、特にお気に入りのアーティストでもなければタイアップに思い入れもない、純粋に「曲が好き」なケースといえそうだ。
で、ヒカルがどういう曲調が好きなのかといえば、この2曲辺りから推測するに、
「甘くもないし暖かくもないけれど、
切なくて優しい歌」
が好みなんじゃないかなと思われる。「ストリーツ…」の方は、イントロで2つ目のコードが鳴った時点でノックアウトだったんじゃないか。あそこで生まれる眼差しの優しさよな。そして男の哀愁からくる切なさ。甘ったるさ皆無、サウンドは暖かいどころか寒々しくすらあるけれど、どうしようもなく惹かれてしまう。なお私は昔からブルース・スプリングスティーンの歌詞は全く聴き取れないので字で読まないと「ムサいおっさんがブツブツなんか言ってる」としか聞こえないのがちょっと切ない。でも読んでみるとなかなか興味深いもんだわ。
スマパンの「スタンド…」も同じ路線かな。こちらバックの演奏はささくれだって尖ってはいるんだけど、コード感と言葉の運びが奥底の優しさを運んできてくれる。ここでもやっぱり、甘くはないけど切なくて優しい歌ってのがポイントよね。
そう考えると、さっき「アニソンだから」でまとめちゃった「Get Wild」も、いちばんのお気に入りは3番サビ前の間奏だというし、これなんかもやっぱりニューヨークの夜明け前みたいなうら寂しく寒々しい空気感の中で優しげにメロディとコードを奏でるパッドの音色にやられたんじゃないかなと。
ニューヨークといえば、代表曲に「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」があるスティングも、単に抱かれたい男No.2だからというだけでなく、その白人らしからぬ(←偏見)詫び寂び を感じさせるヴォーカル・ワークと、やっぱりここでも冬の朝みたいな身を刺す冷たい空気と優しい気遣いを併せ持った歌声がシンプルなコード進行に乗ってるとこを気に入ってるように思う。「シェイプ・オブ・マイ・ハート」はそんな中でも日本語に宿る哀感とよく符合したんだろうねぇ。初めての日本語詞曲『Never Let Go』のイントロに採用する筈だよ。
と、こんな風に私は感じたのでありましたとさ。もう一度書くと、宇多田ヒカルが好きな世界は
「甘くも暖かくもないし
やっぱり切ないけれど
痛いほど優しい眼差し」
が宿ったムードとモードなのだと、思います。ちと今回は長めに失礼致しましたm(_ _)m
| Trackback ( 0 )
|