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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



さて、予定通り『Mine or Yours』の

『君はコーヒー 僕は緑茶 いつもの』

を取り巻く1番2番3番の歌詞をみていこうか。

1番では、『何か飲むかい?お湯沸かすよ』の一言から、『君』と『僕』がすぐ傍に一緒に居るのだとわかる。

2番では、『何かいるかい?買っていくよ』の一言から、『君』と『僕』が、少なくともその瞬間は物理的に離れている事がわかる。そしてその直前の『毎日一緒はしんどいかも』から、完全な同居や同棲ではなさそうなことが示唆されている。

3番では、2人の現況を直接表しそうな文言はないけれど、『どうして』の一言から、何かままならない事が起こっている事が読み取れる。

この3つをひとつのストーリーとして繋げて読み解くと、最初は仲睦まじく2人で住んでいたけれど、徐々に別居していき、最終的にはほろ苦い現況を味わっている、という筋道が見えてくる。1番〜3番の行間で結構時間が進んでいるという想定になる。

ここまで出揃えさせた段階で、10年来のファンであれば、これはヒカルの前夫であるキコ(フランチェスコ・カリアーノ氏)の事を歌っているのでは?という着想に辿り着くかもしれない。彼はバーテンダーだったらしいので、コーヒーやお茶をサーブするのはお手のものだったのではないか。

ヒカルと結婚し、ダヌくんを授かり、その後いつの間にか離婚していた事をレコード会社にサラッと晒されていた彼である。言われてみれば確かに、一緒に住んでたのが徐々に疎遠になっていったという過程が重なる。また、息子と父親はそれなりに頻繁に会っており、それを踏まえると『何かいるかい?買っていくよ』の一言も、離婚して別居はしてるけれど、息子を通じてまた顔を合わせるくらいには仲は良好、みたいな事を表しているのかな?という推理がしたくなってくる。

このあからさまな推理に基づけば3番の

『自由に慣れれば慣れるほど
 不自由だって、どうして誰も
 僕らに教えてくれなかったの
 君はコーヒー 僕は緑茶 いつもの』

という歌詞は、離婚して別居して身軽にはなったけど、自分が望むようには、自分が会いたいと思った時すぐには息子に会えなくなった、という意味に取れなくもない。…と、少し言い方が弱くなるのは、「慣れる」という漢字が宛てられているからなのだがここではそれは置くとして、となるとここでの『いつもの』は、もう取り戻せない過去の日常を懐かしむ、或いは失った事を悔いる意味になるだろう。1番での親しげな「君の好みはわかっているよ?」とでも言いたげな態度とは真逆になっている。時の流れは時に酷、というのがこの『Mine or Yours』の歌詞の主張するところと、なるだろう。


以上が、おそらくいちばんオーソドックスな『Mine or Yours』の、全体がひとつのストーリーだと仮定した場合のそれなりに自然な解釈のひとつとなる。これはこれで完結していてそこまで問題は無い、かな。そして、ダヌくんの年齢を考えると、そろそろこのヒカルの歌詞の意味がわかるかもしれなくなってきているのであれば、実は母から息子に向けての父親の心情の吐露なのかなと思ったりもする。

ひとまず、これを基底として、今後はひとつひとつのセンテンスを見ていくことにしましょうか。乞うご期待。(未来の自分に丸投げの意)


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