『Mine or Yours』の、
『令和何年になったらこの国で
夫婦別姓OKされるんだろう』
という歌詞。『夫婦別姓』の4文字が随分と話題になっているが、この国での政治事情をご存知ない海外の方々などは、この歌の中での意味を誤解しやすいかもしれないので、そこのところを解説しておきたい。出来れば英語か何かで書きたかったとこだけどそんな力量は私にはないのでこの日本語を各国言語に訳して読んでくださいな。
日本の政治において話題になっているのは、
・婚姻時に夫婦の姓を同姓にする
・婚姻時に夫婦の姓を別姓にする
という二つの主張の対立ではない。
対立しているのは、
・婚姻時に夫婦の姓を同性に強制する
・婚姻時に夫婦の姓を同姓か別姓か選択する
の二つなのである。ここを取り違えてはいけない。わかりやすさのために詳細を犠牲にして書き換えると、
・姓の選択権を与えない
・姓の選択権を与える
の二つで争っているのだ。これを踏まえて、『Mine or Yours』の歌詞を読み解かねばならない。つまりここの歌詞は、
「結婚して姓を同性にしようか?
それとも別姓にしようか?」
と二つの選択肢の間で悩んで揺れ動いているのではなく、
「結婚した時に別姓を選ばせてもらえない」
と嘆いている段階なのだ。この曲のタイトルは『Mine or Yours』。“A or B”の文になっている。しかし、AとBのどちらかを選ぶということは、少なくとも選ぶ前は「どちらも選べる」という保証と前提がなければならない。この場合、例えば歌詞はこんな風になる。
「なにか飲むかい?お茶沸かすよ
コーヒーか緑茶、片方だけ淹れるね。
君か僕は我慢しなくちゃいけないよ?
世間体を考えたら、君が我慢してね?」
これが、今の日本の「婚姻時の姓の決め方」なのだ。2人とも緑茶が好きならいい。でもそれ以外の場合は?ってことだね。
ここの歌詞を、
「選択肢は既に揃っていて、どちらかを選べる状態までは来ている、或いはどちらかを選んでもう他の選択肢は取れなくなった状態になった。」
というそんな解釈をしてしまうのは、違うのだ。ここでは、「そもそも選べない状態」を歌っているのだ。
この歌は、最後まで歌を聴いた時に、
『自由に慣れれば慣れるほど不自由だって』
という歌詞が出てきた時にリスナーがギョッとするように出来ている。選べる自由に慣れて、選ばせて貰えない不自由を忘れているから。そう、リスナーは自然と歌を聴いてるうちに「選べる自由の恩恵を忘れる」ように仕組まれている。そこで最後に「選べることで生まれる不自由」を突き付けられて歌が終わる。ミスリードをうまく取り込んだ歌詞の構成といえる。なので、この歌は次の3つの段階を内包していなければならない。
・選べない不自由
・選べる自由
・選べる為に生まれる不自由
ここでちょっと難しいのは、宇多田ヒカルお得意の、
「歌の2番の頭にそこまでの世界観を壊す一言を入れる」
という方法論を使う為に、楽曲冒頭に触れた方がわかりやすくなっていた「選べない不自由」についての歌詞を楽曲の真ん中(2:10/4:20)に持ってきてある所だわよね。ただ、少し深読みすれば、ここは「いつになったらそうなるの?」=「まだそうなってないの?」という意味の文章なので、曲の真ん中に置くことで「他の国では当たり前すぎるからそういや忘れてたけど」という雰囲気を出したかった、という風にも取れる。その為に2番の頭においたということね。まぁ、ここは議論の余地があるかな。
ということなので、生身の宇多田ヒカルさんがどうなのか?という点についてはまた後日に触れるけれども、少なくともこの歌の登場人物にとっては「選択的夫婦別姓制度の導入」は
「100%賛成」
なのです。むしろ「まだそんなこと言ってんの??」と呆れてる感じだわよね。そう受け取らないと、
・選べない不自由
・選べる自由
・選べることに慣れた不自由
の3段階を踏めず、この歌の終局部のインパクトがなくなっちゃうからね。
なので、少なくとも歌の中の人に関しては
「賛成派とも反対派ともどちらとも取れる」
ということはなく、
「賛成派」
なのですわ。歌の歌詞の意味が通るようにする為には。ではまた次回っ。
(まぁでも、そりゃそうよ、少なくとも先進国の間では、今や日本にしかない制度らしいじゃない同姓強制って? あたしはこの国のあり方を「海外の国に無理に合わせることはない」と思ってる方だけど、流石に国際的な「不便」と「不作為」を他国から指摘されても仕方のない状況になっちゃってるんでしょうね。)