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無意識日記
宇多田光 word:i_
 



『ともだちwithOBKR』は、サウンドが地味な為『Fantome』の看板曲とはいかないかもしれないが、様々な側面からみて面白い、いや興味深い楽曲となっている。

いちばんの"革命"は、サビのメロディーと歌詞の組み合わせ方だ。リズミックに言葉が転がっていくみたいに歌が進んでいく。今までのヒカルにはなかったタイプだといえる。無理矢理に強いて言えば『甘いワナ』が近いかな。ホーン・セクションも共通しているが、ヒカルの中でプラスとリズムのアクセントはどこかで繋がっているのかもしれない。もっとも、1stアルバムでどこまでサウンドメイクに携わったかは定かではないが。

『甘いワナ』と決定的に違うのは、その「熱くならなさ」だろう。この、ベースラインを主軸にした隙間の多いサウンドもまた新機軸。ラッパの音が間抜けに響くリスクも厭わない勇気。またギターの音が涼しげでクラップ音も乾き切っているというか。熱帯のリゾート地で冷房をかけて涼んでるみたいな音造りだ。

したがって、歌詞に耳を傾けないとこの曲の持つ感情が素直に伝わってこない。「こましゃくれすぎている」とでも言っておこうか。アウトロも素っ気ないし、リズムに乗れないといつの間にか終わってしまう曲である。

サビのリズム。

『Oh ともだちにはなれないな にはなれないな Oh』―この歌詞が自然に乗っているのが、なんていうんだろう、静かに摩訶不思議だ。ゲシュタルト崩壊してからが勝負、という感じもする。気がついたら、このサビを口遊んでいる自分が居る。エモーショナルではないがクセになる。食べ物でいえば、味はどうって事ないんだけど噛み応えが何とも心地よくいつまでも口の中で弄んでしまいそうな、それこそ"スルメ曲"な気がする。味のなくなったチューインガムに対する妙な愛着を延々と引きずっているような。しかし、サウンドは全く派手に弾(はじ)けない。リゾート地の冷房も26℃くらいで、涼しいまでいかないじゃないかっていう感じ。

「明るい曲を歌っていてもどこか影がさす」とまで言われた切なさの伝道師による歌が、この曲では全くエモーショナルに響いてこない。しかし、歌詞を吟味すると今までのどの曲にもまして「切ないねぇ」と言いたくなる。誠に摩訶不思議。

思うに、ヒカルはこの曲で日本語の歌における「切なさ」の定義を拡充しにかかったのだ。苦しそうな歌い方をしなくても、他のもの、特に歌詞を組み合わせて「新しい切なさの歌」を開発した。そこがこの歌の真に革命的な点だ。

多分、その神髄はライブで体験するまでわからない。『ヒカルの5』の『COLORS』のように、スタジオバージョンではスカスカだったリズム隊に情熱的なパーカッションが加わる事で、まるで別の歌の如く生まれ変わる気がする。この『ともだち』という歌は。冷房の効いた室内から飛び出して熱帯の夜の盛り場や祭りの中に身を投じる位な勢いで。その時になって初めてこの歌の真の「切なさ」に気付ける。アルバムで次の曲が『真夏の通り雨』であってもしっかりと存在感を示せる、そんな曲なのだから。ある意味、過去との違いを明確に示しているという点に於いて、最も『Fantome』らしい作風の曲であるといえそうだ。ここから、ヒカルもこの曲自身も、まだまだ進化していくだろうて。

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通常盤仕様1形態、というのはCDの話で、配信の方は通常の256kbpsの音源とハイレゾと一応2形態リリースしている。

勿論これは音の中身の違いなので、ジャケット違いやランダムブロマイドで種類を水増ししているのとは訳が違う。区別して購入する価値のあるものだ。低容量低音質か、大容量高音質か。

てな訳で、本来ならこの日記でも『Fantome』のハイレゾ・バージョンの話をする所なのだがどうにも気が進まない。

最初ハイレゾを買いに行った時に値段を見て吃驚した。4200円。確かに割高なのは知っていたが改めて提示されるとおののいた。一瞬、「こんな値段なら買わなくてもいいかな」という考えさえアタマを過ぎった。これは、大変な事である。『In The Flesh 2010』を観る為にホノルルまでの旅行代金を確認した時ですら一瞬も躊躇わなかった人間を躊躇わせたのだから。よっぽど高いんだわ、これ。

何しろ、今でもそうなのかは知らないが、自分の利用しているmoraにはダウンロード回数制限がある。10回もあれば確かに十分かもしれないが、何故それならこんなに高価なのやら。特に、回線の不調でダウンロード失敗しても1回に数えられる。ダビング10かお前は。

だったら最初っからDVD-ROMで売ってくれれば、4200円という値段でも納得が行くのに。通常のDVD-VIDEOの価格帯がこの辺だからね。それでも配信するのは何故なのか、未だにわからない。初期投資額の差だろうかね。

しかし、躊躇いの理由はそれだけではない。多分、前も書いた気がするが、自分がそこまでハイレゾ音源に重きを置いていないというのも大きい。だからほんのちょっぴり値段が高いだけで反応してしまう。くまちゃんUSBを「へぇ、1人2個までか。じゃあ2個買おう」とポチった人間が。いや、私なんかワンナイに9万円払ったりWiSH買ったりする人たちに比べたら全然なんですけども。

色々と検証した結果、ハイレゾを聴いて音がいいと感じるのは、ハイレゾ音源のせいだけではないという結論に達している。それよりも、ハイレゾの為の別リマスタリングという制作側の努力や、ハイレゾ音源を聴く為に再生機器を取り揃えるリスナー側の取り組みの方が影響が大きい。つまり、大きな枠組みでの「高音質で聴こう」キャンペーンのスローガンとしては「ハイレゾ」という合い言葉に意味はあるが、音源がハイレゾであるかどうかはそのキャンペーンのうちのいち要素に過ぎないのである。

実際、中途半端な再生機器でハイレゾ音源を再生するよりMP3の128kbpsの音源をアップコンバートして再生した方が音がいい。ハイレゾというキーワードにつられて「ではハイレゾ対応のヘッドフォン買わなくちゃ」という風に皆が取り組んだ結果、いい音で聴けているのである。

「高音質で音楽を」という姿勢は誠に結構。しかし、だからといってそれをハイレゾ音源の購入に結びつける必要はない。勿論ハイレゾ音源の方が音はいいのだが、それ以外のファクターにも気をつけながら音に耳を傾けていった方がいいという話なのでした。

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