昨年紙ジャケ再発されたスイスのプログレ・バンドIslandの唯一作「Pictures」(1977)を聴いているのだが、このアルバムの何が問題ってボーナス・トラックの"Empty Bottles"がいちばん素晴らしい曲だという事実。しかも23分半もある。どうみてもこのアルバムのメインこの曲だよね…
…だなんて風な書き出し方で始めてみたくなったのは他でもない、一応この日記は"ある一人のミュージシャン"について語る日記だという事を思い出したくなったからだ。今月音楽の話題が少なすぎるんじゃないかと自戒中でござる。
本来なら、昨日放送される筈だった熊淡8の選曲をネタにあれやこれやと語る流れだったのだが、そうもいかず。さて果たして、藤圭子の"新曲"2曲は、語るに足る内容なんだろうか。
そもそも私は元々藤圭子のファンでも何でもなく。ヒカルが絶賛するから聴いてみた、という順番だ。なので、光は嫌がるかもしれないが、いつまで経っても彼女は私にとって「宇多田ヒカルのお母さん」である。
歌手として母親であるという側面をみせたレパートリーが他にあるのかあったのか、私は知らないのだが、ひとつ言えそうな事は、その内容によっては、今後のヒカルの活動の参考になるかもしれないなという点だ。
ヒカルもいつか子を生み母となるかもしれない。ならないかもしれない。それはわからないが、そうなった時、ヒカルは母としての歌を唄うだろうか。これはずっと語られてきた論点だが、今回のリリースのお陰で、ぐっとその可能性が身近に感じられるようになるかもしれない。ちょっと期待している。
まだ私は聴いていない。聴いちゃったら言えないような事、言えなくなるような事は、今のうちに先に言ってしまっておきたい。
まだクレジットも見ていないのだが、話によると作詞に圭子さんは関わっていないんだとか。お馴染み石坂まさを氏の名前があるようだが、「流星ひとつ」をよんでみるに、彼の才能とはつまり藤圭子あってのもの、という雰囲気が漂ってくるので、つまり藤圭子の歌声が彼をインスパイアして歌詞が出来上がる、という構図を今私は思い浮かべている。なので、もしかしたら、圭子さんが作詞に携わっていなくても、随分と彼女の心情を斟酌した内容になっているかもしれない。わからない。
ただ、今までお蔵入りになっていたというんだから、彼女自身もそのクォリティーに満足出来ていなかった、という解釈も出来る。歌には果てしなく厳しい人であったらしい事が窺われるので、そういう意味では故人の意に反するリリースなのではないかという懸念は、どこまでも残る。
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で、だ。ヒカルは詞が書ける。それも日本一巧く。そういう人間が、他の人の作った歌の歌詞からインスパイアされると想定するのは何ともこそばゆいが、まだまだ遠い未来かもしれないとはいえ、この2曲がもたらす影響は無視出来ないものとなろう。そういう意味に於いても、冒頭で私は藤圭子のファンではないと言ったが、ちゃんとチェックしておこうという気になったのだった。
さて、どうなるやら。ちゃんと"ある一人のミュージシャンについての日記"の体裁を整えられますかどうか。少しばかり、楽しみです。大半の感情は不安と心配だったりするんですが、この際なのでそれについては予め諦めておきます。どうしようもないからね~。やれやれだぜ。
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