無意識日記
宇多田光 word:i_
 



あーもー。やっぱりかー。そんな気がしてたんだよね、大分前から。今月のこの日記、例月(って言葉あるっけ?)に比べて熊淡の話題が少なかった。正直、薄々「今月は無理かもなー」とは思っていたのだが、流石にそれを口にするのは憚られた。"どーせ"、光の事だからどうにかならないかとギリギリまで頑張っていたのだろう。その頑張りに水を差したくなかったのであからさまに言うのは避けていたのです。

なんで休止されると思ってたのかって? 勘。


でもね、何だろう。私自身は物凄く親近感を感じる。"体調不良"に至った実際のプロセスは知る由もないが、放送予定当日に休止報告っていうリズム、今ごろ頭抱えて"あーもーまたやっちゃったよー"って心の中で泣いてんだろなー。光の優秀な所はあんまり共感できない(する能力がない)けれど、駄目な所はメッチャ共感してしまう。遅刻魔仲間~☆

もしかしたら、この日記の新しめの読者諸氏は、私の事を「凄くコンスタントな人」と思っているかもしれない。平日の朝に誤差10分以内で必ず日記を更新しているのだからそう思っても無理はないのだが、全くそんな事はない。だらしなさにかけては私は誰にも負ける気がしない。(稀に見る情けなさ満載の自慢態度だなー)

体調不良で休むなら休むで、一週間位前に納期を区切っておけば、InterFMだって"緊急生放送"とかの準備が出来る。世のDJの中には「一時間枠空いたよー」だなんて言われればすぐさま何か企画をやってみたい人が山ほど居るだろう。そういう人たちにチャンスをあげればいいのに、と思うんだけど漫画雑誌の穴埋め原稿みたいにはいかないのかなーどうだろ?

っていう風な対処もしてもらえるだろうに、どうしてもギリギリまで粘って可能性を探りたがる。「明日には元気になってるかもしれない…ッ」と期待してしまう。でもやっぱり駄目。うーん、何だか自分の事を書いている気がしてきたぞ…。


そんな光の今の心境は間違いなくどんより。こんな時にどういう言葉をかければいいかファンなら迷う所だろう。結論から言うと、やっぱりそっとしておいて欲しい。「早く元気になって」と言われると、なかなか元気になれない自分に落ち込む。ネガティブな時ってそんなもん。でも励ましてくれるのは勿論嬉しいのでそんな事言わないでとも思えない。優しい言葉をかけて貰えれば貰えるほど、その期待に応えられない、その優しさに甘えてしまう自分が情けなくて落ち込んじゃう、だったらいっその事手厳しく批判してもらった方がスッキリする…と思ってそのテの、例えば今回だったら「仕方のない回もあるとはいえ10回中3回も休むのは如何なものか」的な文章を目にすると、「そうそう、全くその通りですよねぇ」と頷きながらやっぱりしっかり傷付く。幾ら自分でわかってる事であっても人にあらためて指摘されるとキツいのだ。当たってるだけに余計に。どっちに転んでも結局落ち込むのである。


多分今の光はそんな感じなので、私はヘラヘラ笑っていようと思う。「まーいーじゃんそんなの、かまへんかまへん」と軽くいなしてしまおう。勿論光は「そんな訳ないっ!」と怒る。こういう時、つまり、そっとしておいて欲しい時にいちばん傍に居るべきなのは、怒鳴り散らしても全然傷付かない人間だ。落ち込んでいる人間から見ても「こいつは間違ってる!」と心底言える駄目人間に当たり散らしてくれれば、ちょっとは心も軽くなる。怒鳴るとどうしても後から「相手を傷つけてしまった、怯えさせてしまった」と後悔してしまうが、そういう事にすら棚引かない、じゃないや、靡かない正真正銘の駄目人間相手になら、本気で怒れるだろう。それに、俺、光に怒鳴られるだなんて御褒美でしかないんだよなぁ…("我々の業界ではッ!")……ドMか。

という訳で、願わくば光の傍に行って思いっ切りヘラヘラして思い切り怒鳴り散らされて、それでも「愛してるぜ」って言ってみたい。私なら本気で言える。さて来月までゆっくり待ちましょうかね。

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ふむ。納品ツイートも放送告知ツイートもないのかな。録音予約する人の事を考えたら24時間以上前に一回告知、更に24時間以内にもう一度告知、というのが基本なんだが。ニコ生みたいに放送直前に番組開始メール送れるシステムとか出来ないのかねぇ…。


んじゃあ前回の続きの話でも。日本のアイドルの歌唱力は壊滅的、と書いたがこれは市場の特質に則ったもので、別に彼らが原因な訳ではない。寧ろ結果だといえる。ジャニーズの、"歌の練習してる暇があったら踊りの練習をしろ"という基本路線は全く以て正しい。歌唱力を気にしない層を相手にしているのだから当然だ。

それが日本の伝統か、といわれるとそんな事もなく。数多の演歌歌手は相当に訓練を積んでデビューしてきている。なかには、余りにも音程が正確過ぎてダブルで録音してもシングルにしか聞こえず意味がない、なんてエピソードもある位だ。真偽の程は定かではないが、そういう話に信憑性を持たせられてる時点で推して知るべしだろう。

そんな感じなので、歌唱力を問題にしないのは若い世代の特徴で…と世代間の差異に話をもっていくのもひとつの方法だが、私はもう少しズレた見方をしている。恐らくアイドル文化とは反体制の一環なのだ。

社会が成熟してくると、歌唱力の高い人間は自然と上からすくい上げられる。つまり、ファンのつけいる隙がない。日本のアイドル文化というのは基本草の根で、青田刈りをして「私たち俺達が最初から目をつけて育てた」と思わせるのが基本路線だ。親衛隊とか、あったよねぇ80年代。それをシステム化してメジャーにしたのがジャニーズとAKB、といえばわかりやすいかな。

従って、元々反体制というか"拙いけど魅力的"という人材をファンが押し上げる構図(これもまぁ芸能事務所やレコード会社がそう仕向けている訳だが)を、21世紀の今は更にシステム化して皆で取り囲んでいる為、事態は演出過多の"劇場型"へと発展する。それが私の現状に対する認識である。

話がちょっと難しいな。要は、宇多田ヒカルとは、そういう風に確立されたシステムの外側に居た癖に抜群の歌唱力を持っていた、というのがポイントだった。FMで火が付いて草の根的にヒットしていくのに歌が上手い、というのは独特の高揚感で、勿論ルックスという絶対条件は必要だったがそこをクリアーしていたお陰でアイドル的な扱いも受けていた。結局、全部を取り込んだのだ。メジャーからみてもマイナーからみても、彼女は魅力的に映った。珍しく"外側"からの視点で15年前の状況を描写してみたが如何でしたでしょうか。

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