無意識日記
宇多田光 word:i_
 



長年のファンに光の歌唱力の評価訊くと、昔に較べて「よくなった」「悪くなった」の真2ッに分かれる。恐らく、歌に於て出来る事が色々と増えた分パフォーマンスが不安定になったのが理由と思われる。昔光は「声帯に筋肉をつけ過ぎない」様気にしていた。コレは実に鋭い。新しい筋肉は歌手に新たな集中力を要求する。繊細さが強みの光にコレは厳しい。然し敢えてソレに挑み、伸びる高音シャウトの力強さや低域の説得力を得た。この成長がなければ、例えばPassionの様な曲は歌えなかっただろう。その分、近頃歌ってないけどtimewilltellの様な曲は昔と同じには歌えないかもしれない。


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3月3日以降、BLUEを聴くのはいつも尋常でない痛みを伴う。正視できない、というか。詞は私生活と直接関係ない、とはいうもののこの声で「もう恋愛なんてしたくない離れてくのはなぜ」と歌われては。私の場合当初この曲をアッサリフィクションとして捉えていて、今思えば呑気なものなのだがそれでもこの悲痛な旋律は胸を打ち捲った。こんな砂漠な情熱を持つ曲が06年3月にはもう書かれていた事、そして何より幸せ一杯で作られた「光」と同等以上に素晴らしい楽曲である事を思うと何ともいえない気持になる。音楽的成果と光個人の幸せが一致しない、曰く言い難い1例だ。


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