3月3日以降、BLUEを聴くのはいつも尋常でない痛みを伴う。正視できない、というか。詞は私生活と直接関係ない、とはいうもののこの声で「もう恋愛なんてしたくない離れてくのはなぜ」と歌われては。私の場合当初この曲をアッサリフィクションとして捉えていて、今思えば呑気なものなのだがそれでもこの悲痛な旋律は胸を打ち捲った。こんな砂漠な情熱を持つ曲が06年3月にはもう書かれていた事、そして何より幸せ一杯で作られた「光」と同等以上に素晴らしい楽曲である事を思うと何ともいえない気持になる。音楽的成果と光個人の幸せが一致しない、曰く言い難い1例だ。
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