トシの読書日記

読書備忘録

「私」という語の意義(センス)

2017-06-13 18:36:58 | あ行の作家



大場健「私はどうして私なのか」読了


本書は平成21年に岩波現代文庫より発刊されたものです。


本書は何年か前に一度読んだんですが、あまりに難しすぎて歯が立たず、悔しい思いをしていたので、捲土重来、再度チャレンジしてみました。


がしかし、やっぱり難解でした。でも、論旨は大まかですがわかったつもりです。この哲学者は言語で攻めてきます。


本書のキモであると思われる部分、すこし長くなりますが、引用します。

<生きるということは、木石・水雲が現れているということではない(もし、掛け値なしにそれだけなら、その人は数日で死ぬ)。生きるということは、時の間・人の間として、私の振舞いを何らかの行為として受けとめる他者にたいして、選択的に行為するということである。こうした実践的な文脈においては、「私」という指標語は、いかにデリケートな心理的な述語をともなうにせよ、私のことばを真に受けた相手が、「あなた」という語で指しているもの、を指す。指標語「私」の指示対象は、あなたが言う「あなた」として与えられる。これこそが、「私」という指標語の意義(センス)の基底である。>


「私」というものは、いわゆる「内なる自己」というものがあるというのは、思い込みであると。


そして最後に著者は、こう結びます。


<「私」という指標語が指示しているのは、まさに、こうした呼応可能性という意味での、責任の主体としての、この私である。(中略)呼応可能性=責任を担っている私とは、他者からの跳ね返りにおける脱―現在として、自分を意識して―いる、という存在にすぎない。(中略)私は、あなたが「あなた!」と呼びかけ・応じてくれる存在として、その呼びかけに応じうる存在として、私でありえている。そして、あなたも、である。>


「私」とは、無数の「あなた」という存在があって初めて成り立つものであって、自分だけの世界、いわゆる「内なる自己」というものは、語の意義(センス)の違いを指示対象の違いへとスリかえた所産でしかないと。


とまぁ、わかったようなわからないような読後感でちょっとモヤモヤしておりますが、たまにはこういった小難しいものを読んで、急速に白痴化していく頭に多少なりとも歯止めをかけねば、と思っております。


ネットで以下の本を注文


町田康「ホサナ」 講談社



輪廻転生?

2017-06-13 18:23:35 | さ行の作家



佐藤正午「月の満ち欠け」読了



本書は今年4月に岩波書店より発刊されたものです。


本書もNHKラジオの「ラジオ深夜便」の書評氏が推していたものです。しかし、前の髙村薫ですっかり信用して勧められるままに買って読んだのはいいんですが、ちょっとだまされましたね。


佐藤正午という作家は髙村薫同様、名前だけは知っていたんですが(ジャンルは全く違いますが)、一度も作品を読んだことのない作家でありました。


まず言いたいのは、文章というか、プロットの立て方がこれ、どうなんでしょうね。話が非常にわかりにくいです。途中まで読んで、こりゃ読み終わったらまた最初からもう一回読み直そうと思って読み進めていたんですが、それもなんだか馬鹿らしくなってやめました。


いわゆる「生まれ変わり」というのがテーマなんですが、何というか、読了しても深い感動が得られないんですね。もっと違う書き方だったらまた味わいは変わると思うんですが。じゃどうすればいいんだと言われても自分は作家ではないので、何とも言えないんですが。


「小説の読み書き」という有名な小説の佐藤正午なりの解説を著した本があるんですが、良い読み手は必ずしも良い書き手ではないということでしょうか。


残念でした。