昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(115)文明(5)

2011-01-06 05:37:51 | 昭和のマロの考察
 通路の向こう側の席に黒いスーツのカップルが座った。
 女性の薄手のスカートからスラーッと伸びた白い脚がまぶしい。
 ほそい指で裾をつまんだり、伸ばしたりしているのが艶かしい。
 ひょっとして同じ葬儀に参列するのではと期待する。
 しかし、男のネクタイは白だ。残念、おめでたの方だ。

 その先の若い女性の一団は伊勢志摩へ観光にむかうのだろうか。関西弁がうるさい。
 窓の外へ目を移すと宇治川の清らかな流れ、緑の潅木が水際までおおっている。暑くなってきた。

 西大寺に着くと駅員を探した。何番線で乗り換えるのだろう。もう13分しか余裕がない。階段を上がってようやく見つける。
 ていねいに時刻表を開き調べてくれる。
「これからだと4番線が早いです」富雄まで7分だと言う。4番線に発車のベルを鳴らして準急が待っていた。ぎりぎり間に合いそうだ。





 富雄に着いたがプラットフォームから見渡す街並みにそれらしき看板はない。フォームの表示板にもそれらしき記載はない。
 キオスクのおばさんに聞くと「反対の出口!」とぶっきらぼう。
 何も買ってやらないからかな。
 あせる気持ちでようやく大きな看板をかかげたビルに到着。式場は3階だ。
 エレベータから降りると「輝かしき履歴の・・・」故人の紹介がされているところだった。多数の生花が並べられ、老齢の僧侶の読経中、会社関連の著名な肩書きの方々の弔電が披露された。

 焼香を終え、叔父さんに最後のお別れをする。まぶたはしっかりと閉じられ、鼻梁が高い。彫像のような無機質な物質に変わってしまった。触るとひんやりと冷たい。「いろいろとお世話になりました」と声をかける。

 ぼくがまだ幼い頃、戦後まもない、食べることにもこと欠く、ましてや子どもの好奇心を満たすテレビはもちろん、遊び道具など何もない時代だった。
 そんな頃、叔父さんから中谷宇吉郎の「雪の話」や寺田虎彦の「随筆集」などたくさんの本をいただいてわくわくしながら読んだことを思い起こした。
 科学のことを平易に書いた本が多かったと思う。

 これがぼくの原点だ。・・・改めて思った。

 ─続く─