昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

昭和のマロの考察(118)文明(8)

2011-01-09 06:52:10 | 昭和のマロの考察
 映画監督の大林宣彦氏は「いまの日本人は生活実感をなくしている」と懸念を表している。

生活実感がなくなったのは、まず春夏秋冬という季節感を失い、明るさ暗さという一日のメリハリも失いました。
  

 また、<文化>という意味での生活体系をまったく失ってしまって、私たちは<文明>という生活体系だけを手に入れましたね。
 <文明>によって手足は便利になるけれども、心にはちっともかかわってこない。
 だから人間関係も希薄になり、<私>が<私>である理由もない。
 美しさとはね、<私>と<誰か><何か>との関係から生まれるものですから。・・・ 


 ぼくはタテさんの<江戸しぐさ>の記事が好きでよく読ませていただいている。その中にこんなのがあった。




 <顔は二の次> この意味するところは「<しぐさ>に応じて、顔は良くも見え、悪くも見える」ということです。・・・
 江戸の人々は、人間は<心>と<身体>と<脳(思考)>で成り立っており、それぞれ相互に関係していると考えていました。心はしぐさとなり、しぐさは身体を通して顔に表れたのでしょうね

 江戸時代の人間関係の濃密さを象徴することばですね。
 
便利ということは、知恵や工夫がなくなりますから。
 不便さの中から人間はいかに便利で快適になろうかと工夫して、それで心が一緒に育ってくるわけですから。
 私は戦後50年は第三次世界大戦ともいうべき経済戦争だったと位置づけています。 
 日本がその戦いに勝つための戦略は<二分法>だったと思うんです。
 コンピューター的発想による効率主義。ゼロか1か、いいか悪いか、右か左か、学校主義は○×主義。

 ○×主義では心の行間が見えてこない。百人の生徒がいれば百通りの喜怒哀楽がある。 本来はそれぞれの生徒の違いを知った上で向き合うことが教育だったはず。でも、それは不便で非効率ですね。
 (1998年3月週刊読売より)


 ─続く─