阿久悠氏の本を読んでいて、こんな箇所にぶつかった。
若者たちを思想なきデラシネにしている因は何か、価値なき魂の漂流をさせているのは何か・・・かつてあって今なくなってしまっているもの、そしてなくなっていることに不便を感じないような、ごくごく精神に関わるものは何か、
・・・ぼくらが少年の頃は、父や先生や名もなき職人たちからボソッと語られたそれらを命綱のように摑んで大人になろうとしたものである。大人になるとは、大人の持っている知恵の存在に気がつくことで、昨年何気ない戯言だと思っていたものが、今年は光り輝く人生の言葉として胸に響くのは、ぼく自身の成長と評価していいものであった。
日本の若者、特に高校生が世界の中でもきわめて特異な存在であるということが、何かの調査で判明、それについてちょっと語られていた。たしか、アメリカ、中国、韓国の同世代との意識の比較であったと思うが、それはまことに憂慮すべき、いや、驚愕すべき結果であったように記憶している。・・・
たとえば、学校観、社会観、家族観、それぞれに対する質問でも、学校の価値を考えるとか、社会との関わりを思うとか。家族の意義を検証するとか、そういう姿勢が全くないように思えるのである。
ただ、自分の気分を答えとして出している。「別に」とか、「どうってことはない」という日常語と同じで、<今>と<自分>以外のものが思考の軸にない若者をどう見つめてあげればいいのだろうか。
たとえば、こういう比喩だと危機感が伝わるであろうか。
土を休ませることなく痩せに痩せさせた畑に蒔かれた種子、当然のことに成長の栄養もなく、結実の精気もなく、ヒョロリとした茎と萎びた葉が風にそよいでいるさま。
そして、やがて<今>を過ぎた<明日>に枯れることを承知している植物。
それが若者たちの意識から見えてくる姿である。なぜこのように人を育てる畑は痩せたか。 (阿久悠<清らかな厭世・・・言葉を失くした日本人へ>より)
たしかに日本の現状を憂うものである。
しかし、はたして痩せた畑は日本だけの問題なのだろうか。
日本の若者の問題はそれなりに考えるとして、もっと大きな観点に立つと、我々がどっぷりと浸っている<文明>に問題はないのだろうか。
ハワイの博物館に<人類の墓>がたてられた。
「この種属は2万年前に生まれ、非常に繁栄したが、自らのつくりだした廃棄物と有害物と人口のために、2030年に滅びた」
ある意味豊かな生活に慣れきった日本の若者は、無意識のうちに絶望的な未来を感じ取っているのかもしれない。
いたずらに悲観的になる必要はないが、現実をしっかり見る目をもたなければならない。
明日は、今日の<文明>に強烈な警告を発している立花隆氏の言葉に耳をかたむけたい。
─続く─
若者たちを思想なきデラシネにしている因は何か、価値なき魂の漂流をさせているのは何か・・・かつてあって今なくなってしまっているもの、そしてなくなっていることに不便を感じないような、ごくごく精神に関わるものは何か、
・・・ぼくらが少年の頃は、父や先生や名もなき職人たちからボソッと語られたそれらを命綱のように摑んで大人になろうとしたものである。大人になるとは、大人の持っている知恵の存在に気がつくことで、昨年何気ない戯言だと思っていたものが、今年は光り輝く人生の言葉として胸に響くのは、ぼく自身の成長と評価していいものであった。
日本の若者、特に高校生が世界の中でもきわめて特異な存在であるということが、何かの調査で判明、それについてちょっと語られていた。たしか、アメリカ、中国、韓国の同世代との意識の比較であったと思うが、それはまことに憂慮すべき、いや、驚愕すべき結果であったように記憶している。・・・
たとえば、学校観、社会観、家族観、それぞれに対する質問でも、学校の価値を考えるとか、社会との関わりを思うとか。家族の意義を検証するとか、そういう姿勢が全くないように思えるのである。
ただ、自分の気分を答えとして出している。「別に」とか、「どうってことはない」という日常語と同じで、<今>と<自分>以外のものが思考の軸にない若者をどう見つめてあげればいいのだろうか。
たとえば、こういう比喩だと危機感が伝わるであろうか。
土を休ませることなく痩せに痩せさせた畑に蒔かれた種子、当然のことに成長の栄養もなく、結実の精気もなく、ヒョロリとした茎と萎びた葉が風にそよいでいるさま。
そして、やがて<今>を過ぎた<明日>に枯れることを承知している植物。
それが若者たちの意識から見えてくる姿である。なぜこのように人を育てる畑は痩せたか。 (阿久悠<清らかな厭世・・・言葉を失くした日本人へ>より)
たしかに日本の現状を憂うものである。
しかし、はたして痩せた畑は日本だけの問題なのだろうか。
日本の若者の問題はそれなりに考えるとして、もっと大きな観点に立つと、我々がどっぷりと浸っている<文明>に問題はないのだろうか。
ハワイの博物館に<人類の墓>がたてられた。
「この種属は2万年前に生まれ、非常に繁栄したが、自らのつくりだした廃棄物と有害物と人口のために、2030年に滅びた」
ある意味豊かな生活に慣れきった日本の若者は、無意識のうちに絶望的な未来を感じ取っているのかもしれない。
いたずらに悲観的になる必要はないが、現実をしっかり見る目をもたなければならない。
明日は、今日の<文明>に強烈な警告を発している立花隆氏の言葉に耳をかたむけたい。
─続く─