昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

エッセイ(40)居酒屋<かなざわ>

2011-01-26 06:04:19 | エッセイ
 長らく音信が途絶えていた高校の同窓生(というより居酒屋<かなざわ>のマスターだった男と言ったほうがいいか・・・)Mからメールが入った。

「ここ7年横臥せになっていた 小学生に碁を教えていると言う 放っておけまい 協力させてくれまいか」
 ぼくのブログでも見たのだろうか。即ネットで対局しようと言う。
「でき得れば今日中に あとは打ちながら とりあえず」と。

 居酒屋<かなざわ> なんと懐かしい響きよ。
 居酒屋というより、<サロン>というべきだろう。
 ぼくの手元に<わが心のかなざわ>という50ページばかりの小冊子が残されている。
  

 ぼくが通い出してわずか1年目、ワールドカップ・サッカー・フランス大会で、岡田ジャパンが3試合いずれも1点差で予選を敗退して日本中が落胆していたころだったろうか、突然この想い出の<かなざわ>は閉店した。
 これから活用したいと思っていた矢先だった。

 居酒屋と言ったって、想い出の記の表紙に見るように、天井からは洒落たランプ、壁には西洋名画がかかっているし、スペースだってこの店を愛用したS画伯が俯瞰するとこんな風になる。
 けっこう広いのだ。
 
 ぼくが<サロン>と呼ぶのは、高校(地方では名門だ)の同窓生を核に、一流企業の幹部や、大学教授、病院長、芸術家、多士済々の紳士、淑女達が集っていたからだ。

 そんな中で、2年ほど前にブログに載せたものだが、ぼくが出会った大学教授とのエピソードを再録してみる。

高校時代の同窓生が経営する郷土料理店、居酒屋<かなざわ>へよく出かける。 趙治勲名誉棋聖のお兄さんの碁会所で、師範代も務めるという、超つよ~いマスターに囲碁を打ってもらうのが目的だ。
 しかし、今日は団体客で忙しそう。
 常連のM大学教授Sさんが入ってくるなり「あ~あ」とため息をつきながら、カウンターのぼくの隣に座った。
 先生は経済学に関する本をいろいろ出されている。<ロシア、崩壊か再生か>なんてのも出版されている。
「表彰式なんて出なきゃよかった。・・・出てこない者もいたのに・・・」
 教授歴10年の永年表彰式の帰りだという。
「これ見てくださいよ。ケーキ屋のリボンみたいのがくっついた表彰状」
「・・・」
「おまけに荷物になりますが、と渡された額。こんなものどこに飾るんですか」
 ・・・わざわざ持ってきたんだ。
「金一封ですか。見て下さいよ。2万円ですよ」
 熨斗袋の中身まで見せてくれる。
「これもひとえにご家族の支えがあったからこそ、と言われたけど、こんんな額じゃ奥さんにどう言うんですか。・・・日数で割ると1日5円ですよ」
 額をしかめている。
「ご縁があったという意味ですか? ・・・なるほど}
 自分で言って納得している。
 センスあるじゃない・・・。
「あの大学紛争の機会に収拾の仕方を間違えて、旧態依然たるものがありますな・・・」
 教授は憮然としている。
 


 先生、そんなこと言ってる場合ですか?
 小谷敏が<若者たちの変貌>の中で言ってますぞ! 大学教授の重みを!

 今やアメリカ型資本主義の時代である。人々の消費が支えている経済である。
 人々の中に欲望を喚起し、豊かな生活のイメージを植えつけることが重要となり、<メディアの世紀>をもたらした。そこにおいて大学が重要な位置を占める。大量生産システムは巨大な管理機構を必要とする。従って企業は、研究開発のみならず、管理部門においても大量の人材を必要とし、それを排出する機関として大学は不可欠なものになる。
 それらの企業群が織り成す社会はいきおい複雑なものとなる。
 議会(政党)は、もはや変化する時代に対応することができず、政策の決定の主体は、官僚組織や各種審議会に移行していく。
 <行政国家>である。
 大学は、官僚たちの養成機関としてのみ重要なのではない。
 <教授>の権威は、官僚たちの作成した審議会の決定に、社会的な威光と正当性を付与していく。
 


 菅直人首相は年頭に、<脱官僚>から官僚の重要性を説いていたが、野党から政権を担う立場になってやっと気づいたのかな?  


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