暑い夏から開放され、いつの間にか彼岸花を見る季節となった。古来中国から渡来した植物だそうで、伝わったのは稲と同じ頃といわれている。人里近い堤防や田んぼのあぜ道に多く、ほとんどが人の手で植えられていったものらしい。
日本では、仏典に出てくる梵語の曼殊沙華(マンジュシャゲ)が彼岸花の別名となっている。仏が法を説く前兆で、天から降る華だそうだが、日本ではこの彼岸花の花言葉は“悲しい思い出”とのこと。この対極的なイメージはどこから生まれたのか、有毒であったためであろうか。仏典では、彼岸の意味するところは、悟りの境地であり、仏の意味するところは、本来は目覚めた人であるから無理もない。この彼岸花も、いつの間にか人間の都合によって、本来の意味合いが失われ別なものとなってしまったのだろう。
今年6月17歳の序ノ口力士が稽古中に急死した問題がマスコミに取り上げられている。伝統や格式が重んじられる相撲界にあって、厳しい修行は当然のことであろう。しかしながら捜査を進めるうちに、バットで殴る、兄弟子の集団暴行など、到底一般社会では容認できない行為が明るみになってきた。悪しき伝統や格式故にというよりも、むしろ、本来の意義を履き違え、最も重んじられるべき人間性を見失った行為の結末ではなかろうか。
昨日9月26日に、福田内閣がやっとというか、いよいよ発足した。与野党共に国民のため、国益のために、本来の政治の役割を見失わない論戦を期待したい。
話しを彼岸花に戻すが、最近では、ヒガンバナもその美しさが認められ、いち早く季節を伝える花として、マスコミに取り上げられる機会も多く、花としての本来の使命を開花させているようだ。