今週、支援者の方をはじめ、地域でお世話になっている方など、文字通り一軒一軒挨拶をして回る時間を久しぶりにとることができました。どの家に行っても、ご無沙汰しているにもかかわらず、「よく来てくれた」と喜んでいただいた。ほんとに、ありがたいと、つくづく思いながら、短い時間でしたが、何時間にも匹敵するような気持ちにさせていただいた。支援者あっての、自分であることを改めて感じました。
しばらくすると「あそこにも行かないと」とか、「ごぶさたいている」とか、自然に頭の中に、近所にいる方のことが次々と浮かんでくる。そこで、「また、一軒行こう」となる。
病魔と闘っておられ、しばらく会っていなかった方を思い出し、お身体の具合を聞こうと思い、ベルを鳴らした。すると、代わりに奥さまが出られた。奥さまとは初対面だったので、自己紹介し、ご主人に会いに来たことを告げると、ドアを開けた奥さまは、もう泣き出していた。「去年、亡くなりました」と一言。不覚にも、これまで知らなかったとは。しばらく、言葉にならなかった。
すぐにあげてもらい、お線香をあげ、少し、わびるような気持ちで、ご冥福を祈った。仏壇には、生前、好きだったようで趣味で撮った写真が飾られていた。「この写真は、すばらしい」「よく、撮れていますね」などと言いながら、いくつかの写真を見せていただいた。最近のものでは、スカイツリーが。建設中のスカイツリーは、ほんとによく撮れていて、工事の作業が、くっきりと伝わってくるようだった。故人も気に入っていたようである。きっと、これからの未来、東京、日本、そして、町田を重ねあわせていたのではないかと、瞬時に感じた。「ご主人は、日本が好きで、東京が好きで、この町田が大好きだったのですね」と言うと、奥さんも、即座に「そうなんです。だから、しなくてもいいことまで、色々やりすぎたんです」と。70才前半で、帰らぬ人になってしまったご主人に対して言っているようだった。
議員になった当初から、よく、文化団体の会合で顔をあわせた。はつらつたる笑顔、自信に満ち溢れ、周囲を活気付けるような存在だった。地域を知らず、サラリーマンからの転職組みで議員になった私には、ほんとに、手の届かないような存在に感じたほどだった。生まれは、愛知で、町田には40年。公社の団地に住み、その間、文化活動や地域福祉に携わり、志を同じくした同志とたくさんの友情を育んだようだ。つらいときもあったようで、若くして、ご長男を亡くされている。いま、仏壇の上には、お二人の遺影が飾られている。
私も、気持ちを振り絞るように、「ご主人は、ほんとに立派な方でした、町田を築いてこられました」と、励ましの言葉を贈らせていただいた。
奇しくも、3月議会では、市の表彰条例に基き、一般表彰対象者として、故人の名前が記載された議案が提案された。故人の町田への功労が末永く顕彰されることになった。これまで、こうした表彰について、あまり、深く考えたことはなかったけれども、今度ばかりは、名前を見た瞬間に、奥さまの顔が浮かび、少しでも励みになればという思いが重なりました。また、故人に対しても、「おめでとうございます」と、心の中で祝福させていただきました。