町田市議会議員 山下てつや “獅子奮迅”

てつやではたらく“山下てつや”が日々の活動や出来事、お知らせしたいことを報告します。

児童によるトイレ清掃 相模原市を視察

2011年12月16日 | 活動日誌

昨日、今日と2日続きで、相模原市内の小学校を2校を視察をしました。視察の目的は、児童のトイレ清掃です。実際のトイレ清掃の現場を見学し、町田市の小学校では行われていないトイレ清掃を、当たり前のこととして取り組んでいる状況を見て、町田市の小学校も、このトイレ清掃を行うべきであるとの思いが強くなりました。

まず、感じたことは、トイレが臭くないということでした。この点について、校長先生に確認すると、市内小学校のトイレは自動水洗になっており、このことが、臭わないことに大いに役立っているようです。市内小中学校施設から3K(暗い、臭い、汚い)を無くす取組の一環として自動洗浄設備が設置されたとのことです。児童も、3Kを無くそうという認識で、清掃に取り組んでいるようです。

感染症などの衛生面の問題について、校長先生に聞いたところ、「校長会で、一度も問題となったことはない」とのこと。便器を洗うときには、ビニールの手袋をして、手洗いを徹底している。

「保護者からクレームなどありませんか」と聞くと「全くありません」との返事。その他にも、先生の負担も特に問題はないし、子どもたちが、いやがるような態度を示すこともないことなど、確認しました。

何年から、実施するのかという点も、それほど、大きな問題ではないようです。高学年が中心になって行っている学校もあれば、1年から始める学校もあるとのことです。1年からから始めると、清掃の仕方が、しっかり身に付くようです。

「掃除をして、清潔感を保つ」「自分たちが使用しているものは、自分たちで清掃する」トイレ清掃の仕方を、6年生が説明してくれました。淡々と説明する姿。先日、町田市議会で、トイレ清掃を実施するにあたっての課題や問題を教育長が話しましたが、この6年生が、この話を聞いたら、どう思うだろうか。しかも、清掃をしていないために、臭っている校舎内のことを知ったらと思うと、子どもにトイレ清掃をさせないことは、勝手な大人の判断に過ぎないと感じました。させないことによるイナスは大きく、実施をしないという選択肢はないと思います。

 

 


町田ゼルビア、J2昇格!

2011年12月11日 | 活動日誌

今日は、本会議がありました。夕方になって、職員の方から、町田ゼルビアのJ2昇格の正式通知があったとの教えていただき、市役所内も、少し、興奮が高まったような雰囲気に包まれました。暫くすると、広報担当部長から、J2昇格が紹介された新聞号外のコピーをいただきました。その後、いくつかのニュースで、映像を通して、昇格連絡の様子を見ることができ、本当によかったとの思いが込み上げてきました。あらためて、おめでとうと言いたいと思う。

現在、定例議会の最中ですが、今回の一般質問では、商都町田の産業振興のために、商標登録について質問をしました。質問の準備をしていたところ、ゼルビアの商標登録に関する元事務局長のコメントのブログを発見しました。ゼルビアへの思いのつまった内容を、少しですが、質問の際、紹介させていただきました。2007年12月27日付けのブログには、その当時、すでに、JFLからJ2昇格したいくつかのチームが、商標の問題でチーム名を変えなければならなかったことから、ゼルビアは、そんなことがないように、2007年当時の3、4年前からチェックをしていたことが綴られていました。http://komo-zelvia.seesaa.net/article/74956979.html

ゼルビアのJリーグ加盟は、まさに、こうした沢山の功労者によって支えられてきたことを思うと、長い、町田のサッカーの歴史全てが結実したもののように感じます。新たなステップへの飛躍を期待したいと思う。

 


一般質問原稿をつくりました。

2011年12月09日 | 活動日誌

先ほど、一般質問の原稿を作り終わりました。4項目を用意しました。防犯、産業振興、市民協働、道路管理など、分野別では、そんな感じです。質問を文章にしていると、最初に思ったことと違うような質問になることがあります。とういうようより、文章にしてみて、何を聞きたかったのか、自分でも、気が付くことがあるようです。いずれにしても、寝ます!八王子オリンパスホールです。オリンパス問題が、世に出る前に撮ったものです。


訃報に接して

2011年12月05日 | 活動日誌

久しぶりにブログを更新しています。今日、夜になって、お世話になっている自治会長さんから、電話をいただきました。半年以上になるでしょうか、入退院を繰り返すなか、看病し続けた奥さまが、亡くなられたとのことで、そのことを知らせていただくお電話でした。最後は、子どもと孫たちが来て看取ることができ、大往生だったと言っておられました。

先週、お電話をいただいたときに、奥さまのご容態が厳しいことを話されていました。その際、これまでとは違った状況を感じ、次に電話をもらうときには、「もしかしたら・・・」という思いが頭の中を過ぎりましたが、それが現実のものとなってしまいました。

明日から、一般質問が始まるということで、その準備に追われていましたので、21時近くなって、ようやくご自宅にうかがうことができました。しばらくの間、奥さまのご逝去の話とは別に、いつもと同様に市政の話になりましたが、その後、ようやく奥さまとの思い出の話をされるようになりました。

「若いときは、長距離バスの運転手だったので、一週間近く自宅帰れないことも多くて、帰ってくると、子どもが自分を親であることを忘れていることもあったり、女房に苦労をかけた、だけど、この半年、一生懸命看病したから許してくれるかな・・・」と、しみじみ語っていました。

「自治会長を務めるには、女房の理解が必要だった。女房と一緒に自治会長を受けたわけではないのだけれども、周りは、そうは思ってくれない、だから、苦労をかけたと思う・・・」

ともあれ、奥さまのご冥福、そして、会長が、これからも、地域を守る存在として、活躍されることを心から祈っています。