町田市議会議員 山下てつや “獅子奮迅”

てつやではたらく“山下てつや”が日々の活動や出来事、お知らせしたいことを報告します。

三浦バイオマスセンターを視察

2012年10月18日 | 活動日誌

山下てつやです。今日は、朝から建設常任委員会の視察ということで、三浦市に行ってまいりました。視察先は、三浦バイオマスセンターです。 三浦市の人口は、約4万7千人、面積は約32k㎡。町田市の人口は、約42万7千人で、面積が約71k㎡です。町田市の4分の1ぐらいの人口密度です。

とにかく、横須賀市もそうですが、海に面していて、畑が広がっている景色が印象的で、とても、広々とした解放感を味わうことができるので、このあたりに来ると、とても、気分がよくなってしまうことを感じます。

三浦市は、農業と漁業の町。言うまでもなく、大根は、有名です。漁業では、日本で有数のマグロの水揚げ量ですが、ピーク時の昭和43年に比べると、現在は、2分の1以下まで、落ち込んでしまっているようです。そのため、地域活性化のために観光に力を入れようする動きが生まれ、、13店舗のマグロ料理のお店の調理人さんが、毎月16日(とろ)に集まって研究をするマグロくらぶを結成して、グルメで町おこしに取り組んだ結果、10万から15万人だった観光客が30万人から50万人まで増えたそうです。すごいことですね。確かに、昼間行ったマグロ料理のお店には、沢山の芸能人も来ていて、観光客でにぎわっているようです。

平成15年、国が内閣府に「地域再生推進本部」を設立。これに合わせ、三浦市や三浦商工会議所そして三崎水産物協同組合は「三浦地域再生研究会」を発足。そして、国では、バイオマス日本総合戦略を閣議決定、また、地域再生法の施行がありました。そこで、三浦市は研究会の議論を踏まえて「三浦市バイオマスタウン構想」と「三浦地域再生計画」を策定し国に提出。農林省からは、「バイオマスの環交付金」の活用が認めされ、内閣府からは計画の認定を受けるまでになりました。この研究会は、もの凄く、市の活性化に役立ってきたことがわかります。

三浦市では、し尿処理と浄化槽汚泥の処理をしてきた衛星センターの老朽化に直面していました。しかしながら、財政力の弱さから、建て替えが進まないという問題があったのですが、この交付金が民間会社においても活用ができるものであったことをうまく生かして、市に代わる新会社を設立して、衛生センターの代替プラスαの施設をつくろうということとなり、平成18年に第三セクターとして三浦地域資源ユーズ株式会社が設立されました。

三浦地域資源ユーズ(株)は、民間比率の高い会社で、28団体が出資しており、市の資本比率は19.9%で、前述の市の構想と計画を実現化していく会社です。

ユーズは、三浦バイオマスセンターの施設整備と運営事業をプロポーサル方式で行うこととなり、実施要領や必要事項を定めて、建設費と施設の15年間の運転管理を行う事業者を公募をして、建設から施設の運営事業者の選定まで行っています。契約内容まで策定していることを考えると、通常、自治体が行う役割まで行っている点は、こうした施設運営に限らず、今後、町田市としても参考事例としていきたいケースです。

 これが、三浦バイオマスセンターの建設と運営に至る経緯です。

三浦バイオマスセンターでは、「し尿」「浄化槽汚泥」、「農作物残差」「水産残差」を一般廃棄物として処理されています。そして、「下水道汚泥」を産業廃棄物として受け入れられています。処理行程としては、メタン発酵と水処理が行われ、バイオガスを抽出して、電気や温水などつくり、副生成物としは、堆肥をつくっています。

農業、漁業が主体の町であることから、バイオマスによる再資源化を行っている点は、まちづくりと連動しており、注目すべきものがあります。以前は、農作物の残差をそのまま埋め立て処分場に捨てていたようですが、これを三浦バイオマスセンターが資源化に取り組んでいます。堆肥の搬出先が、少ないことが課題であるが、これは、三浦市の農家の収益が比較的高く、安価であっても、三浦バイオマスセンターの堆肥の普及が進まないことが主な理由です。

メタン化施設における大きな課題は、やはり、異物の混入です。農作物を破砕する段階において、一般の廃棄物が混ざっていることがあり、この対応に労力をかけることがあるようで、大きな課題となっています。また、処分する残差が予想された搬入量に達していないことから、メタンガスの発生量も、予想より少ない状況にあるようです。メタン発酵施設というより、し尿、浄化槽汚泥の処理施設としての役割が大きいと感じられる施設であると感じられました。

この施設は、エコとフードというまちづくりのコンセプトにあったものとしては、今後も、大きな役割を担うことが期待されます。また、現在は、財政的基盤の確保のために、制約された事業運営がされていることから、しばらくは、新たな事業展開は難しいようですが、順調に事業運営がされていくことにより、民間が事業主体となっている柔軟性を活かし、観光資源としての魅力を高めるような目的をもたせることも期待できると思います。

写真は、大根の葉です。三浦市らしいですね。


国際危機管理学会 パブリックカンファレンスに。

2012年10月17日 | 活動日誌

今日は、朝、町田駅での挨拶からスタートしました。少し、寒いくらいでした。その後、議会に行き、事務作業と数人の議員と懇談。いくつか、地元案件などで情報交換。その後、戦没者慰霊式に参加。

午後から、京都大学東京オフィスで開催されている国際危機管理学会 日本支部 第一回パブリックカンファレンスに出席するために、品川インターシティに行きました。昨年、今回の講師である在日米軍消防本部統合消防次長の熊丸氏から、危機管理の手法であるICSについての講義を初めて受けました。それ以来、再度、ICSについて学ぶ機会を得たいと思っておりましたが、今日、ようやく、機会を得ることができました。ところが、日程調整が、あまり、上手くできず、熊丸氏の話だけ聞くことができた次第。京都大学の林春男教授の話を聞くことができなかったのは、とても、残念でした。

熊丸氏の話によると、東京電力が設置した「原子力改革特別タスクフォース」にICSが採用されたとのこと。(原子力改革特別タスクフォースについたは、以下の通り、東京電力のHPより抜粋)世界最高水準の安全意識と技術的能力、社会との対話能力を有する原子力発電所運営組織の実現に向けて、安全文化、安全対策、防災、リスク・危機管理、情報公開・リスクコミュニケーション等の改革を迅速かつ強力に実行するため、社長をトップとする「原子力改革特別タスクフォース」を設置しました。

これは、日本の危機管理システムの変革にとって、大変、大きな前進であるとのこと。

残念ながら、熊丸氏の話が終わってすぐに、町田に帰ることに。しかしながら、熊丸氏の熱い話しを聞けたのは、幸いだった。

夜、健全育成委員会の会合に出席。その後、支援者側との打ち合わせ。

熊丸氏の話から伝わるのは、日本の危機管理システムを変えたいとの強い決意である。3.11から、日本はどう立ち直るべきなのか、日本は、どうすべきなのか、少なくとも危機管理という側面でいえば、熊丸氏の主張は確かなものである。だから、勇気や希望が、湧いてくるように感じる。こうしたことが、日本の復興に繋がると確信したい。


町田市小中一貫ゆくのき学園を視察

2012年10月12日 | 活動日誌

本年、4月に開校した校舎一体型の小中一貫校ゆくのき学園を視察しました。ゆくのき学園は、相原町の大戸小、武蔵岡中学の児童生徒数の小規模化をきっかけに町田市ではじめての一貫校として、スタートすることになりました。町田市のような人口が多い都市部にあっては、極めてまれなケースで、一学年一クラスの一貫校です。児童生徒数は、小中あわせて9クラス、213名。校長先生は1名、小学校担当の副校長1名、中学担当の副校長が1名です。ちなみに、PTAも、会長1名、小学校から副会長1名、中学から副会長1名という小中併せた組織で運営しています。

ここは、校舎一体型なので、職員室も1つ、同一の校舎で小学1年から中学3年までの生徒児童が学校生活を送っています。通常学級がある学校校舎は、大戸小の校舎を使用していますので、階段の高さや教室の大きさは小学校サイズです。

小中の先生が、それぞれ、両方の授業で教えることができる兼務発令を受けています。

複数のクラスが一緒になって授業を行うteam teachingでは、当然のことながら、小中合同のパターンで行うこともできます。視察当日は、team teachingによる理科の授業を見学することができました。いったい、どんな授業になるのか。小4と中1合同の授業。シャーベットをつくる実験です。実験自体は、とても、簡易な道具を使ってのもので小学生向き、実際に起きていることについての科学的な検証は中学生向きであると考えられますが、子供たちにとっては一つの実験を通して、小中の先生から授業を受けることができ、質の高い教育を受けている印象を持ちました。

中学数学の先生が、小学校の算数を教える時間をつくっています。これは、一貫校になる前から取り組んでおり、数学が得意な子が多くなったという成果も出ているそうです。

中学生は、小学生に対して、とても面倒見がよく、実験中もそうでしたし、運動会でも、よく面倒を見ていたようです。

部活も小学校高学年から、中学生と一緒に行っています。これも、大変、興味深い取り組みです。早い段階から、能力を生かし伸びることが期待できます。

ゆくのき学園の今後が楽しみです。


集団行動の先生、清原先生のお話を聞いて

2012年10月06日 | 活動日誌

昨日は、小学校3校ほど、運動会を見学に行くことができました。木曽境川小、元々、木曽に住んでいましたから、とても、なじみのある学校です。その後、午前中は、長女が卒業した小山田小にて、子どもたちの頑張りを見ることができました。

小山田小では、恒例のよっちょれを、皆さんと踊ることができました。

午後は、突如として、雨が降りましたが、その後、雨も上がり、運動会は通常通り続行。今度は、小山田南小学校の運動会を見学。

そこで、幸運にも、集団行動の指導者として有名な清原信彦先生と隣の席になったことから、直接、お話を聞く機会をいただきました。集団行動は、何か、強制的な行動を強いるようなイメージのある表現かもしれませんが、全く、それとは異なるものです。集団行動は、一人一人が、他人を思いやる心がないと成立しない。生命の尊厳を教えてくいことに、繋がっていくものである感じました。

また、集団行動は、本気にならないとできない。けれども、一人一人が本気になれば、集団行動を通して、すばらしい結果を生むことを知ることができます。

清原先生は、集団行動で有名になられたようですが、本来は、水球の名指導者です。ちなみに、あの、モニカを歌った大物アーチストが、水球の選手でったことは、同世代である私の世代では有名な話ですが、選手としての将来性を見抜いて早くから抜擢したのは、全日本の監督をしていた清原先生だったようです。

「子どもたちのどこを見るのですか」との質問に、「一人一人が落ち着いているか、キョロキョロしてないかを見ます」「見てください、ここの子どもたちは大変落ち着いて集中している。一人一人が次に何をすればよいかわかっているのです。この日に向けて、しっかりと先生が指導して、訓練してきた証拠です。」と、おっしゃられました。

「肥っている子は、踊りにしても、走るにしても、大変そうです。」というようなことを問いかけると、即座に、「そういう子には、『あなたは、人より、10kgも重いものを背負っているようなものだから、人より大変なのは、当たり前だ。よくがんばった、すごいことだよ、みんなと同じ体重だったら、どれだけ速く走れることか、本当にすごい!』と褒めてあげるのです。子どもは、褒めて育てるのです。」と話されました。

悪いところより、良いところを見つけることの大切さも、切々と、話されていました。10のうち一つでも、二つでも、三つでもいいところを見つけて、褒めると、それが10にも、20にも広がっていくというようなことを言われました。

指導者として、大切なことは、相手の心をがっちりつかむということを強調されていたように思います。私は、当たり前のようなこの言葉に、とても、感銘を受けました。中学時代に、部活に熱中した時代、顧問の先生に対する信頼、思いは、これまでの人生において、いつも心に残っていることを実感しています。

翻って、行政の市民への対応を考えると、行政は自らの立場を守ることを前提に説明であったり、計画をつくったりしていることが、あまりにも顕著であると言わざるを得ない側面があります。ですから、理屈や既成事実をもとに、市民を説得しようとする印象が強く残ります。心から納得するというような場面は、少ないのです。

改めて、市民協働という理念を現実のものとしていくことの難しさや、その中にあって、議員がどのような役割を果たしていくべきかというようなことを、先生のお話を聞きながら、少し、考えさせられもした時間もありました。

それにしても、清原先生の日体大水球部の監督として21年間負けなしの367連勝という記録は、あまりにもすごい。その中で、全日本の監督も長期にわたりされていたとのこと。

運動会修了後、あらためて、お礼の挨拶をすると「また、語りあいましょう」と声をかけてくださいました。確かに、人の心をつかむ名指導者だなと、強く実感したひと時でもありました。来賓席から出た先生を待ち構えていたのは、先生にサインの求める子どもたちでした。笑顔でサインをする先生の姿を見ながら、自分ももらえばよかったかなと少し後悔。また、語りあえるときを願いつつ、改めて貴重な時間をいただいたことに感謝をしたいと思います。