町田市議会議員 山下てつや “獅子奮迅”

てつやではたらく“山下てつや”が日々の活動や出来事、お知らせしたいことを報告します。

調整区域内の公共インフラ整備について

2013年03月20日 | 活動日誌

今日は、市内小学校の卒業式。地元小学校では、92名の門出を祝福しました。校庭には、咲き始めた桜の木。春の日差しを受けた花びらが青空を引き立たせています。卒業生のみなさん、そして、保護者、関係者のみなさんおめでとうございます。

午後、いくつかの用件を済ませ、日比谷公園近くのプレスセンタービルで人との面会をした後、シダレザクラを目にしました。公園沿いの歩道脇のサクラの木には、「八重紅桜 シダレザクラ バラ科」と書かれた名札が。

サクラは、意外にも、バラ科だったのですね。

せっかくなので、仕事仲間に連絡を入れて、ちょっと、食事でもと思いましたが、生憎、みなさん塞がっており、千代田線に乗り込み、町田に戻ることに。

代々木上原で、電車の乗り換えをしてみると、そこで、仕事での付き合いがあった方と、約20年ぶりの再会。覚えていていただいたこと自体が、とても、うれしい。車中では、しばし、懇談させていただいた。日本のエネルギー産業の中枢に身をおいていることから、その間、産油国をはじめ、いくつか海外場所を渡り歩き、東京への異動となったようです。

お互いが知る人の情報交換やエネルギー関連の話題に。取引先の人でさえ、比較的、仲の良い関係をつくれたのは、景気のよい、いい時代だったということが、大きく貢献している。若い時期に、そのような時代をすごしたことは、ありがたいとだったと最近は思います。

さて、今日のいくつかの用件の中に、調整区域内で起きている問題について、現場での確認作業がありました。一つは、汚水の排水です。浄化槽によっては、し尿処理はされているものの、風呂や洗濯、台所の流しの水などが、そのまま流れてしまっている地域がります。そうすると、その排水が流れる場所の下流地域にいる人は、その排水の影響を受けます。臭い、そして、量が多ければ溢れでた汚水などです。この問題について、現場で職員の立会いを得ながら、状況確認し、対応策を練ってもらうこととしました。

そして、もう一つは、道路幅員の問題です。農道のような道が続く調整区域内では、場所によっては、幅員が足りず、救急車などの緊急車両が通れない場所があります。そのために、初期対応に時間を要する地域があり、この改善策を、現在、市に求めようとしています。先日の議会質問でも、この問題を取り上げました。今日も、そのような場所の現地視察をいたしました。

私は、今回の議会では、調整区域の道路整備についての考え方を纏め、緊急車両の通行ができるように、具体的な対応をすべきであると市側に求めました。この質問に対して、市側からは、緊急車両の通行や介護車両など防災や福祉的な側面からも、調整区域に限らず整備方針を定めたいとの回答を得たところです。

調整区域内における公共インフラの整備は、後回しにされがちです。それは、市街地並に利用がされなかったり、あまり人が住んでいないことが大きな理由と考えられますが、基本的な生活基盤の整備がなされていない現状については改善する必要があります。そこで、私自身は、調整区域にける公共インフラの考え方を整備すべきであると考えます。その理由は、先ほどと同様ですが、市街化区域と一緒に扱われると、必ず、後回しにされるからです。そして、調整区域内と市街化区域内では整備の在り方自体にも違いがあってもいいのではないかと考えるからです。

よく、地方では、ほとんど通らない山道の整備の在り方などが指摘されますが、調整区域内にも、そのような考え方を持たれている方がいます。したがって、私は、そんなに完璧な整備をするのではなく、生活に支障がない程度を目指して、整備すべきであると考えます。恒久的な対応策ではなくて、救急車輛が通れない、家の前に汚水が流されて臭っているなどの現状を、まず、改善することが必要だと考えます。

また、住民や地権者の立場からすれば、なぜ市街地を優先するのかという思いもあります。都市部の市街化調整区域は、開発抑制のためにされている色彩が強く、行政の対応によるところが大きく影響しているからです。

私は、この問題を解決したいと思っています。

 


予防保全への取り組みについて

2013年03月18日 | 活動日誌

今日は、朝一番でこいそ都議と一緒に市民相談の対応をしました。朝一番といったのは、9時から、現地視察をしながら、対応をしたためです。

今日の相談に限らず、施設の老朽化に関連した相談や問題に接する機会が多くなってきました。中央高速の笹子トンネルの天井落下事故に見られるように、老朽化に対して施設の保全がされていないと、思わぬ大事故になることがあり、コンクリートの耐用年数に代表される社会資本の老朽化の問題は、年々、その深刻さを増していると思います。

こうした社会資本の老朽化への対応と経済対策をセットにしたのが、わが党が主張してきた「防災・減災ニューディール」です。公共事業というと、なんとなく、バラマキのようなイメージがあり、実際に、日本では、税収減の一部を公共事業費を減らすことでカバーしてきました。特に、この数年間は、このことが日本の景気悪化に拍車をかけたとさえいわれています。

1980年代に、アメリカでは耐用年数を迎えた橋や道路あるいは公共施設で老朽化による事故が多発したといわれています。そこで、景気回復策も含めて大胆な公共投資を行い、社会資本の老朽化問題を解決し、実際に景気も好転したという前例があります。ですから、アメリカの大統領選挙では、両陣営とも、公約に積極的な公共投資をかかげました。そのような前例のある公共投資による経済対策を、防災・減災対策を柱として、命を守る視点から行おうというわけです。

そこで、まず、社会インフラの総点検をして、危険個所を洗い出し、事故を未然に防ぐことと、将来の維持補修・更新にかかる費用を大幅に減らすために、予防保全に取り組みます。事後保全といって、問題が発覚してからの対処より、予防保全をすることによって各段にその費用を圧縮できます。全国の自治体が管理する橋が約65万橋あるといわれていますが、それらを50年間維持管理する費用を、事後保全と予防保全で比べてみると、17兆円以上も圧縮できるといいます。また、大震災などによるダメージを事前に食い止める効果を考えると、経済的なロスを減らすという側面からも、莫大な効果があると考えられます。

町田市では、すでに、この予防保全による考え方を採用して、道路のアセットマネジメントの計画や市有建築物維持保全計画を策定しています。市には、375の保有する公共建築物がありますが、予防保全によるコスト圧縮効果が20億円以上あることが試算されています。問題は、その計画を実行する財源の手当てでした。その事業費を国が責任を持って手当をするというのですから、市としも、、これまで、策定した計画がいきていくることになり、財源確保が、より一層期待できることとなりました。さらには、10年間継続的に、予算確保を行っていくことから、当然のことながら、経済対策としての効果も期待できます。

さて、今日は、都内で党関係の会合に出席しました。その後は、地元に戻り、すぐに、別の会議の席が待っていたことから、ロマンスカーに乗って、お弁当を食べることにしました。炒飯が食べたくなり、崎陽軒の炒飯弁当を駅の売店で購入。電車の中で食べる弁当は、また、格別なものです。弁当を食べながら、窓の外を眺め、いろんなことを考えました。ロマンスカーと駅弁のセットも、たまには、いい気分転換です。


3月16日、桜開花。

2013年03月16日 | 活動日誌

日は、3月16日。昨夜遅かったこともあって、朝は、少し遅めの起床。午前中から、いくつか気になることがあったため、スケジュールを念入りに確認して、スタートしました。

東京は、桜の開花宣言が気象庁により発表されました。基準は、靖国神社のソメイヨシノだそうで、平年より10日早く、過去最速タイの記録とのこと。

20代後半は、この時期、仕事で花見をすることが多く、もっぱら、場所とりが仕事でした。花見の場所取りといっても、風呂敷を敷いて、居座るようなものではなくて、上野公園近くの屋台の予約をすることが多かったように思います。連絡先を職場の先輩に聞いて、その仕事を引き継ぎました。たしか、M島商事といったように思います。なんとも懐かしい。それにしても、屋台の予約をとるなんて、当時は、少し、驚きました。

仕事で花見というのは、言い換えますと、接待のことです。桜の木の下で、日本酒をコップ酒で飲む。コップには、桜の花びらが、ふいに入って、浮かぶ。めったにないことでしたが、たまに、そんなことがあると、何とも粋な感じがした。

上司に連れられ、お伴のつもりで、行くまでは面倒だなと思って行った椿山荘の夜桜は、見事でした。ライトアップされ、花びらまでが、引き立って見えるほどの美しい景色。多摩で育った私には、都会でみる桜は、それまでと違った印象を植え付けました。

その上司も、そろそろ定年だとのこと。話の通じる気の合った仲間たちと、また、桜を楽しみたい。

さて、今日は、お世話になっている自治会長さんのお宅で、一時間ほど懇談。2年前、奥さんを亡くされているので、たまに行っては、上がり込んで、市政に対して、さまざま、ご助言をいただいたりしている。内容は、別な時にでも機会があれば、このブログでも報告しますが、お酒も飲まずに、冗談を言っては笑い、けっこう楽しい時間を過ごしました。

それ以外は、昨日で委員会も終わり、議会もひと段落したので、事務整理に集中。この時間になっても役所に。そろそろ帰ります。それでは、また。

 


3.11から2年を迎えて

2013年03月11日 | 活動日誌

大震災から2年が経ちました。あらためて亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。ご遺族の皆さまにあっては、謹んで哀悼の意を表しますとともに、被災され、今なお不自由な生活を余儀なくされている方々に、お見舞いを申し上げます。

2万人以上の死者行方不明者を出し、福島第一原発などの影響で、31万人以上の方々が避難生活を余儀なくされていると聞きます。一日もはやい生活再建と復興を重ねてご祈念申し上げます。

犠牲になられたお一人お一人が、大切な家族であり、友人であり、かわいいわが子であり、かけがえのない一人であったことを思うと、震災、津波による犠牲が、人の心に残した爪あとは大きく、あまりにも深い悲しみをもたらしたであろうと思います。しかしながら、どのような最後であったとしても、結んだ縁は消えることがない、深いものであると確信したいと思います。

昨日、町田市議会では、本会議中に、議長より休憩時間がとられ、黙祷をささげました。時計の針は2時46分。その時間を議場の壁にある時計で確認し、私も、復興への思い強くし、黙祷。

震災の当日、その時間は本会議中でした。会議を閉会し、会派室でテレビをつけると、津波の映像が飛び込んできました。これは、ただ事ではないと感じ、すぐに車に乗り、地元小学校に向かいました。築40年を超える老朽化した学校施設は、耐震補強をしていたことから持ちこたえていました。副校長先生がおられ、無事に全員帰宅したことを確認。その後は、土砂災害などがないか、原付に乗って地域を回りました。

震災数日後、福島第一原発の事故から逃れてきたご家族と対面。まさしく、着の身着のままで、手持ちの品はほどんどなく、小学校に上がる子どものランドセルをなんとかしようと、一緒に教育委員会に行き、寄付されたランドセルを譲ってもらいました。

しばらくすると、支援者の方から被災者の方々の情報が寄せられ、訪ねて歩きました。保育園のことや学校のことなど、細々、話をうかがい、市が対応できることは、すぐに、つなぎました。避難した子どもが最も多い小学校の校長とも直接会って、子どもたちの状況をうかがいました。力になれることがあれば、何でもはやろうと、私自身も、必死だったように記憶しています。被災地に行くことも考えましたが、避難者と会う機会が日増しに増え、町田での被災者支援に全力で取り組むことといたしました。

被災地を訪問したのは、震災から2か月後の5月11日。予定がついたのが前日の昼過ぎで、その夜11時ごろ、ひとりで車で出発。首都高、外環を抜け、街灯が消えた東北道を走りました。福島県内に入ると緊急地震速報が度々ながれました。余震の続くなか東北道を走りぬけ、朝9時ごろ、目的地であった陸前高田市に入りました。

実際に見た瓦礫の山は想像以上で、三陸特有のリアス式の地形により押し上げられた津波のあとは、山々にくっきりと残り、その高さに驚きました。昼ごろには、陸前高田を出発。途中、浪江町の仮役場のある二本松市により、浪江町長と面談し、浪江から町田に避難している方の状況を伝えるとともに、町長からは、町田市民の方が洗濯機を寄付したことに対するお礼の言葉をいただきました。

こうして、自分の記憶をたどって、震災当初と比べてみると、今では、世の中の雰囲気というものは、ずいぶんと変わり、明るさも取り戻しているように思う。震災による犠牲をどう受け止め、どう行動するかは、まさしく、自分自身にかかっているのだと、改めて感じています。

被災地や被災者とのかかわりの中で、新たな目標を見つけた人たちも多いとの話しをよく聞きます。また、自らが被災し、亡き人を想いながらも、それに止まらず、新たに、自己への挑戦を開始した人もいる。将来、防災関係の仕事につき、人の生命を守りたいとの思いを強くした若者もいる。私自身も、こうした人間の持つ復興の力を信じ、その願いを共有する一人として、力強く行動していきたいと改めて決意しています。

 


団地再生

2013年03月09日 | 活動日誌

日は、小学校のおやじの会「竹の会」のメンバーが、久しぶりに竹炭焼窯の前に集合。これは、さくらまつりに出展するための準備を始めるためで、毎年、この時期には、週末、集まっては竹炭を焼いたりしています。もっとも、私の場合は、土日は行事と重なるために、大変、申し訳ないことなのですが、顔を出すだけで帰ってしまうことが、多いのですが。

午前中、党女性局のみなさんと町田駅で街頭活動。その後は、木曽山崎センター祭りに。毎年この時期に行われ、春のはじまりを感じる行事です。食事をしていなかったので、出店で磯辺焼きを買って食べました。そこに、団地の自治会の役員をされている方がいも煮汁の差し入れをしてくれました。とっても美味しかったです。

午後は、境川団地のお宅にうかがいました。90歳を超える母親を面倒みているご夫婦です。団地の4階に住まわれています。要介護5ですから、ほとんど寝たきりですが、病気もあるので目を離すことができず、「一緒にラーメンを食べに行くこともできない」と笑いながら話してくれました。お孫さんのいるご夫婦で、年齢的には、私の両親と近いような感じです。

私の両親と近いということであれば、もう、70歳前後ということになります。子育てを終え、定年を迎え、年金世帯になり、先々を考え、家賃を押さえ、移動の負担の少ない場所に住みたい。しかしながら、30年以上、現在の団地に住んでおり、違う場所には行きたくないので、できれば、この団地のなかで1階に移動したいと。現在、居住者優先で1階に移ることができる制度があるので、その対応を待っているようです。このご夫婦だけではなく、似たような状況にある居住者は多く、それぞれが大なり小なり不安を抱えています。団地は、住む人の高齢化と建物の老朽化という問題に直面しています。

町田市には、高度成長期に次々と大型の団地ができました。賃貸だけでもURと公社をあわせると18,390戸です。東京都全体では江東区についで2位、三多摩では2位の八王子市が10,380戸ですから、町田が団地のまちといってもいいぐらいの状況がおわかりいただけると思います。この大型団地の建設が、人口増加の呼び水になり、バリバリ働き、子どもたちを育てていくような世代の方々が著しく増加しました。首都圏では、どこも同じような傾向があったと思いますが、町田市は、その中にあって、こうした人口推移の面からも、もっとも顕著な事例だったのではないでしょうか。

団地の再生は、町田市にとって、大きな意味を持ちます。しかしながら、この問題は、施設整備をどうするのかという問題が大きく、とても、町田市の財源を使って解決できるようなレベルではありません。そこで、現在、町田市では再生の基本方針を取り纏めて、内外に、わかりやすい問題提起や解決策の提示をしようとしています。高度成長期の旺盛な住宅需要に対応するために建設された団地は、都市計画や設計など面からみて、法的な例外規定により建設されています。したがって、問題解決をするには、あまりにも大きなテーマです。私自身は、国が、団地再生のための法律をつくり、期間的に集中して問題解決をしていくべきではないかと思っています。


一般質問初日

2013年03月03日 | 活動日誌

昨日は、子どもがお世話になったバレーボールの卒業の会にお邪魔しました。すでに、子どもは卒業しているのだけれども、たまに、練習に行って、後輩の面倒をみながら、バレーボールを楽しんでいるようです。私も、バレーボールをしていたこともあって、なんやかんやときっかけをつくり、練習に顔を出すことがあります。屋内スポーツ独特の床の音や天井など、体育館にいるだけで、なぜか昔を思い出します。3月は、年度がかわり、いままでの6年生は中学へ、クラブは新たな6年生が引っ張っていく。保護者も役員体制がかわり、新たな布陣となります。慣れない中で、子どもたちも保護者も最高学年そして役員となり、一年間が経つと、すぐに、次にメンバーにそれぞれバトンタッチをしていく。このチームは、後輩を育てる、後継に道をつくっていく。そのような流れをとても大事にしている。それを支えるとでもいうような、監督、コーチ陣。その人柄も、すばらしい。子どもが運んできてくれた縁。家族とは不思議なものだ。

今日は、一般質問初日。6人が質問しました。多岐にわたり、今議会も活発に議論がなされています。私は、4日目(7日)の3番目です。よろしくお願いします。 先ほどまで、質問原稿を書いていました。4項目のうち、一番大きく取り上げる団地問題について取りあえず完成。後は、明日にします。

そういえば、皆さんは、「ミウラ折り」って知ってますか。人工衛星のパネルの展開方法を研究する過程で生み出され、身近なところでは地図の畳み方が、それにあたります。実は、先日の市美術展懇親会の席でご一緒した方のご主人が発明したものだと知りました。町田市民だったのです。町田市には、ほんとにいろんな偉人がいますね。

また、明日。