今日は町田市内、木曽のブルーベリー農園を訪ねました。
日本にブルーベリーが導入され、東京小平市内で本格栽培が始まったのが1968年。そして、ほどなくして小平の農家とのつながりから町田市内でも栽培が開始されました。
当時は市場価値がなく、それを作り出すために軽井沢に持ち込みジャムとして販売。軽井沢には日本の原産ブルーベリーといわれるコケモモをジャムとして生産する実績のあるお店がありました。
軽井沢へは道路事情が悪く夏には大渋滞する中を収穫したブルーベリーを持ち込むのは、極めて大変なこと。そして、徐々に市場価格が上がっていったそうだ。
その後、市場価格は上がったが、生産量も増え規格が厳しくなり、大きさ、色などが問われるようになった。そこで、市内の協力者を得て町田市内でジャムづくりをすることに。
これをきっかけに、大きさや色などより品質を重視し、市内で生産されたものを加工し、安心して食べられるものをつくる生産拠点が立ち上げられることにつながっていく。
Wikipediaによると、日本での経済栽培は、1968年の小平市内で始まり、そして、長野県での栽培が1971年とある。その間に、少なくとも町田市内での生産は始まっていたと考えられる。
町田市内のブルーベリー栽培には、こんな歴史があったとは。
日本でのブルーベリーの市場価値の形成に大きな役割を果たしてきた市内の生産者。そして、地産地消、身近な生産者という都市農業の魅力を高めてきた町田の農業。このコロナ禍にあって、さらなる可能性を期待していきたい。
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