サマリーマン時代、わけあって、二度、転勤を断ったことがある。二度目の転勤を断ったときには、言ってきた上司の仕事のやり方を非難をして、転勤の断りとともに、カウンターとも言える「去るのは、お前だ」的にやり返し、敢えて言えば、こちらが、転勤を命令したようなものだった。しかしながら、このやり取りは、上司と部下の関係である。当然のことながら、敗北した。
上司の仕事のやり方を非難したのは、早く言えば、不正で、放置すれば多額の損失をまねくと分析していたので、この際だからと、不正を具体的に強く攻め立てた。しかしながら、サラリーマン人生において、こうした敗北というのは、大変、厳しい結果を生むもので、転勤を断る口実に嘘を言ったといわれ、気が狂ったというのようなことまで、社内で風潮されてしまった。
上司による会社での扱いは、ひどいものだった。所謂、飼い殺しのようになった。
およそ、3年後、不正は多額の不良債権とともに発覚した。マスコミにも取り上げられた。私にとっては、名誉が回復したような時期だったかもしれない。
その3年間というのは、とても、つらい時期だった。ほとんど、取引先を取り上げられ、一から開拓するようなことをしなければ、仕事がないような状態となってしまった。毎日、毎日、一軒、一軒、歩いて、仕事を探すような日々。丸の内から、江戸川のあたりまで、歩いて、営業したこともあった。地を這うとは、まさしくこういうことかと実感した。
それでも、いつの間にか、自分が開拓した取引先だけで、仕事が忙しくなっていた。よく、そんな精神力があったものだと、いまは、感心してしまうほどだ。
ありがたいことに、いまでも、その当時の取引先とはお付き合いが続いている。
サラリーマンとしては、貴重な経験だったが、転勤を断ったことについては、現在の職業では、もう転勤はないと思うと、実は、少し、後悔している。