町田市議会議員 山下てつや “獅子奮迅”

てつやではたらく“山下てつや”が日々の活動や出来事、お知らせしたいことを報告します。

定例議会が始まりました。

2008年11月28日 | 活動日誌
定例の市議会が始まりました。
今回も一般質問をする予定です。

質問内容は以下の通りです。
1.地上デジタル放送の移行について
2.国際交流、多文化共生について
3.校庭芝生について
4.ごみ減量推進に向けて
と題して質問をする予定です。

地上デジタル放送への移行についてでは、町田市における電波受信対策や受信機の対応について、すみやかに移行が進むよう、行政の責務や今後の取り組み方について、明らかにしたいと考えています。
このブログでも取り上げましたが、まだまだ、一般には正確な情報が行き届いていないことや、難視聴地域が町田市にもあることなど、課題は大きいと考えています。移行に際して、テレビ難民を生まないよう、町田市が取り組むべき責務を明らかにしたと思います。

また、国際交流、多文化共生では、町田市における外国人施策の充実を求めたいと思っています。
町田市における外国人登録者数は、約5500人です。これは、全国的にみて、住民に占める割合からすると決して多いわけではありません。しかしながら、ここ数年は住民の増加に占める割合が急激に大きくなっています。在留資格でみると、定住、永住、そして留学によるものが多いようです。
都心近郊で、神奈川にも近いこと、緑が多いこと、また、学術機関が周辺の都市も合わせると比較的高いことなど、居住地域としての良さから、日本人同様に町田市を選ぶ外国人も多いようです。
こうした町田市に住む外国人への行政サービスの提供、そして、国際感覚豊かなまちづくりといったことについての質問をしたいと思います。

さて、今日の議会中に、議場に小学生が社会科見学だと思いますが、来てくれました。どのような機会であれ、議会を身近に思ってくれることは、議員や議会関係者にとってはうれしいものです。また、力も出ます。
ぜひとも、これからも議会を見にくる機会を増やしてほしいものです。

小平市の小学校の校庭芝生化

2008年11月27日 | 活動日誌
「ぜひ、今度は校庭で遊ぶ子どもたちの姿を見てください。裸足になったり、寝そべったり、普段はみることができない、子どもたちの伸び伸びした光景をみることができます。」市役所の学校教育に携わる職員の言葉だ。
学校の校庭芝生化に、三多摩では先行して取り組んでいる小平市を伺いました。平成17年に小学校の校庭芝生化の予算を取り、現在にいたっている。冒頭の言葉は、校庭芝生化に取り組んだ担当職員の説明を聞き終えたときのものです。大変だったけど、つくづくやって良かった、そんな思いが伝わってくる。
芝生化に取り組んだ学校には、実は、芝生化を行うに至った意外な理由があったことを教えてくれた。「昔から、土ぼこりひどく、また、水はけが悪く、雨が降ると校庭の1/3ぐらいが、すぐ水溜りとなり、湖のようになってしまうんです。」
子どもたちのために、校庭をなんとかしてあげたい。そんな思いが、いつしか校庭の芝生化の検討につながったようだ。そして、市長決断により、実施に踏み切ることになった。
「子どもたちのためにとの思いから、周囲で、芝生化に反対が起きるとは思ってもみませんでした。私たちの準備が足りなっかのです。」
校庭芝生化の説明をPTAを中心に保護者にしたとろ、ずぐに納得してもらえた。ところが、学校の校庭は児童生徒のものだけではなかった。野球やサッカーで地域に開放されており工事期間中、練習ができなくなってしまう。そのことが、大きな障害となり、なかなか納得してもらえない。それでも、対話を重ね、なんとか納得してもらうことができた。これには、芝生にすると、いままでのように使うことができなくなってしまうという誤解もあったようだ。ようやく、予定通りに工事にこぎつけることができた。
「さまざま困難もありましたが、思いがけない協力者も現れました。地元のJりーぐチームFC東京のグランドキーパーが全面的協力してくれることになりました。」無償のボランティアで、市長と協定まで結び、全面的に協力してくれることになったのだ。担当者いわく、「まさに、奇跡的です。」と。一度全部枯らしてしまったことがあったが、それからは、芝の手入れが順調にいっている。
「芝は3年ぐらいで、安定するようです。これからは、あまり費用をかけず、できそうです。それと、芝生のボランティアの方に芝刈りや補植だけでなく、イベントもやってもらうことになりました。芝生の上で、親子で体験教室を行いました。」より、楽しみながら、芝生の手入れをしてもらう工夫なのだろう、前向き取り組みだと思う。
あまりに担当者が詳しいので感心したが、芝生のことは全く素人で、今の部署に来たところ、校庭の芝生化をすることになったのだという。これからも、ぜひ、子どもたちのためにがんばってほしいと思い、また、町田市でもぜひとも芝生化を進める決意を固め、小平市役所を後にしました。
残念ながら雨でしたが、こっそりと芝生化をした小平13小をのぞいてみました。

マスコミの異常な定額給付金叩きについて

2008年11月24日 | Weblog
マスコミによる異常とも言える「定額給付金」叩きが続いている。

今年に入り原油高、穀物高による特に生活物資を中心とした物価上昇が顕著になった際に、マスコミは速攻性のある経済対策を行うべきであるという論調で、特に減税を行うべきであると騒ぎ立てたはずである。

こうした点では、速攻性のある経済対策として、定額給付金は、むしろ歓迎されるべきものであり、マスコミの期待に沿うものであったはずだ。

ある新聞では声の欄で、当初の定額減税案ではもっとも困窮している非課税世帯への対応が困難でるとして、疑問を投げかけた文章を一番に取上げていた。それが、定額給付金という案で解決がされるはずであったが、いつの間にか、それに対しても最も批判的な論調を書き並べるに至っている。

最近は、こうしたマスコミの報道姿勢に、非難が出始めている。マスコミによるネガティブキャンペーンは、マスコミ自体が影響力の保持に汲々としている姿に他ならないと指摘する人も現れ始めた。

こうしたご都合主義の報道は、情報提供がきちんとされていないために、国民に誤った認識を植えつけているケースもある。

この「定額給付金」の財源となる財政投融資特別会計の積立金は国債償還に使うべきもので、結局は赤字国債発行につながるものだという指摘だ。この議論は、さも正しいことを言っているようだが、実際には、この特別会計の積立金が国債償還前に特殊法人や独立行政法人につぎ込まれていることを隠しており、誤った認識を国民に植え付けるものだ。

役人が自分たちの都合で使っているものを国民の手に委ねるという点では、むしろ、健全な遣い方と言える。この積立金は、本来、国民の税金により積み立てられたものであり、国民のために使うべきものである。整理、統合、廃止すべき特殊法人や独立行政法人の赤字の穴埋めに使うべきものではないはずだ。

いい加減な非難を繰り返す前に、きちんとした情報を提供することこそ、マスコミの本来の役割ではないのか。

続地デジ対策

2008年11月14日 | 活動日誌
ここに来て、総務省は全国の自治体をまわって、地デジの普及推進への協力を訴えっているようだ。2011年の移行への期間が狭まってきているが、家庭への普及が思ったより進んでいないからだ。
期間が狭まり予想より普及が進まないということは、それだけ、移行に必要な作業が短期間に行わなければならないということになる。テレビの買い替え、あるいはチューナーの購入取り付け、さらにはアンテナ調整や電波障害対策。こうした作業が短期間に集中するわけだから、もし、本当にアナログ波を停止するのであれば、これは、大量のテレビ難民を生みかねない状況が高まってきていることを意味する。
町田市の世帯数は、約17万世帯。各家庭への普及を考えると、あまり進んでいないと思う。知り合いなど他の家庭にお邪魔した際に対応がどうなっているかなどあまり気にしたことはないが、さほど進んでいるとは思えない。

昨日、三多摩では地デジ対策に、先行して取り組んでいる八王子市役所を訪問した。山坂が多く、もともと電波対策が必要であったという地域性もあって、積極的な取り組みをしている。電波は、確かに国の施策であるが、市民の利益を守るという観点から、市役所としても施策としてしっかりとした位置づけがなされ取り組んでいることが感じられた。
国は、従来より電波障害が少なくなると見積もって、机上で受信ができるできないとう色分けをしていうるようであるが、実際は違う状況もあるようだ。こうした点でも、地元自治体がしっかり関与して指摘をすることにより、認識を改めさせることができる。すでに八王子市は、これについても具体的な取り組みで前進が見られる。国、テレビ局、関係団体との連絡会を定期的に持って、そこで情報共有化により、国、地元自治体、関係機関との共通認識を形成している。

テレビ難民を生まない、あるいはテレビ難民が少ない地域とすることは、市民の利益を守るべき地元自治体の力量が問われる課題とも言える。

地デジ対策は?

2008年11月07日 | 活動日誌
2011年7月に現在のアナログ放送が終了する。その後は、地上デジタル放送を見なければならない。もし、この地デジへの移行に乗り遅れてしまうと8月からはテレビをつけても映らないということになる。
地上デジタル放送を見るためには、二つ大きな問題がある。一つは、端末の問題、これは、地デジ対応のテレビやチューナーの取り付けにより解決ができる。もう一つは、電波受信の問題がある。こちらが、消費者にとっては難しい問題のようだ。
今現在、アナログ放送を見ている人はほとんどこの二つ目の問題に関心を持っていないだろう。なぜなら、アナログ放送終了後は1つ目の問題をクリアーすれば、多くの人がデジタル放送は見られると思っている、もしくは、そこまで関心もないのが一般的だからだ。そして、それ以上にこの二つ目の電波の問題については、ほとんどの人が知識も持ち合わせていない状況にあり、今後の混乱が心配されるところだ。
この電波受信について、知識が無いことから起きるトラブルや誤った対応を聞いた。トラブルという点では先日こんなケースを聞いた。自分の住んでいる団地が地デジ対応のアンテナ工事を行った。そして、その後、ケーブルテレビの勧誘を受けた。加入をしないとデジタル放送が受信できないと思い、契約をしてしまった。誤った対応というケースでは、テレビを買い換えることになり、当然地デジ対応のテレビを購入した。この人は、地デジが見たいからではなくて、古くなったので買い換えたとあって、アナログ放送終了後ではないと地デジは見られないと思い込んでいた。地デジ対応のテレビであるにもかかわらず、アナログ放送を見ていたのだ。たまたま、訪問した電器屋さんが気づき、デジタル放送に切り替えることができた。
こんな状態であるが、地デジについて楽観視できることがある。それは、電波の受信確立がアナログの10倍以上だということだ。その大きな理由は、デジタル波の受信は反射波をより広範囲で拾うことができることにあるのだという。そのため、大きな建物の影でも映る可能性があるが、アンテナの方向については、広範囲を試す必要があるようだ。また、それ以外にも小さなアンテナをベランダにでも付ければ、映るというようなこともあるらしい。
いずれにしても、この地デジへの移行に伴う、正しい情報の普及が不可欠である。この正しい情報の伝達をするには、どうやらデジタルではなく、アナログな対応が必要な状況だ。

労働基準監督署を訪問

2008年11月04日 | 活動日誌
町田市に労働基準監督署があるのは、ご存知でしょうか。正確には、八王子労働基準監督署町田支署になります。三多摩地域に支署があるのは、町田市だけであり、監督署は三鷹、立川、青梅、八王子と4署しかなく、すべて複数の市町村を管轄しており、支署といえども単独の市を管轄しており、町田市にとっては貴重な場所です。

厚生労働省は、各都道府県ごとに労働局を置いているが、監督署はその出先機関である。同様に国が直轄するハローワーク(公共職業安定所)と同一の場所に立地されており、労働に関すること全般の相談を受けつけている。就労するまでがハローワークで、就労してからが労働基準監督署と理解するとわかりやすいとのことである。

最近の労働環境を理解しようと思い、労働基準監督署を訪問しました。昨年度と比べ、大幅に相談件数が伸びていおり、不況の深刻さが伝わってきます。昨年度、4千件弱であったが、今年度は9月までで2千2百件を超えている。年末年始は、相談件数が増えることから、今年は5千件を超えると予想しているそうだ。5千件といっても、軽微な案件を除いた数であり、総数では一万件を優に超えるとのことだ。

最近特に目立つ相談は、メンタルヘルスに関連したもののようだ。かつては、このような言葉さえ使われていなかったから、当然かもしれないが、年々増えているという。また、相談を受けに来た人の中には、自分に対して不法な対応がなされていることに気づいていないことがよくあるそうだ。別なことで相談を受け、指摘をされて初めてそうだと気づくことが、しばしばあるのだという。そして、いま中小企業が大変な苦境だとよく報道されているが、そこで働いている人がどれほど大変なのかももっと知ってほしいとの話を聞き、労働環境の厳しさを痛感しました。


町田市民文化祭

2008年11月03日 | 活動日誌
秋は、文化、スポーツ、芸術など、たくさんの言葉で表現される季節だ。
合理性が重要視される社会にあって、人間らしさを表現し、人間の価値が発揮される、秋はそんな可能性を秘めた季節であろうか。
今年は、ここ数年と比べても、明らかに景気は下降していることを実感する。商店街の店主さんたちに聞いても、みな異口同音に、景気の低迷を指摘している。
そんな不況の真っ只中に開催された31回目を数える町田市民文化祭。こちらは、世の雰囲気とは裏腹に大盛況だ。関係者の努力があってのことは、いうまでもないが、寧ろ時代が文化や芸術を求めているからではないだろうか。
アメリカで、1930年代に不況の克服を目的として実施したニューディール政策、その一つに芸術家を支援するものであったという。
今政治に求められているのは何であろうか。経済対策によって暮らしを支援する事も確かに重要である。そして、それ以上に文化芸術の力で感動する心を育み、人間を強くするという視点も重要なことではなかろうか。