マル鉄・鉄道写真館

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183系1000番代:特急「とき」(地元編)

2011-09-14 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
183系1000番代:特急「とき」(地元編)


「とき」は、言わずと知れた上野~新潟を結ぶ特急列車。一時期は東京駅にも乗り入れていました。
勾配線区である関係から151系に勾配抑速ブレーキを追加した161系を初導入。さらに出力不足からモーター出力をアップした181系へと移り変わります。
しかし、豪雪地帯を走る上越線では、あまりにも過酷な気象条件に181系が耐えられず、車両故障が多発、あたらしい耐寒・耐雪型の特急車両の開発が急務となります。
ここで誕生したのが183系1000番代。
直流型特急電車の決定版となった同車は、増備に増備を重ね、同時に同性能の横軽強調装備をした189系を派生、中央東線・信越本線を含む181系を駆逐することになりました。
そういう意味では、私の同世代からすると、新幹線と同じくらい恨まれた車両であると思います。

今回は、183系1000番代を最初に投入した特急「とき」の比較的に近場で撮った写真からご紹介いたします。



昭和51年 赤羽駅にて

まずは文字マーク時代の「とき」です。今まじまじと見ると非常ーにあっさりしたマークですね。でも、私等の年代からすると極当たり前の姿で、このマークを掲出していること自体が特急列車のステータスだと思っていました。
もらい物のリコーオートハーフで撮った赤羽駅を通過する183系1000番代の「とき」。とにかくブレちゃって困ったカメラですが、時にスピード感を表現してくれることもありました。
地平時代の4番線上野方を通過。文字マークと相まって、時代を感じさせます。



昭和52年頃 上野駅にて

満を持して登場した183系1000番代でしたが、181系の方がスタイル的にもバリエーション的にもファンが根強く、写真的にもスルーしていたファンが多かったのではないでしょうか?



昭和55年 上野駅にて

いきなり時代が飛んで、イラストマークの「とき」。既に181系にもイラスト化が飛火していました。多分、AE-1を使い始めた頃で、オート露出&リバーサルでキレイに撮れていましたね。



昭和55年頃 赤羽駅にて

昭和55年初頭くらいの写真ではないかと思います。雪が降ったんでわざわざ撮影に出たんでしょうが、暗さもあってブレています。
元々183系1000番代「とき」なんて、あまり被写体の対象にはならなかったのですが、この「とき」はイラストが薄い黄緑色のヤツだったので、慌てて撮ったのでしょうね。本当はもっと緑が濃いのですが、何故か1編成だけ黄緑色のがあったのです。


昭和57年 東北本線 蕨~南浦和間にて


昭和57年 東北本線 蕨~南浦和間にて


昭和57年 東北本線 蕨~南浦和間にて

いずれも末期に突入した頃に撮影したもの。自分でフィルム現像したものなので、粒状が良くありません。多分コダックのトライ-Xだったと思います。
それまで殆ど見向きもしなかった183系1000番代「とき」でしたが、上越新幹線に道を譲って廃止ということになりゃ、「撮らないわけにも行かない」って感じで撮り始めました。



昭和57年 蕨駅にて

これも上の写真と同時期。この時代は殆ど駅撮りなんてすることはなかったのですが、とにかく記録しなきゃ行けないという焦りと、就職してしまったために連休が取れずに地方にまで撮影に行く機会がないということで、近場ばかりで撮っていたようです。



昭和57年6月頃 大宮駅にて

給料も入るようになり、とうとうマミヤM6451000Sを買ってしまいました。まだ買ったばかりで標準レンズしか持っていませんでしたね。描写力は35mmの比でなく、その凄さに感動さえ覚えました。標準レンズのみでウエストレベルファインダーということもあり、機動性はありませんでしたが、上越新幹線の開業にギリギリ間に合い、少しですが在来特急の記録に寄与できました。チラッと見える東武野田線の3000系も、今となっては懐かしいですね。当時は全然見向きもしませんでしたが・・・。



昭和57年11月13日 東北本線 赤羽~尾久間にて

最終日の前日です。この頃は「何でも良いから撮っておけ!」という感じでした。

183系1000番代「とき」の写真はまだありますので、遠征編として次回に続きます。

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