マル鉄・鉄道写真館

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183系1000番代:特急「とき」(遠征編)

2011-09-15 00:30:00 | 国鉄・JR特急列車
183系1000番代:特急「とき」(遠征編)


「とき」は、言わずと知れた上野~新潟を結ぶ特急列車。一時期は東京駅にも乗り入れていました。
勾配線区である関係から151系に勾配抑速ブレーキを追加した161系を初導入。さらに出力不足からモーター出力をアップした181系へと移り変わります。
しかし、豪雪地帯を走る上越線では、あまりにも過酷な気象条件に181系が耐えられず、車両故障が多発、あたらしい耐寒・耐雪型の特急車両の開発が急務となります。
ここで誕生したのが183系1000番代。
直流型特急電車の決定版となった同車は、増備に増備を重ね、同時に同性能の横軽強調装備をした189系を派生、中央東線・信越本線を含む181系を駆逐することになりました。
そういう意味では、私の同世代からすると、新幹線と同じくらい恨まれた車両であると思います。

今回は、183系1000番代を最初に投入した特急「とき」のうち、やや地方に遠征して撮った写真をご紹介いたします。車両が小さく写っているものもありますので、クリックすると画像が大きくなるように設定しておきました。



昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて


昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて


昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて

この頃は景色を重点に撮る写真が多かったです。
なんで、列車の主張が小さいものもあり。
柱ド~ンさえなければ結構お気に入りのアングルなのですが(笑)。



昭和57年1月5日 上越線 八木原~群馬総社間にて

写真はリバーサルからのダイレクトプリントをさらにスキャンしたもので、退色した写真と言うわけではありません。
ヘッドマークがイラスト化された際、多分ですが、1編成だけハッキリ黄緑と言えるヘッドマークを搭載した編成があったのです。写真はバリ順で色が定着してしまっているので、緑が薄ボケたように感じますが、夜間にヘッドマークの行灯が点ると、明らかな黄緑色となります。



昭和57年9月6日 上越線 土合~越後中里間にて

遠征でスキー場に無断で登って撮った写真。(すみません。)
これだけの大俯瞰だと、12両編成の「とき」も短く見えます。
時間帯が悪く、181系の写真は撮れませんでした。



昭和57年11月6日 上越線 上牧~水上間にて

利根川の上流「諏訪峡」を行く183系1000番代「とき」。紅葉にはちっと遅かったようで・・・。



昭和57年11月6日 上越線 湯檜曽~水上間にて

天気も良くないようで、スッキリしない写真ですね。ここの鉄橋は水上駅から徒歩で10分くらいで行けるので、もっと撮っておけば良かったなと思いました。



昭和57年11月14日 上野駅にて

ところ変わり、上野駅にて
こちらは183系1000番代も含め特急「とき」として最終になった日。
他にも多数の列車が愛称を消すことになり、多くの鉄道ファンで大混乱となりました。
右側に写っているのは、同じ日に消滅した寝台特急「北星」です。
翌日からは、上越新幹線「とき」に生まれ変わります。


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