ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

女たちの満州、チラシできた!

2016-04-27 13:26:06 | 演劇

 相変わらず遅い!せめて2か月前にはポスター貼って、チラシ配ってチケット売りたいんだけど、どうしても公演1か月前までずれ込んでしまう。元凶は何といっても、台本仕上がりの遅さにある。重々わかってはいるのだが、・・・・3か月とか4か月前から宣伝始めていれば、お客さんの入りも少しはましなんだが、・・・・なんだか、・・・・・ばかりだなぁ。こういうの、反省なら猿でもできるって言うんだろう。

 今回のポスター原画もあすむ君に書いてもらった。タッチは昨年の『お遍路颪』と同系統、突き出た足はどこかへ疾走しようとしているし、隠れた目は、恨みの視線を据えている。中央の縄文土偶のような造形は青く燃える怒りのようにも感じられる。混乱と瞋恚、印象をまとめるなら、こんな言葉か。芝居にふさわしい原画だ。

 原画を中央上部に置き、タイトルを下半分をたっぷり使って提示している。全体に真っ白な余白部分が大きく、プロの目から見れば問題があるのかもしれないが、僕はこの割り方をとても気に入っている。これからも、できるなら彼の作品で行きたいものだ。

 さて、『女たちの満州』、こんな作品を作ってると言うと、実は私の親戚も満州帰りだとか、知り合いが満蒙開拓に行ったとか、ずいぶん多くの人から声を掛けられる。山形県は長野県と並んで、多数の開拓団員を送り出した地だってことを改めて確認させられる。折り入って話を聞いたってわけではないが、そんな人の言葉にまつわりついているのは、懐かしさとふれ難さの錯綜した心持のような感じがする。

 明らかに被害者でありながらも、侵略の片棒も担がされた複雑な立場、それが、素朴に懐旧の念に浸ることをためらわせるのだろう。戦後社会いや、それ以降今に至るまで、戦争やそれにまつわる思い出は、この入り組みねじくれた思いを、国民の眼前に正しく引き据えて来たとは言い難い。戦争は悲惨だ、その正しさを日本の側からだけ見るのでなく、隣り合う人々の暮らしまで包み込んで考える、そんな複眼的な視野が必要なのだと思う。

 戦時、ほとんどの日本人は、近隣の人々、中国人、朝鮮人、蒙古人等すべて蔑みの目で見ていた。日本民族の優位性は疑うべくもなかった。たしかに愚かな指導者たちの先導があり、付和雷同のマスコミがあり、暴力で国の鼻面を引きずりまわした軍人たちの悪逆があった。でも、それらにお墨付きを渡したのは、この国民上げての自惚れ、勘違いだったように思う。他人のせいになどできない。かと言って一億総懺悔で曖昧に頭を下げれば済むことでもない。どうしてそんな思い違いがはびこってしまったのか、何度でも問い直して行く必要がある気がする。遅ればせの反省の一つが、この舞台『女たちの満州』だ。

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