ステージおきたま

無農薬百姓33年
舞台作り続けて22年
がむしゃら走り6年
コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

『恨の行方』終演

2009-07-13 21:51:58 | 地域文化

 菜の花座公演『恨の行方』が終わった。まずは無事、でもないか?2回公演が終了したことを喜ぼう。置農演劇部だと1日2回公演なんて当たり前のことなので、今回の2回も僕としては、どうってこともないって思ってたんだが、役者たち、中でもお歳の人たちには結構きつかったみたいだ。やはり、体力が続かないってことなんだって。案の定、昼公演に比べ、夜公演はかなり見劣りのするものになってしまった。ケーブルテレビの中継が入っていたってことも大きかったかな。

 さて、公演の反省だ。大きな不安が二つあった。一つは内容面のこと。アジアの花嫁を扱うってそうとう微妙な部分がある。いくら取材を重ねたと言ったって、現実にこの地に入って暮らしてる女性たちの本音や主張をしっかりつかめているのかどうか?って問題。彼女たちがこの芝居をどう見るかとても不安だった。

 で、その答えなんだけど、どうやらお許しをいただけたようだ。酒田と鮭川からわさわざ見に来てくれた中国人花嫁のお二人がとても感動してくれていたからだ。昼の部の終演後、何度も何度も会いにみえて、「私たちの言いたいことを言ってくれた」「ぜひ、いろんなところで上演してほしい」って強い励ましの声を残してくれた。県知事にも台本を送って県の支援も受けたらどうかなんてことまで言ってくれた。自分たちの声を発する場所がない、自分たちの声を聞いてくれる人がいない、との思いは相当に強いものなんだと痛感した。そんな彼女たちの声を伝える、きっかけに成りうる作品と評価してもらったってことだ。とっても光栄だ。

 つぎの不安は、一人語りの連続、という奇抜な方法の面だ。ともかく、人と人との絡みがほとんどない。登場人物の動きもまったくない。装置は中央の高い柱と三カ所の長椅子だけ。しかも、舞台全体が明るく照らし出されることはまったくない。さらに、音もエピローグとプロローグに流れる波の音とサムルノリの音楽しかない。演劇の持ち味に敢えて知らんぷりした作りなんだもの、さあ、これがどう観客に評価されるか。

 これもどうやら無事パスしたみたいだ。みんな眠くなっちまうんじゃないかとか、途中でうんざりして出て行く客が出るんじゃないかとか、様々不吉な予想に責めさいなまれていたけれど、そんな不安はまったくの杞憂だった。観客におっそろしく集中を強いる構成、しかも2時間半という長時間、にもかかわらず、お客さんは好意的に舞台に、役者につきあってくれた。そして、多くの観客が、現実の重い問いかけを真っ向から引き受けてくれていたように思う。逆に、一人芝居という形が、ストレートに問題の核心に引きづり込む力になったのかもしれないとさえ感じている。

 不安に揺れながらようやくたどり着いたこの公演『恨の行方』、今はやり遂げて本当によかったと心から思っている。となると、人間欲が出るもので、できれば、もう一度、いえいえ、さらに何度でも、いろんなところで上演したいものだなんて妄想してしまう。どこかで呼んでくれないもんかねぇ。置農子どもミュージカルみたいにあっちでもこっちでも演じられると素晴らしいよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする