たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

時間をかけないで結果を出すことの重要性

2012-06-06 00:20:13 | Weblog
 目的をしっかりもって行動した方がコスパーは良い。目的が曖昧だったり、しっかり定まったりしていないと、無駄なことをしてしまう確率は高い。こうすれば大抵は大丈夫、ってことのほとんどはアテにはならないのだ。

 その目的があるからこそ、失敗は成功のもと、ってことが起きてくる。目的に帰ると、この方法では出来ないのだ、って理解できるから、それは前進になる。だけど、目的もなしにただやみくもに行動しているだけじゃ、失敗は失敗のままだ。
 そんな簡単なことだけど、日常生活には溢れている。

 『そんなことしてるから、時間がかかり過ぎる、って思われるんですよ。何人の学生を、そうやって、長年留めておくつもりですか?』
 「それは仕方がないことですよ。教育には時間がかかるものですから。」
 『学生はそれでは、困るじゃないですか。』
 「いえいえ、そうではないですね。困るのは大学側ですよ。きちんとしたレベルまで達していない学生を輩出してしまって、評価がダメだっと世間から言われるようになってしまうことです。」
 『この前の発表会では、かなり先生が手助けをしてるように感じましたが?』
 「そのケースは、もう後が無かったですからね。それも仕方ないことです。」
 『(完全にレッドカード。)なるほど。よくわかりました。通常僕は、こういう宣言を相手には伝えないですが、あなたは特別です。今後、僕は、あなたに対して、他の学生同様、完全に無難な対応をとります。まだ仕事が残っていますからね、それも仕方のないことです。最後の最後まで期待していた僕がバカでした。では。』
 「いや、あの、そういうことではないと、、皆さん、演技しているわけではないと思いますよ。」
 『おっしゃるとおりです!その通りだと思いますよ。その点は撤回します。お話は以上ですね、では、またよろしくお願いします。』

 教育には時間がかかる。確かにそれはその通りだ。
 だが、目的を見失ってはいけない。教育の目的は、教員がいないと生徒は何もできない、ってことを分からせることではない。何年も拘束してしまっては、自分に依存してしまうだけなのに、それではダメだろう。そのくせ、最終ラインに来たら、ヤバいっとふんで、妥協する。

 高校の特別活動の指導目標は、簡単に言えば「先生が観ていれば、生徒は自分たちで、なんでもできる。」だ。だから、大学生以上には、これ以上の教育目標、つまり「自ら(自分たち)の目標と自らの問題点を、自分たちで気が付き、誰も観ていなくても、なんでもできる。」などと掲げて、その方針に立った、教育を施行しなければならない。
 そんなこともわからないなんて、教育者じゃないのは明白だけど、研究者でも無いんじゃない?目的がわからない、その目的に何が必要かが判断できない、それじゃあ、意義のある生活すらまともにできない。本当の実力も無いくせに、権威だけを得てしまった人の特徴は、薄っぺらいキレイゴトが大好き、だな。

 ヒトがとる全ての行動手段は、時間との戦いだ。その戦いを愚弄して、得られるモノは何も無い。
 そして、時間が経てば経つほど、周囲の環境によって失われてしまう情熱を、いかに無くさせずに、気持ちを第一にする研究遂行ができるか。それが、どんなことをやるにしても必要なことだと思う。

 そして、非常にくだらない、こういった錯誤を目の当たりにしたときに、いかに当たり前の中に落とし込んでいけば良いか、が現在の研究テーマの一つである。
 それをする研究意義や目的は、、意地かな。

 必ず、感情や気持ちのなかに、研究意義を落とし込める、少なくとも落とし込もうとするところが、俺個人の強み。
 そのためには、新しい人達の協力が必要で、すでに勝機はある。あの完璧主義者を乗り越える、理論的な答えは算出できている。その成果によって、、上手くすれば、時間を超えて、助けることができる。賞味期限切れだから、そこに意味は無いけど。

 結果が出る前に、大言を吐けるのが、物理学の理論体系の強み!結果を出してから、答えはでている、って宣言しても、それは、生物か化学を専攻している普通の人間の普通の習慣でしかない。

 「あれ?こないだ授業で言わなかったっけ。言ってないか。。
 物理学というのは、現象を理解する学問じゃない。物理学というのは、あくまで、考え方を研究する学問で、もっと言えば、哲学だと、僕は思う。だから、自然現象についてだけで終わるんだとしたら、非常につまらない。物理学の数多くの分野を研究してきたけど、自然現象なんて、どうでもいい。あくまで、正しいことを正しいと言えるようになるために、さらに、未来を予測するために、我々は研究をしているんだよ、高橋君。」

 聡明さというのは、いわば、物理学を二重に使うことであると思う。ひとつは、内在している背景の理論や現象を理解するために、もうひとつは、それを理解し習得し自分の考え方や予測を誰かに伝えるために。

 聡明になるために、気持ち的に意義のある生活をするために、誰かに忠誠せずに、時間をかけないで、結果を出すことは、非常に大切なことなのだと思う。
コメント
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