たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

洗脳されないで

2011-07-30 01:32:29 | Weblog
 どんなに素晴らしいものでも、使い方によって、良くも悪くもなるものだと思う。

 何かスゴイ言葉を持っていたとしても、崇高な考え方や手法を身につけていたとしても、それを即物的にしか使わないんだったら、本当に求めていることは実現しない。

 『例えば、これくらいのレベルの子達で、エネルギーだけはあります、みたいな子達を、賢くする方が手っ取り早い気が、僕はするんですよ。賢いだけの子に気持ちを付加させようとするよりも。』
 ≪そうかぁ。なんか、その中盤っていうか、イイところをとっていったら、楽しいと思うんだよね。教育ってさ、ちょっと洗脳と切り離せないところがあるじゃん?≫

 もし、自由度を与えなければそうなってしまうし、選択肢を与えずに、自分の秀逸な考え方が絶対に正しいんだ、ってバカげたことを思ってしまえば、洗脳とカワラナイだろう。そして、自分がやっていることが、自分がやってきていることが、もしかしたら洗脳とカワラナイかもしれないという恐怖心を持っていさえすえば、きっと、洗脳のほうに針は振り切らないと思う。

 まぁ、重症なヤツもいて、、自分は洗脳をやってるんだ、って開き直ってる大学の教員も実際に知っている。国家公務員に準じている国立大学の教授が、一部の奉仕者であって良いはずがなく、全体の奉仕者でなければならないのに(日本国憲法第15条より)、こういうことを公言しても何も問題にならないのがスゴいシステムよね。

 洗脳は、人の心を単一化させて、ボロボロにする。それがボロボロだ、ってわからないくらいに、ボロボロにする。
 そうならないためには、生きた目を常にしていることが大切だし、ちゃんと情熱を持ち続けるしかない。そして、伝える側にまわっているときは、最後は滅私すること。自分がやってることを10段くらい落として扱ってみる。すると、相手にとって、受け入れてもらえる部分が増えるし、受け入れやすくなっていく。

 こうなれば、洗脳ではなく、ちゃんとお互いに高め合っていける関係になっていくんだと思う。
 だから、自分の考え方に自信を持ちながらも、10段くらい落とした考え方に変えて話していくのが、二体系や多体系を作るときのポイントなのかも。自分がリーダーでもね。

 「高橋君さぁ、私に、手法みたいなのを、いちいちバラさなくてイイから。」
 『なんでですかぁ?』
 「例えば、浮気をされたとしても、隠し切ってくれたほうがイイ。なんでもかんでも話せばイイってもんじゃないと思ってるの。」

 見えない本性を見せていくことが大事だと思っているけど、その意見も一理ある。

 下げれば下げるほど受け入れやすくはなるけど、真実から離れていく。史実や真実は共有したい。かといって、染める気は、洗脳する気は、さらさら無いんだけど?

 難しいとこだな。
コメント
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