たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

自らをSelf-Consistentに解いて

2010-06-11 03:01:07 | Weblog
 『最後まで、諦めないで頑張ろう。』
 非常に大切な言葉。どんなことでも、諦めなければ、止めなければ、ほとんどの系で、達成されることが多いから。

 でも、「諦めないで頑張ろう!」っと思考したということは、その前に、確実に、諦めようとする感情が放出されたということだ。諦めちゃいそう、っというふうに思っちゃっているってことだ。
 ここで、明確に定義しておこう。「思考」とは自らの心に何らかの意識を持って放出するモノや言葉であり、「感情」とは状況に遭遇あるいはそれを認知してすぐに自らの意識とは関係なく勝手に放出されるモノである。

 これに加えて、実質的に行う、「行動」。
 「思考」「行動」「感情」は、人間を一体問題で捉えたときに必要な重要なパラメータである。
 これら3つに対する条件に自らを放り込み、自分自身をSelf-Consistentに解き続けることによって、答えが時間依存性つきで出てくる。(平均場近似とかで言うところの「Self-Consistent」ね。)

 具体的に先ほどの例で言うなら、「諦めないで頑張ろう」という言葉によって思考をし、それに依存した行動をとる。出来る限りボールを追いかけようとか、出来る限り思いっきりやってみようとか。そして、その自らの行動を認知し、新しい感情が生まれる。「ちょっとはマシになったかな、よしよし」とか「まだ駄目だ、イヤだなー」とか。そして、それによって、さらに思考をし、「諦めないで頑張ろう」と考えたり、「流石に無理そうだから、かっこイイ負け方を探そう」とかの言葉を放出し、それに依る行動をとる。すると、また、その状況に応じた感情が放出され、思考して言葉を放出し、行動する、っと繰り返し、時間依存つきの解答が秒のオーダーで次々に出てくる。

 自分自身に依って、「思考」「行動」「感情」の3つのパラメータは変わる。それらを考慮し、自分自身をSelf-Consistentに回すことになる。
 よーわ、…→「思考」→「行動」→「感情」→「思考」→「行動」→「感情」→…っと、この順番(だけでも無いけど、多くの系ではこの順番であると思う)で、自分自身を放り込むことによって、人間は時間依存的に答えを提出し続けているのだ。

 時間を区切って考えると、あるtermにおいて、今のループと一回前のループの自分自身の値がほとんど同様だった時、それは、Self-Consistentに解けたことになり、はき出された解は、ホンモノである。あくまで一体系におけるホンモノだが、これだけでも難しい。
 これを年のオーダーで、同様な解がはき出され続けたことは、少なくとも、俺は、無い。

 こういうふうなモデルで考えてみると、賢くなればなるほど自分自身がコントロールできるようになる、ってのが嘘だって、簡単にわかる。
 絶対的な凄まじい賢さがあったとしても、それに伴う行動力や感情の豊かさや器の大きさが無ければ、その部分で、プログラムは止まってしまう。だからって、無理矢理、プログラムを回そうとすると、賢さのレベルが極端に低下するし、感情や行動に支障を来たすことになる。

 ってことは、賢すぎて、「行動」や「感情」の条件のとこで行き詰ってしまってしまうとき、賢さのレベルを落とすか、他のパラメータを引き上げなきゃいけない。
 ただ、この中で一番重大なパラメータは、当然「感情」であり、これがあり余ってしまうと、この「感情」に依りすぎる答えがはき出されることが巨視的になる。つまり、「感情」が他のパラメータに関して支配的であると、非常に良い結果も生むが、悪い結果を生むリスクも大きいっということだ。

 この条件設定の中で、ここ数年、思考や行動のレベルを、いくらなんでも、上げ過ぎていた気がするから、もう少しだけ、感情のレベルを上げてみようと思った。それが1カ月くらい前かな?
 でも、世間で、あまりにも、感情パラメータを支配的に扱っていて失敗している系を見ると、ちょっとだけ、怖い気もする。

 まぁ、空間依存的には、そういう集団はいなく、逆に、、ってのも、多い気もしますけど。。
 言葉だけ掴んでも、満足できなきゃ、意味無いのにね。

 俺は、どんなこと(一体系でも二体系でも多体系でも)に対してもホンモノを求める、という点において、良い意味でも悪い意味でも、器用じゃない、融通が効かない、フレキシビリティがない、っと言える気がします。
 そして、それを戯言だと思うことのほうが、よっぽど惨めな気がしてならないのです。
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実力が追いつかなくても

2010-06-10 00:50:44 | Weblog
 主体的に動くってのは、難しい。まだまだカードが手元に少ない中で、自分自身を自分主導で動かす、ってのは、きちんと考えていないとできないことだ。
 ただ、もう23で、十分に大人だし、もっと大きく出ちゃえば、一人の研究者としてみなされても良いわけだから、なんにも結果を出すことはできなくても、せめて主体的に動けなきゃだよね。

 主体的に動く第一歩は、与えられたことを、合格点で、なるべく素早く、こなすというところにある。
 これをちゃーんとやるなかで、さらに、自らに必要なカードを判別し、カード獲得のために、誰かに助けを求める。自らに必要なカードすらわからないときは、それをきちんと聞く。
 これだけだって、満足にできないときもある。まぁ、理想的なモデルと現実にはいつだってギャップがあるから、かな。

 思い返してみれば、つい2年前まで、自分がピペットマンを触ることもできないかも、っという状況だった。
 俺だって当然、言葉に縛られるから、物理から生命系に行けないと思ってたし、そのまま素粒子や原子核とかを研究したほうが、順当っていうか、ラクっていうと、素粒子の分野の人が怒るだろうけど、まぁ、生物に行くよりはラクなんじゃん?!って思ってた。そもそも、あの頃、分子生物学のことなんて、ほとんど知らなかったしね。
 自分の実力が伴っていないから、余計だ。そのまま、みんなと同じまんま、物理の枠組みの中でいろよ、って言ってくる自分に揺らいだ時だって、何度もあった。

 それが、今は、この場所にいるわけだから、できることを、ひとつひとつ、こなしていけば、また、何年後かには、この思い描く理想は、叶っているはずだと思いたい。どんなことでも、なんだってね。

 思い描くことができるくらいの夢は、頑張れば、叶うんだと思う。
 だって、高3の時くらいの理想なんかは遥かに超えて、いつだって、今が一番楽しいから。
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掌の砂

2010-06-08 23:02:26 | Weblog
 誰だって、自分と違うモノは怖い。
 だから、自分が今いる、この世界から脱出しようとは思わないし、なんだって、把握したがる。自分や周りの人を、自分が既知の部分に押し込めようとする。自分の手中にあればあるほど、安心できるからだ。

 だけど、ずーっと連続変化していけば、それで、少年時代からずっと忘れていない 願いの砂に花を咲かせられるわけじゃない。やっぱり、どっかで、不連続に変化しないといけない。
 この連続性の揺り籠の心地よさに負けて、掌をふわっと開けて、生活に身を任せて、途中で立ち止まったら、夢はそこで終わる。

 俺は、この世の中の、ほとんど全ての分野は、誰もがやっていける分野だと思う、時間依存性無しでね。だから、想いの強さこそが大事で、雨が降ったり、風に吹かれたりってのが、最初の段階に訪れるような気がするのは、気のせいなのだ。普段からあるはず。
 どんな長い道のりも、最初の想い、ここから始まるし、着実な明日をきちんと切り抜ければ、いつかは辿りつくはず。通過ポイントに、いちいち光も用意されているみたいだしね。

 確かに、大人になる度に、こぼれそうになるけど、実際に、こぼしていってしまう人を、すでに何人も見てきてしまったけど、強く握りしめれば何も諦めずにいられるし、それによってMutationしていけるし、何故に生きているのか?と砂に聞いてみれば、いつだって『一度きりしかない人生、僕であるために』っと返ってくる。

 (EXILE FANTASYの中で、今、一番好きな曲。一回目で惚れました。
 伝えたいことは非常にシンプルで、比喩表現を上手く使っている歌詞だと思う。ちょっと昔っぽいイントロや間奏が、逆に新鮮味のある感じに仕上がっていると思う。
 発売日から、こんなに早い歌記事は、初めてのはずです(笑)。)
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最終目標

2010-06-07 02:41:44 | Weblog
 ここ最近、このページでは、直観の大切さを語っていた気がする。最終的に、最初に思った事って、結構大事だよねー、って感じの記事が多かった。
 何か真実を掴みたいときや、ホンモノの関係を確認したいとき、直観は非常に重要な概念だ。思考力なんて無力だと言わんばかりに、一番最初の印象は、正しいことが多い。

 確かにそれはそうなんだけど、普通の状態で、絶対的な数が多いのは、思考して、それで感情を入れた時だ。

 ただ単に、話を聞き、それを受け入れているだけでは、決して、相手のこと、その人達の人間関係のことは、わからない。話さないことだってあるだろうし、自分を大きく見せるためのカワイイ嘘だってあるだろうし、「どんなに仲良くなっても、言っちゃいけないことって、あると思うし…」。
 だから、想像力。これを持つことが非常に大切で、これには訓練が必要だから、極端なコト言ってしまえば、賢くなければ、優しくはなれない。

 見たことも無いモノを想像する力、体験したことも無いモノを想像し解析する力をつけるのに、手っとり早いのは、自然科学である。
 俺らは、無限次元の複素Hilbert空間なんて見たこともないけど、想像し、それを扱い、積分する。求電子的な物質と求核的な物質における、電子の動きなんて見たこともないし、体験もしてないけど、それを想像し、モル計算をする。実際にDNAが増えているとこも見たことがないけど、でも、PCRに必要な種をチューブに入れるとき、必要な材料を間違えないようにきちんと想像する。

 これを突き詰めると冷酷な人間が生まれそうだけど、そうではない。確かに、何人もの人間が、この、ある意味では無力な知識に、溺れてしまっているかもしれない。
 だけど、ここで得た知識やモデルを、磨き上げた想像力を、もっと大切なところに使っている人間は、確実に存在する。確実に、優しいほうへ倒れこんでいくようにして、頑張っている人間は、存在する。

 想像するということは大事だ。
 イヤだな、って直観で思ったとしても、相手の立場に立って、あ、でも、こういう部分があって、こういう立場なんだから、やっぱり可哀相だな、今ちょっとだけ思いついた、あんな意地悪なことしちゃいけないよな、って思えたら、上手く廻っていくじゃん?
 これで、たぶん、凄まじい解析力をもってしても、この関係を見抜かれることは、きっと、無い。表面ではぶつかりあわないところが腹黒いって思われるのかもしれないけど、これが日本的なイイ部分なのだ。がっつり、そのままを話せば、それはそれで良い部分もあるけど、そうじゃなくって、変な争いは起こさないようにしましょう、っていう部分は、純真である。
 もちろん、戦うべきときに、戦うのは必要だけどね。特に、誰かを守る時は。

 でも…、、やっぱり脆いな。そんなの。今日は、そっちの重要性のみを書こうと思ったけど、やっぱ気が変わった。
 マクロに見れば、統計的には、上記した、賢さ由来の優しさが無いと、社会が動かないから、大切。こういう人間こそ、優しいと定義されるべきだし、損するだろうけど、損させちゃいけない。
 でも、やっぱり、ミクロに見れば、直観っていうか、本当の感情っていうか、ホンモノっていうか、は大事だと思う。

 賢さって言うのは、上手く、いや巧く生きるために必要なだけですね、たぶん。あと、不特定多数に優しさを供給するのが生きがい、みたいな、遥かかなたの聖域に達した者だけが、必要なモノかな(こういう人だけが、この社会の希望であることは、カワラナイけどね)。

 ふつうは、賢さなんて無くっても、良い関係は築ける。
 その人間関係に対する想いがあれば、その感情があれば、ホンモノであれば、直観が作用するし、賢くなくっても、実質的には対等じゃなくっても、声質が合わなくても、実力が伴わなくっても、所属や名前が無くっても、そんなの関係なく、その人達が作るモノづくりは、素晴らしいって言える気がする。
 そうして、やっと、たった一人で、その素晴らしさを持っている、この社会の希望に、並べるのだ。(そのスター同士のチームワークは、これ以上に、さらに、すごいけど、稀ちゅうの稀であることは、言うまでも無い。)

 たとえ、実質的な厳密さを要求される自然科学の一分野の集大成であったとしても、一緒にやってくれる誰かへの、仲間への、感情そのものが何よりも大事。
 だって、そうなっちゃったら、実質的な真実なんて、どうだってイイじゃん?!

 もし、そういう風に思えないなら、たかが知識に、過剰な想いをぶつけてしまっているのかもしれない。

 ただ、俺がやりたいことは、不特定多数への貢献も、ミクロなホンモノも、どっちもとることなんだけどね(笑)。無理だって解析結果がでればでるほど、頑張ってみたくなる。
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ととのいました~。

2010-06-06 02:27:01 | Weblog
 なぞかけ。

 なんとかとかけて、なんとかと解く、そのこころは?、なんとかです。
 某芸人によって、再復帰している、このネタ。数式によって、書き下すと、例えば、、

 東京駅とかけて、分厚いのに総額が高くは無い財布の中身と解く、そのこころは、どちらもセンが多い。
 だとしたら、「東京駅=総額が高くは無い財布の中身(∵センが多い)」。

 みたいな感じになる。イコールで結んで、ただし、ほにゃらら、みたいな感じか。なんかこうやっちゃうと、あっけないな。っていうか、例が悪いのか(今、っぱっと考えたんだけど。)。笑
 っま、実は、オヤジギャグだと言うことを忘れてはいけない。間違ってもウケをとるために、飲み会などで使ってはいけない。場が凍るか、空気の読める優しい女の子に《へぇ、すごいですねー。》とか言われるだけだ。よほどの腕が無い限りは、すべること間違いなし。
 彼は、ものすごい努力によって、どんなお題が降りかかって来ても、あっという間に、整うからこそ、価値があるのだ。時間がかからないという点で、素晴らしいのである。

 時間。それは、誰もが平等に与えられているモノであり、短ければ短いほど、実質的には善である、っとされているものだ。

 誰でも、他の人よりも時間がかかりすぎて、イヤになってしまう時がある。そりゃ、平等って言っても、ガチで、生まれた瞬間からの平等だから、例えば、同じ日時に生まれた、高校2年生を全国から集めて、物理を最初っからやらせたとしたって、みんなが同じだけの時間で、できるようになるわけじゃない。実際に、、

 『ええ?もう、4ばん解いてるの?』
 「ああ、バンチョーは?」
 『えー、まだ、1ばんのカッコ2』
 「マジか(笑)。ここは、単位換算と基本公式の確認だけだから、簡単じゃん!」
 『うん。。(ってか、なんで、一緒に、初めての知識を、最初っから、習ってるのに、お前のがはえーんだよ。なんで、俺は、こいつより、時間がかかっちゃうんだ?!)』

 当たり前だ、過去の俺よ。アイツは、その時すでに、お前以上の努力を重ねていたはずだから。

 ただ、時間がかかって、それでイヤになってしまうということは、そんなに得意じゃないことで、ガチになりたいことに、必死になって、立ち向かっていることを示している。
 それだけステップアップできる可能性を、今秘めていると感じれば、頑張り続けることができるはずだ。自分は、何でもできるはずだ、っとか思わないで、着実に歩いていけば、スゴイところに行ける。
 何よりも、やめない、ことが大切だからね。

 どんなことでも、確かに、早いことは重要だけど、結果的に、過程を楽しんでなければ、しょうがないよね。その時間、同じお金を払って、同じ時間を過ごしているんだったら、どんなくだらないことでも、俺は、ちょっとだけでも楽しみたいかな。なーんて、甘い事言ってるから、俺なんか、バカなままなわけで。

 でも、バカでも、楽しめているんだったら、そっちのが良い気もする。アイツは、楽しんで、しかも実質的にも早く素晴らしかったから、すげーんだけどね。
 さて、んなわけで、もう一個、なぞかけを、紹介しておきましょう。

 博士号とかけて、足の裏についた米粒と解く、そのこころは、取らないとけったくそ悪いが、取っても食えない。

 だったら、とるカテイ(課程、過程)くらいは、楽しんでみたら??
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脆い信頼関係を求めてはいないから

2010-06-04 01:44:24 | Weblog
 数学とかで、問題が与えられた時に、考えに考えて、一生懸命考えて、それで何もせず、計算を、してもみない子がいたりする。そういう場合は、『考え過ぎるからいけないんだよ。わかんなくても、とりあえず、手を動かしてみなって。』っと先生らしく、アドバイスをする。
 そして、自分の言葉が自分に跳ね返ってくる。『(って、まさに今の俺だな。考え過ぎず、とりあえず、あれ、実行しちゃって、それで、意味とかを考えてみるか。)』

 だけど、反対に、何も考えず、とりあえず計算して、それで間違える子もいる。ちょっとぉ、そこがそうなったら、定性的に(←なんとなく)、オカシイじゃーん、って、わかるようなものでも、平気で、これが答えだと、言ってくる。そういう時は、『ちったー、頭使って考えろよ。ただ一本道で、やってったら、ダメでしょ。』ってね。
 そして、また、自分にリフレクションする。『(だよね、ただ単に、教科書通りの方法を使ってちゃダメだよな。。)』

 とりあえず実行、と、多角的に頭使って考える、…。
 よーわ、ケースバイケースってこと?!
 違います、ケースバイケースで終わったら、すべてのお話が終わっちゃうのでね。時間発展に対して、系がどのように変化し、どっちがベストなのかを解釈しましょう。

 大事な時間変数を導入します。それは、習慣度です。

 習慣度が低かったら、つまり、それをすることが慣れてないなら、考えまくってしまって、行動できなくなりがちだ。だから、とりあえず「当たってみるからこそ!」「行動するからこそ!」が大事になってくる。
 逆に、習慣度が高い、つまり、習慣化してしまっているような内容に関しては、今一度、行動を見直し、多角的視点、大きな視点にたって、自分を含め、系を観察する必要があるってこった。
 (あれ?結局、ケースバイケースか?(笑))

 だけど、逐次、自分自身で、こういう風に気がつくのは、なかなか難しい。

 だから、議論し、語り合う必要がある。他人に言われてみて、初めて、自分のアプローチの仕方の問題点を認知することができることが多いからだ。
 だからこそ、どこの研究室でも週一回くらいはゼミやらセミナーやらを設けるし、個別指導の塾や予備校が儲かるのだ。

 語る上で、最も大切なことは、包み隠さないこと。
 あくまで、理詰めの時は、ね。

 これは、感情が入っている時もそうだけど、発言されたモノが、すべて本音とは限らないっと思いながら喋る事も大事だ。相手は何を考えているのか、本当はどういう感情があって、こっちにそれを提出してきているのか、なんて、わからない。だから、言葉そのものに、そこまでの信用をしてはいけない。
 当たり前のことだけどね。
 こちらがこちらを包み隠さないことによって、相手の信頼を得ることができ、結果的に、相手から真相を聞きだすことができるようになったりもする。

 相手が何を真意に言っているのかはわからないことがある一方で、相手が自分に言って欲しいことのピンポイントが、直観でわかる瞬間は多い。けど、相手の言って欲しいことだけを、機械的に返答していたら、つまらないし、まるで、俺じゃないみたい。あまのじゃくになったり、相手の想いを考慮した上での、自分が言いたいことをきちんと言うことも、大事になってくる(←感情のみの依存性)。ってか、俺に求められているのは、いつも、そっち。
 そうじゃないときで、大事な時だってあるけど、それは年に、ほんと何回か。

 だってさ、相手の言って欲しいことを、そのまま言ってあげることだけが、信頼の築き方じゃないでしょ?!
 っていうか、むしろ、その関係は、脆い。

 よーわ、相手が言って欲しそうなことをとにかく言ってあげようとすることが習慣化していた人は、今一度、系を、きちんと頭で考える必要があり、どんな発言もしないorできない人は、とりあえずぶつかってみる必要がある、というわけだ。
 (FullCircle完成!(笑))
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AKY

2010-06-03 01:27:54 | Weblog
 ロンハーの格付け、有吉がランキングつけるようになってから、めちゃめちゃ面白い。
 当たり前のことを当たり前に、あれだけはっきり言ってくれると、スッキリするっていうより、俺は、安心する。『あー、こういう人も、まだ世の中にいるよねー』って。なんてったって、僕も、それなりに毒を吐きますし、ホントのこと言っちゃうほうだし。

 長年の雰囲気を武器にして、それで圧力をかけようとしてくる馬鹿は多い(今日は有吉並に過激発言をしていきます(笑))。「どんな世界でも、10年もいると、真実が見えなくなる」んだから、そりゃ、当然か。
 俺が言ってるんだから正しい感じに空気がまとまっていくだろ、とか、そこまでいかなくても、俺の割と高い地位的に、ここまでやっちゃっても、平気でしょ、後輩とか同期のアイツが同じようなことやったらムカつくけど、俺は、許されるから、やっちゃえ、とかね。そういう、ちょこっと解析しないと、わからない範囲で、グレーゾーンで、長年という武器を利用している弱虫は多いもんだ。
 それにしても、どーして、こーも、雰囲気にだまされちゃうんだろう。俺自身もそういうふうにだまされることがあるし、やってることも?まさかね、ないように気をつけてるし(笑)。

 んで、こーいう空気を打破するのを見る瞬間、やべー、楽しい、って思うのだ。。テレビだから。
 そこに自分が介在していたら、見てられないとか、絶対にやめてほしいとか、そう思うくせに、自分が介在していないテレビ画面の向こう側だから、面白いと思える。俺らは、なんて自分勝手なのだろう。
 別に、どーでもいい瞬間は、それでイイ。だけど、大切な瞬間、それを、時間依存性が強い空気によって、思考停止状態にしてしまうなら、愚の骨頂だ。

 何が大切な瞬間かはそれぞれで決めればいいと思うけど、果たして、あなたは、あなたの思いつく最大の大切な瞬間に対して、先輩が長年という武器によって踏み潰そうとしているとき、きちんと先輩に、おもしろおかしく、ツッコミを入れられるだろうか??

 っま、俺だって、「ダウンタウンなんて、俺から見れば、まだまだ一発屋だからねー。」なんてことは、まだまだ言えねーけど(笑)。
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「ホンモノ」の拡張

2010-06-01 01:52:11 | Weblog
 きっと、いつまでも続くような、人間関係は、家族以外には存在しないだろう。
 でも、家族じゃない人達に対しても、凄まじい共感を得たり、家族並みの感情がこみあげてくるとき、それは、たとえ、時間依存性があったとしても、ホンモノだと思う。それが、俺が最近出した答えだ。

 荒削りな生き方が同じだったり、美学が共通だったりすれば、確かにそれだけで惹かれあうけど、それ以上に、実質的な行動や思考の仕方以上に、純粋に、優しさを外に向けようとしていれば、それだけでホンモノ。
 だからって、実質的な部分がまったく意味無いわけじゃなくって、そこで共感出来るからこそ、純粋な優しさがこみあげてきたんだとしても、それもホンモノ。

 これだけの価値がある世の中は、生きているだけで、すべてはОKさぁー!
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