たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

世界の希望

2010-06-28 03:31:17 | Weblog
 助けたい!って思った時に、助けられるとか、助けられないとか、そういうことは考えないようにしている。
 自分の能力を査定するなんてことをしていたら、それこそ絶対に助けられないし、それを考えちゃったら、相手をバカにしてるような気もするしね。
 大事なのは、その時、その状態でできる、最大の思考で、思いつく限りのカードでアプローチをし、ベストを尽くすことだ。その結果で、まぁ、普通に考えても、助けられなかったかー、ってなるのは、あるけどさ。

 心には多様性があって、複雑だからこそ面白い。でも、面白いなんて言ってられない状況もあるし、そういう、ぱっと見じゃわからない、大事で大切な瞬間にだけ、心から多様性が奪われ、ひとつの感情だけになる。そのひとつになる感情のひとつが、「助けたい!」なんだと思う。
 心がひとつの感情だけに占有されるようになると、どんなに冷酷なことでもできるようになるし、どんなに損することでもできるようになる。
 多様性が戻ってきたときに、やっと、冷酷じゃない行動に戻る。当たり前の、人間らしい行動に戻ることができる。でも、それは、急に助け無くなる、ってことなのかもしれない。ごめんね。

 『そんなん、俺だって、世界を救えると、思ってるわ(笑)。』
 「うざいな、それ(笑)。」
 『んー、なんていうの、世界は救えないかもだけど、世界を救うことの諸準備の、そのさらに礎、みたいなのは、できるんじゃん?!』
 「あー、よーわ、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分、作ってます!、みたいな?(笑)」
 『そうそう。それ。(笑)まぁ、でも、それよりは、できてるだろ!んー、でも、そのもともとの、ゴレンジャーがしてることは、半端無いからな。』
 「うん、だって、ガチで世界救ってるからね。」

 じゃぁ、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分作ってる人の、心のケアくらいは、できてるかな??(笑)
 なんか、そんなネタが、品庄にあった気がしますが。

 こんなことくらいしかできないっという意識を持っていないと、どこかで必ずボロがくる。だから、そんなに本気で世界を変えられるとかは思わないで、NPOとかじゃない普通の人は、ただ直向きに過ごしていればよいのだ。
 そうすれば、自分の周りくらいは、改善できるようになってくる。

 そして、もっと大事なのは、助ける心を持っている状態の人を、助ける、っということだ。具体的に言うなら、優しい人が損した気分にならないようにすることは、長い時間で考えれば、非常に重要になってくる。
 それこそが、ゴレンジャーのでっかいロボットの、小指の部分作ってる人の、心のケア、なんだと思う。

 絶対量は少ないけど、そういう瞬間を感じるとき、この世の中は捨てたもんじゃないんな、って思えるし、世界の希望だな、っと思えるのだ。