夢は書いてしまったほうが叶いやすい。そして、夢を持っているなら、みんなに言いふらすことが大事だと思う。
だから、今日は、俺の夢を話してみようと思う。具体的で頑張れば実現可能である夢を。なるべくなら3~7年くらいで達成したい。
俺の具体的な夢は一言で言える。公開実験を中心とした「顕微鏡観察学会」を立ち上げたい。
これを達成することで、俺の手元にコスパーよく、透明性の高い本質的な実験結果が勝手に入ってくるシステムが出来上がる。
俺は学会に行って「公開実験」というシステムが無いのが一番残念だった。
顕微鏡観察くらいなら、研究者・大学院生・学部生に向けて、100~200人くらいが同時に、みんなでその場で重要な実験を見学することができるんじゃないかなっとずっと思っている。
まず、自然科学における研究社会の今の現状の問題点を以下に述べ、その上で、公開実験を中心とした学会を立ち上げることで、解決される点を挙げる。
問題点[1] 捏造し放題な研究成果
最近のSTAP細胞についての報道で、捏造し放題な実験研究の現状と問題点は述べるまでもないと思う。今の実験研究は、実験者・研究者の性善説が前提となっており、そのチェックをすることは、これだけ多くの分野が存在している研究社会のなかで、原理的に誰もできないし、無法地帯と化している。STAP細胞の例は氷山の一角であり、もっと巧くばれないように薄暗闇に隠れて捏造しているクズ研究者は、特にシニアの先生方を中心に、実はとても多いと俺は思う。
捏造とか改竄って、ほんのちょこっとだけエンハンスすることから大胆なケースまで様々で、それをいちいちチェックするなんて、今の研究のアウトプットの仕方では無理だ。
しかし、みんなの前で実験する場を作れば、簡単に改善される。解析も全部みんなの前で行えるようにすれば、そもそも捏造自体が減ると思う。論文で大々的に発表しているのに、公開実験を断るようなら、それは捏造を疑われても仕方ない、というような空気感を創りたい。
問題点[2] 本人達にとって都合のいいストーリー
いま、同一研究室で出版した原著論文・学位論文、学会発表の多くのイントロダクションがほぼ同じであるような、無意味な作業が研究業界では横行している。こんな現状で、学生が主体的に研究に取り組めるわけが、そもそもない。大学院生を学生ではなくコスパーの良い作業員だと思っている大学の教員はとても多い。どこの研究室に入ったかが唯一大事で、そこでワーカーホリックになることが成功への近道、と推進しているような我が科学立国なのだ。
多くの日本の大学の教員は、同じストーリーや同じ内容でしか英語で論文を書くことができないために、こういうことが起きているんじゃないか、と疑うレベル(笑)。
実験の観点からすれば、自然現象にストーリーなどそもそも要らない。その現象や物理法則をいくつかの論理で簡単に示せないなら不必要な研究なのだ。
ストーリーを造ることが大事で、そういう書き方を学ぶ場が大学院教育であると主張する、やる気の無い教員・研究者は、いますぐ大学・研究機関から去れ。カネを払ってるのは我々であって、大義名分のつけ方や誤魔化し方を学ぶために大学に来たわけじゃないし、それらを社会に提供させるために、てめーらに税金という名のカネを払ってるわけではないのだから。
我々は、何らかの重要な自然現象を解明するために、新しいモノづくりをするために、研究を遂行している。それが最も大事であり、こういう当たり前さを忘れちゃダメよねん。
本人たちにとって都合のいいストーリーを造り、自分にとって都合の悪いデータは無条件で捨て去り、無意味にデータ数だけを沢山稼ぎ、そういうことを推奨することで生き残るために、わざと無法地帯化させている今の研究の現状を少しでも変えたい。
そのためには、シンプルに、みんなで、自然現象を観ようじゃないか、っと俺は思うのだ。
そうすれば、少なくとも今よりは、透明性が上がり、「あれ?意外と視野を探さないと見つからないのね。」とか「10回に3回くらいしか成功しないのね」とか、そういうことが共有でき、理論研の人達に対して正しい自然現象が提供され、自然現象の理解に大きく寄与すると思う。
問題点[3] 共著者のコントリビュートのばらつきについて
いま、論文でも学会発表でも、ファーストオーサーとラストオーサー以外大した業績にはならない。これに意義を唱えるキレイゴトを並べんじゃねーぞ、マジで(笑)。
しかし、公開実験での著者は、公開実験に参加しないわけが無いので、必然的に業績や功績として評価されるようになる。しかもみんなで観る訳だから、どれくらいコントリビュートしているかは、その分野の人であれば、一目瞭然だ。
現状、研究のアウトプットは主に、原著論文と学会でのポスター発表や口頭発表。これは発表の仕方が決まっていて、イントロ書いて、結果書いてー、ってよーするにストーリーが重要になる。これだけなので、実験技術がとても優れていて、その人しかできない技術みたいなものが一切評価されていない現状なのだ。
みんなの前で実験するためには、めちゃくちゃ器用じゃなきゃいけない。その緊張感に耐えられるような実験者は評価されるべきだと思うし、そういうチームも評価されるべきだ。
公開実験をすることで、共著者のコントリビュートが明らかになり、公平性が増すと思う。
さて、次に、どういう感じで、学会の公開実験を実行していくかを述べよう。
1.企業ブースとの併合
今、ほとんどの学会の企業ブースは意味が無い。わざわざ顕微鏡や装置が揃っているのに、どうでもいいサンプルで、「あー観えますね」って言って、パンフレットもらって、ボールペンとかもらって、終わり。何も価値が無い。
でも、「あのネーチャーに載った有名な実験が、今度学会で公開実験するんだって。装置は、オリンパスのを使うらしいよ」「あ、こっちの公開実験は、ニコンとキーエンスのを同時に使うみたい」ってなったら、企業側のCMにも一役買えるし、何よりも「どの顕微鏡がいいか?」というディスカッションになる。
2.公開実験レフェリーの設置
公開実験には、成功・不成功を判定するレフェリーを何人かつける。これによって業績化し、いずれは、実験研究者最大の業績を「公開実験の成功」としていきたい。
審査の仕方をどうするか、これは大事なんだが、まだ思案中。とりあえずは、原著論文と同じデータをみんなが観ている公開実験の会場で出せたかどうか、で判定したらイイと思う。
3.インカムと録画
第一実験者は、インカムで、みんなに説明しながら実験をする。
聴講者およびレフェリーは、実験中の質問時間に、第一実験者とラストオーサーに質疑応答ができるようにする。そうすれば、リアルタイムで、その実験の臨場感をみんなで感じることができる。
録画して、その動画を公開して、必要で重要な実験は、いつでも誰でも観れるようにする。
っというのが、俺の夢でした。大したことないな、くだらない、無謀すぎる、、って笑ってみて?
この夢を叶えられるかどうかは、みんなの自然科学が好きという純粋な気持ちにかかっている。
ほんのちょっとだけでも誤魔化して行きながら、自分が研究の世界で生き残るための大義名分をつけながら、今のシステムの中で、なぁなぁに、ただ単に研究者として生き残りたいという人が多ければ、絶対に達成されない。
明らかに透明性を上げるシステムを創ろうとしたときに、それが実現できないならば、それは、自然科学が好きじゃない、何かで成功したいだけの人間が、たくさん研究者として無意味に生き残っている証拠であり、そんなんなら、研究社会など凋落してしまえば良いと俺は思っている。
いや、俺が生きている間に、日本の自然科学における研究は、必ず凋落する。そのときに、唯一立ち上がれるのは、透明性をあげてあった、必要な研究のシステムと研究内容に予算がかけられていた、という事実のみだ。
さしあたり、規模を最小限にすれば、100~300万円くらいあれば、できてしまうと思う。
科学立国、日本の未来のため。だから、誰か、ギブミーマネー。(笑)
だから、今日は、俺の夢を話してみようと思う。具体的で頑張れば実現可能である夢を。なるべくなら3~7年くらいで達成したい。
俺の具体的な夢は一言で言える。公開実験を中心とした「顕微鏡観察学会」を立ち上げたい。
これを達成することで、俺の手元にコスパーよく、透明性の高い本質的な実験結果が勝手に入ってくるシステムが出来上がる。
俺は学会に行って「公開実験」というシステムが無いのが一番残念だった。
顕微鏡観察くらいなら、研究者・大学院生・学部生に向けて、100~200人くらいが同時に、みんなでその場で重要な実験を見学することができるんじゃないかなっとずっと思っている。
まず、自然科学における研究社会の今の現状の問題点を以下に述べ、その上で、公開実験を中心とした学会を立ち上げることで、解決される点を挙げる。
問題点[1] 捏造し放題な研究成果
最近のSTAP細胞についての報道で、捏造し放題な実験研究の現状と問題点は述べるまでもないと思う。今の実験研究は、実験者・研究者の性善説が前提となっており、そのチェックをすることは、これだけ多くの分野が存在している研究社会のなかで、原理的に誰もできないし、無法地帯と化している。STAP細胞の例は氷山の一角であり、もっと巧くばれないように薄暗闇に隠れて捏造しているクズ研究者は、特にシニアの先生方を中心に、実はとても多いと俺は思う。
捏造とか改竄って、ほんのちょこっとだけエンハンスすることから大胆なケースまで様々で、それをいちいちチェックするなんて、今の研究のアウトプットの仕方では無理だ。
しかし、みんなの前で実験する場を作れば、簡単に改善される。解析も全部みんなの前で行えるようにすれば、そもそも捏造自体が減ると思う。論文で大々的に発表しているのに、公開実験を断るようなら、それは捏造を疑われても仕方ない、というような空気感を創りたい。
問題点[2] 本人達にとって都合のいいストーリー
いま、同一研究室で出版した原著論文・学位論文、学会発表の多くのイントロダクションがほぼ同じであるような、無意味な作業が研究業界では横行している。こんな現状で、学生が主体的に研究に取り組めるわけが、そもそもない。大学院生を学生ではなくコスパーの良い作業員だと思っている大学の教員はとても多い。どこの研究室に入ったかが唯一大事で、そこでワーカーホリックになることが成功への近道、と推進しているような我が科学立国なのだ。
多くの日本の大学の教員は、同じストーリーや同じ内容でしか英語で論文を書くことができないために、こういうことが起きているんじゃないか、と疑うレベル(笑)。
実験の観点からすれば、自然現象にストーリーなどそもそも要らない。その現象や物理法則をいくつかの論理で簡単に示せないなら不必要な研究なのだ。
ストーリーを造ることが大事で、そういう書き方を学ぶ場が大学院教育であると主張する、やる気の無い教員・研究者は、いますぐ大学・研究機関から去れ。カネを払ってるのは我々であって、大義名分のつけ方や誤魔化し方を学ぶために大学に来たわけじゃないし、それらを社会に提供させるために、てめーらに税金という名のカネを払ってるわけではないのだから。
我々は、何らかの重要な自然現象を解明するために、新しいモノづくりをするために、研究を遂行している。それが最も大事であり、こういう当たり前さを忘れちゃダメよねん。
本人たちにとって都合のいいストーリーを造り、自分にとって都合の悪いデータは無条件で捨て去り、無意味にデータ数だけを沢山稼ぎ、そういうことを推奨することで生き残るために、わざと無法地帯化させている今の研究の現状を少しでも変えたい。
そのためには、シンプルに、みんなで、自然現象を観ようじゃないか、っと俺は思うのだ。
そうすれば、少なくとも今よりは、透明性が上がり、「あれ?意外と視野を探さないと見つからないのね。」とか「10回に3回くらいしか成功しないのね」とか、そういうことが共有でき、理論研の人達に対して正しい自然現象が提供され、自然現象の理解に大きく寄与すると思う。
問題点[3] 共著者のコントリビュートのばらつきについて
いま、論文でも学会発表でも、ファーストオーサーとラストオーサー以外大した業績にはならない。これに意義を唱えるキレイゴトを並べんじゃねーぞ、マジで(笑)。
しかし、公開実験での著者は、公開実験に参加しないわけが無いので、必然的に業績や功績として評価されるようになる。しかもみんなで観る訳だから、どれくらいコントリビュートしているかは、その分野の人であれば、一目瞭然だ。
現状、研究のアウトプットは主に、原著論文と学会でのポスター発表や口頭発表。これは発表の仕方が決まっていて、イントロ書いて、結果書いてー、ってよーするにストーリーが重要になる。これだけなので、実験技術がとても優れていて、その人しかできない技術みたいなものが一切評価されていない現状なのだ。
みんなの前で実験するためには、めちゃくちゃ器用じゃなきゃいけない。その緊張感に耐えられるような実験者は評価されるべきだと思うし、そういうチームも評価されるべきだ。
公開実験をすることで、共著者のコントリビュートが明らかになり、公平性が増すと思う。
さて、次に、どういう感じで、学会の公開実験を実行していくかを述べよう。
1.企業ブースとの併合
今、ほとんどの学会の企業ブースは意味が無い。わざわざ顕微鏡や装置が揃っているのに、どうでもいいサンプルで、「あー観えますね」って言って、パンフレットもらって、ボールペンとかもらって、終わり。何も価値が無い。
でも、「あのネーチャーに載った有名な実験が、今度学会で公開実験するんだって。装置は、オリンパスのを使うらしいよ」「あ、こっちの公開実験は、ニコンとキーエンスのを同時に使うみたい」ってなったら、企業側のCMにも一役買えるし、何よりも「どの顕微鏡がいいか?」というディスカッションになる。
2.公開実験レフェリーの設置
公開実験には、成功・不成功を判定するレフェリーを何人かつける。これによって業績化し、いずれは、実験研究者最大の業績を「公開実験の成功」としていきたい。
審査の仕方をどうするか、これは大事なんだが、まだ思案中。とりあえずは、原著論文と同じデータをみんなが観ている公開実験の会場で出せたかどうか、で判定したらイイと思う。
3.インカムと録画
第一実験者は、インカムで、みんなに説明しながら実験をする。
聴講者およびレフェリーは、実験中の質問時間に、第一実験者とラストオーサーに質疑応答ができるようにする。そうすれば、リアルタイムで、その実験の臨場感をみんなで感じることができる。
録画して、その動画を公開して、必要で重要な実験は、いつでも誰でも観れるようにする。
っというのが、俺の夢でした。大したことないな、くだらない、無謀すぎる、、って笑ってみて?
この夢を叶えられるかどうかは、みんなの自然科学が好きという純粋な気持ちにかかっている。
ほんのちょっとだけでも誤魔化して行きながら、自分が研究の世界で生き残るための大義名分をつけながら、今のシステムの中で、なぁなぁに、ただ単に研究者として生き残りたいという人が多ければ、絶対に達成されない。
明らかに透明性を上げるシステムを創ろうとしたときに、それが実現できないならば、それは、自然科学が好きじゃない、何かで成功したいだけの人間が、たくさん研究者として無意味に生き残っている証拠であり、そんなんなら、研究社会など凋落してしまえば良いと俺は思っている。
いや、俺が生きている間に、日本の自然科学における研究は、必ず凋落する。そのときに、唯一立ち上がれるのは、透明性をあげてあった、必要な研究のシステムと研究内容に予算がかけられていた、という事実のみだ。
さしあたり、規模を最小限にすれば、100~300万円くらいあれば、できてしまうと思う。
科学立国、日本の未来のため。だから、誰か、ギブミーマネー。(笑)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます