たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

虚しいメリット

2013-09-21 03:26:16 | Weblog
 前から言ってることだけど、自分から行動を起こすことの唯一の実質的なメリットは、いつでも好きな時に自分からやめられるというところにある。

 どんなことでも、自分から何かを発して行動をすることにはリスクが伴うし、それをすることそのものが負け、みたいな風潮すら存在している。

 ゼミでも学会でも、手を挙げて質問をすることは、それが相手の自尊心を傷つける意味でのオフェンスになっていない限り、負け、であるかのような価値観を持つ研究者は多い。論理の穴を疑問とすり替えて質問し、問題点を指摘して満足げな表情を浮かべている意味の無いディスカッションが横行しているのだ。良識ある理論家や技術屋は、問題点を指摘し、ほんの少しでも解決策を自らで発言するようなスタイルをとる。
 ここまでのことは(本当の意味で素晴らしい研究者でない限り)なかなかできないし、大抵の人は優しいわけで、だから、誰も何も質問をしない。そうすることによって、自分が発表の時にも質問しないでね、っと暗に伝えて、時間の浪費としてのゼミや研究会を行い、この誤魔化しをそのまま論文にして、業績にする。ホント、虚偽、偽りを正当化することで、何かを誤魔化すことを考え続けなきゃいけないような研究の世界の一部分は、実にくだらない。自然現象そのものは尊いのに、自然科学として扱っている集団の体系がくだらないのだ。

 ただ、それでも、やっぱり、自分から行動を起こして、挙手するようなスタイルをとるメリットは確かに存在している。
 だって、自らの気持ちに正直になり続け、イヤになったら手を引いてしまえばイイという自由が、自らが発端となって行動している限り、保証されるのだ。しかも、上手く行けば、金儲けにすらなる。
 誰の指図も受けず、知りたくなくなるまで自然科学を探求することもできるし、やめたいところでやめても、一度やめて、またはじめからやり直しても、自分の責任として本質的には誰の迷惑もかけない。

 そう、俺から行動を起こしているくせに、俺から誘っているくせに、アプローチをかけてたくせに、俺が手を挙げて訊いてるくせに、俺がやりたい!ってもともと言ったくせに、途中で突っぱねるなんてヒドイ、なんて想う権利は無いんだぜ?、行動を起こす能力が無いのなら余計にね。

 っま、俺の場合、たいていのことは、嫌いになって、めんどくさくなったから、途中でやめます!、なんてことでは決してないんだけど。熱しやすく冷めにくいから。前者は月のオーダー、後者は年のオーダーで。
 じゃあ、なんで?って言われても、こんなところで書きません。笑

 誰かが、どっちかが、始めなければ、いつまでも始まらない。始めることにはリスクが多いようにとられがちだけど、実はそのリスクと対等なベネフィットが存在する。
 最初に始めた人には、いつでもやめてイイ権利と、成功した時に集団の中で一番嬉しい想いをできる特権が準備されているのだ。

 この虚しすぎる、くだらないメリットは、根源的に一人になっちゃっても平気な俺には最適なのだ。
 っと、そう自分に言い聞かせ続けている。何かの偶然で、自分が自発的に動き出す必然性を見つけられることを期待して。それこそが……?!

 なんちって。
コメント
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