たかはしけいのにっき

理系研究者の日記。

2つの半純血

2013-09-09 01:14:32 | Weblog
 我々が直面するすべての問題は「気持ちの問題」に帰着する。
 にも拘らず、あらゆる問題を物理的な問題として落とし込み、その上っ面で解決しようとするのは、愚の骨頂だ。

 例えば、ケータイやLINEをいくら規制しても、いじめは存在する。技術を規制することで、何かの問題を技術のせいだと決めつけるよりも、もっと根源的に解決しないとね。
 根元から抉り問題を解決しようと努めるべきで、やり始めてしまえば、そんなに大変なことではないと思う。凶悪犯罪を無くすために落書きを消すところから始めるような取り組みの姿勢が大事なのだ(1989年NY市地下鉄の例)。

 そ、必要なのは、問題解決しようとしてますよ、っというアピールではなく、根源的に問題を取り除く姿勢なのだ。
 だから、国家試験で「一種と二種」を「総合職と一般職」と呼び改めても、全席優先席の中から最優先席を設けても、なんにも意味が無い。

 こういうことを言うと、また物事を率直に考えられない人達が、気持ちの問題なのだから、っとめんどくさくないように解釈して、追い詰められている側の、現実の呑み込み方を変えようとする問題解決の仕方がなされることも多い。これも、同様に愚の骨頂である。
 明らかな差別発言や侮辱に対してでさえ、相手が目上とわかると、被害者側に対して「いやいや、確かにあの方はこう仰っていたけど、でもそれは、この部分でもう少ししっかりしなきゃいけないって意味だけじゃないかな。だから、元気だしなよ。」などと説いているのなら、それは本質的に誰も助けていない。ただ、無難に処理しているだけのことだ。

 じゃぁ、どうすれば良いか。
 過去の報われていない想いを、きちんと晴らすしかない。それこそが、助ける、ということだと思う。

 なぜ、立場やグループが下の者に対して精神的もしくは物理的なストレスを与えてしまうような行動をとるのかといえば、それはそれだけ自分が上の者から虐げられていて、残酷な物理現象に勝てていないためだ。
 無意味に攻撃を加えている者に対しても最低限のレベルでは優しく振る舞い、そこに対してより良く改善させようとする姿勢はネゴシエーターの基本事項だと思う。(ただ、そんな風に扱われるような人は、俺の仲間としては役不足だけどね。)

 すべての問題は気持ちに帰着される。それは、誰の気持ちも対等に扱いながら、問題のある気持ちの持ち主を発見し、その問題のある気持ちについて、実空間で解決した時に、はじめて、系がより良くなるということなのだ。
 気持ちを大事にする姿勢と論理的に考える真面目さのそれぞれの血が直前のエピジェネティックな変化を伴いながら受け継がれている俺は、このプロトコルがきちんとできなきゃいけない命を背負っていると思う。

 日々、お互いの異なる部分が怖くて仕方ないことも確かにあって、それですれ違ってしまうことも多い。
 AグループとCグループ、実験と理論、世代の差、金銭感覚の違い、、それらだって、全部気持ちの問題であり、確実に問題の気持ちを持っている人は存在するし、その気持ちは実空間で解決されうるし、最終的に解析的に解き得る。

 だとしたら、偶然をもチャンスに変えながら、より良くなったことに対しては「運命」と名付けてしまうくらい楽観的な生き方をしていたいと思う。
コメント
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